2-1 誰が為の創世記(4)

 創世記十八章。カナン移住後のアブラハムの家に三人の客が訪れた。三人は神と二人の天使ということになっているが、普通に食事をしたことからただの客だったと思われる。

 三人はアブラハムとの雑談で、アブラハムから妾の子はいるが妻との間に子供がないと愚痴をきくと、来年生まれるよと冗談を言った。妻もそれを聞いて笑った。こっそりそれを聞いていたテラは、事の重大性に思い至り、二人の間に正式な子供が必要だと考えた。


 かつてアブラハムの妻が、アブラハムの長男をみごもった女奴隷につらく当たると、女奴隷は逃亡した。神は女奴隷に、アブラハムのもとへ帰るよう説得した。この時点では、女奴隷が産む子供イシュマエルを後継者にしようと思っていたのだろう。それが、アブラハムと客とのなにげない会話から、正妻との間の子供が必要だと気づいたのだ。


 創世記では、この客のうち二人(天使)が、アブラハムの家を出てから、甥のロトの住むソドムに向かうことになっている。実際は、テラが一人で、孫のロトのもとに向かったのだろう。ロトが、ソドムに住んでいたかどうかはわからない。ソドムとゴモラの滅亡は、その前後に起きた自然災害で、物語の展開がうまくいくように、ひとつづきの話としてまとめたと思われる。


 ロトはアブラハムの兄弟の息子だ。何故、二人の客がロトのもとに向かったことになっているのか。客を歓待したときに出た、アブラハム夫婦の間に子供がいないことを懸念したテラが、夫婦に養子をとらせるため、数少ない身内のロトの娘に子供を産ませようとしたのではないだろうか。


 ロトと二人の娘は、洞窟に住み、親子の間に子供が生まれた。姉との間の子供はモアブ人の先祖で名前もモアブ、妹の子供はアンモン人の先祖とされているが、名前はアンモンではなくベン・アミ(わたしの肉親の子という意味)だ。そのわたしとはテラのことかもしれない。


 テラは、自分のひ孫が産んだベン・アミを、アブラハムと妻サラの間に生まれたイサクとしたのだろう。近親相姦そのものだが、テラの孫とひ孫の間の子供なので血統的には優れている。親子の間に子供をもうけさせるため、アブラハム同様に啓示を下し、親子を洞窟に住まわせたのだ。


 イサクの妻リベカは、アブラハムの僕が偶然見つけたことになっているが、主が手回しした結果だ。テラは、自分の血が薄まらないように、イサクをロトとその娘の間に産ませ、イサクの妻を自分のひ孫リベカにしたのだ。さらにイサクの子ヤコブには、自分の玄孫ラケルとレアをあてがった。


 イスラエル人は、アブラハムの名義上の子孫で、その兄弟ハランとナホルの血のつながった子孫だった。テラは生前から近親婚を進めており、リベカはハランとナホル、兄弟二人の血を引く。


 当時としては近親婚は普通なのだろうが、一族の血を濃く保とうなどとは、神の発想ではなく人の発想である。しかも召命を受けたアブラハムの実子イシュマエルを排除し、その兄弟ハランとナホルの子孫を選民とした。


 神は、アブラハムにイサクを捧げるように命じる。アブラハムがイサクを縛って、刃物を突き刺そうとすると、神はやめるように告げた。最初から殺させるつもりなどない。神になったばかりのテラが、神の気分を味わおうとしたのだ。


 古代中東で信仰されていたモロク神。モロクの名は、王を意味するヘブライ語に起因する。生け贄を好み、王権を持つ者は長男を捧げることで、モロクを供養する。


「あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない(レビ記18:21)」

 と、主はモロクへの人身供養を禁じた。

 ソロモン王がモロクを崇拝したため、イスラエルは没落していったとされる。ユダヤ人が忌み嫌う異教の神モロク。だが、なんと主自らモロクを真似て、モロクの気分を味わっていた。


 アブラハムの次男イサクは、テラの孫であり、ひ孫であり、玄孫である。言い換えれば、神の孫であり、ひ孫であり、玄孫である。それからテラは、アブラハムの長男イシュマエルについては、子供の数を数える程度にしか関心がないのに、次男イサクの家族につきっきりでその生活を観察していた。


 イサクの長男エサウについては、その孫の世代まで名前がわかっているが、あくまで名前だけである。アブラハムとその子孫を見守るといっても、テラの身体はひとつしかない。子孫の人数が増えるにつれ、全員を観察できなくなるので、

「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ(マラキ1:2-3)」

 というように、女奴隷の子供イシュマエルやイサクの長男エサウを切り捨て、イサクとヤコブに観察保護対象を絞った。


 双子のうちヤコブを選んだのは、ヤコブが叔父のもとに逃げたとき、そちらについていったからで、ヨセフが誘拐されたときもエジプトくんだりまで同行した。つまり、選民主義の基本となった観察対象の選択は、珍しいイベントが起きたほうを優先した結果だった。


 聖書では、ヤコブが煮物を譲ったことで長子の権利を得たことになっているが、もちろん作り話だろう。

「イサクは、しかの肉が好きだったので、エサウを愛した(創25:28)」ことから、エサウは長子としてイサクの財産を引き継ぎ、エジプト・メソポタミヤの交通の要衝エドムの地で栄えた。


 テラは啓示の際には姿を見せず、もっぱら声だけで語った。そこには宇宙の摂理を説こうとか、人類を救済しようなどといった大それた志はなく、ただ子供や孫の行く末を見守りたいという動機だけで動いていた。ラバンの家の守り神について気にしていないのも、自分のしていることが宗教活動などという自覚が、微塵もなかったからだ。


 ヨシュア記に記されているように、テラもアブラハムも多神教徒だった。カルデアのウルでは月神礼拝が行われていたという。創世記自体に、偶像崇拝や多神教を禁じる記述がない。

 出エジプトでエジプトに災いが起きたのも、彼らが偶像崇拝をしていたからではなく、イスラエル人を解放しなかったからで、神が唯一であることと偶像崇拝禁止は、エジプトを出た後のシナイ山における十戒から始まる。


 創世記全五十章のうち最後から二番目の第四十九章でヤコブは死に、最終章ではヤコブの埋葬からその子ヨセフの死まで一気に進む。神はヤコブより後の世代に関心が薄かったようで、創世記が終わると、次の出エジプトまでの数百年間が省略されている。

 省略されているだけで、この間にヤコブとラバンの近所の人とののどかな会話よりも、深刻かつ重要な物語はいくらでもあったはずである。


 アダムからアブラハムの父テラまでは、一人数百年も生きたことになっている系図でごまかし、アブラハムの晩年から話が始まり、孫のヤコブは異常に詳しく語られているが、ひ孫のヨセフの後の世代はまた名前だけになる。


 そのヤコブのしたことといえば、兄と仲違いして叔父のもとでこきつかわれ、故郷に帰り、息子のヨセフがエジプトで出世したので、一家でエジプトに移りすんだという程度だ。息子のヨセフは兄弟たちから疎まれ、エジプトに誘拐され、そこで大成功を収め、偶然兄弟たちに再会、身分を明かさず接し、やがて兄弟だと打ち明け和解、一族をエジプトに呼び寄せる。

 どう考えても、息子のヨセフの人生のほうが波瀾万丈で、一族の運命にとって重要ではないか。ドラマにするならヨセフが主人公で、ヤコブはその父という脇役のはずだ。


 そのヨセフに神がエジプトまでついていったのも、誘拐という突発的なイベントが起きたからで、それがなければユダのほうが関心を集めたと思われる。兄弟たちがヨセフと再会し、カナンに戻るとき神も同行した。すでにヤコブもエジプトに向かう手はずになっていたので必要はないのだが、神はたまらずに、ヤコブにエジプトに行くことを恐れてはならないと啓示を下した。しかし、

「わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう(創46:4)」とあることから、神はヤコブ一家をまたカナンに戻す計画だったようだ。


 ファラオのヨセフへの寵愛は厚く、ヤコブ一家はエジプトから帰ろうとしなかった。ヤコブはエジプトで亡くなった。カナンの地にこだわったテラも、経済的に潤うヤコブ一家を見て、それで満足したのだろう。


 ユダヤの伝承によると、テラという人物はかなりのやり手で、貨幣鋳造を最初に行ったとされている。ちょうどこの頃、メソポタミヤでシュメール人が銀貨幣を使い出した。貨幣鋳造の真偽はわからないが、あれだけのことをしたのだから、テラがやり手というのは確かだろう。


 カナン行きの動機も、エジプトとの交易で儲けるためではないだろうか。息子アブラハムには、恵まれた場所で大きな商売をして欲しい。しかし、せっかく彼のためにカナンに向かったのに、息子はハランでの小さな成功で満足している。

 自身の老齢が原因でハランにとどまったとしたら、自責の念もあったことだろう。やり手のテラは我慢できず、嘘を吐いてでも、アブラハムを当初の目的地カナンに向かわせようとした。


 アブラハムは豪商や遊牧民だったと言われている。

「アブラムは家畜と金銀に非常に富んでいた(創13:2)」ことから、家畜を飼う一方で、交易の仕事も手がけたのではないだろうか。もちろん、家畜自体も重要な交易商品である。飢饉が理由でエジプトに行ったとしても、商売をしたからこそ、多くの金銀を持つことになったのだろう。


 カナンに移住すれば、間に他の業者を挟まずに、エジプトと直接取引きでき、利幅も大きい。エジプト、メソポタミアという二大文明の中継貿易という商業チャンスは、やり手の商人なら喉から手が出るほどものにしたいはずだ。

 ヤコブのエジプト行きを大目に見たのも、エジプトとの経済交流が目的でアブラハムを移住させたからだ。イサクがロトの子供なのも、もともとロトにアブラハムの商売を継がせる予定だったから、当初の計画通りである。


 アブラハム召命の理由はビジネスで、イサクの誕生を予告した三人の客は、アブラハムに接待された取引先の商人だった。イエスはエルサレム神殿が汚れるといって商人を追い払ったが、天の父自身が商人だった。

 現代でも、仕事が理由で引っ越しをすることが多い。それは昔も同じことだ。だが、神聖なる創世記に、テラは息子に商売をさせるためにウルを出てカナンに旅立ったとは、記すわけにはいかない。


 アブラハムの父テラこそ、神であり、最初の御使いであり、多神教徒でありながら、一神教のもととなるアブラハムの宗教の開祖である。しかも、驚くべきことに、悪魔である可能性もある。

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