1-1 宇宙はコンピューターゲーム(2)

「宇宙の設計図が宇宙の中にあるわけないでしょ。プログラムやデータの在処、つまり情報空間は、プラトンのいうイデアということにしておきましょう。

 イデアは魂の世界なんだけど、ミステリアスワールドとはほど遠く、情報が機械的かつ事務的に処理されるだけの単調で味気ない領域。この世界はイデアの影。そこでの計算結果をもとにコンピュータグラフィックスとしての宇宙が描画されている。最小描画単位はプランク長、あるいは素粒子で、ゲームでいう一ドット」


 プランク長とは、量子力学によって設定される物理的に存在できる最小の長さである。これ以下になると、ブラックホールになってしまう。


「たしかに3Dゲームはドット単位で計算するけど、僕自身の身体がコンピュータグラフィックスだとは思えないな。やはり、どこかに情報があって、それを基に宇宙が描かれていると考えるよりも、無から自然に発生して、それ自身が数学的な動きをしていると思いたい。いやだよ、自分の正体が絵だなんて。


 素粒子や原子自体には意思も目的もないけど、それが集まって、一旦、生物や社会などができあがったら、その単位で合理的に動いていく。素粒子の活動は相変わらず続いているんだろうけど、上の次元である生物、社会などにはほとんど影響しない。お互いに独立した系のような関係かな。

 この世に存在する四つの力だってそうだろう。分子以上では、電磁力と重力が主な力だけど、ミクロの世界では弱い力と強い力。それと同じこと」


「私も以前はそう考えてた。だけどそれって、赤、青、黄色の三色のピンポン玉がたくさんあって、それぞれ勝手に動いていて、それがしばらくしたら、偶然大きな風景画が完成して、その風景画が動画になっても問題なく動いてるみたいなものよね」


 そういった疑問を持ったのは、ハルミだけではなかった。

 原子物理学者ジェラルド・シュローダーは、宇宙や生命が偶然に存在するようになった確率を宝くじの一等が三回連続で当たることにたとえた。

 アポロ計画に参加したロケット技術者フォン・ブラウンは、宇宙の秩序が整っているのは設計者がいるからだといっている。

 ギャラップ調査で知られる統計学者ジョージ・ギャラップは、人体の各気管がそれぞれの役割を果たすように偶然が重なる確率がゼロという統計学的理由で神の存在を主張した。彼によると、全米の成人の5%が臨死体験をしていたという。


「できる確率は極めて低いけど、一旦できあがれば後は確率は関係ない、たぶん」

「自分でヴァーチャルリアリティ作っておきながら、情報系の存在を認めないのね?」

「ああ、認めないね」


 京の頑な態度は、火に油を注いだ。ハルミは声のトーンをあげ、早口でまくしたてた。

「わかりやすく説明するわ。情報があって、それに従い、3D空間に現実が描画される。素粒子は絵の具みたいなもの。生物の進化はその情報系において、個々の生物ではなく、その生物種の管理プログラム、フロイト流にいうと集合意識が、その種にとって有利なように、生物の特徴や天敵、食糧事情などの情報から総合的に判断した結果、それが仮想現実に反映されたもの」


「ちっともわかりやすくない。猿が人になったのは、自然淘汰の結果。ときどき遺伝子の配列ミスで突然変異が生まれ、適正のある種だけが生き残る」


「その突然変異も、偶然ではなく、計画的に行われた。事前にシュミレートしたDNAになるよう、イベントを起こす。

 子供が両親の遺伝子情報を半分ずつ受け継ぐ受精なんて、データ処理そのもの。オスのDNAファイルとメスのファイルを比較、選択。子供のDNA出来上がり。このオスとこのメスの組み合わせだと、こういう子供ができる。そんなシュミレーションを繰り返して、子供のDNAはこれで行こう。このオスとこのメスのコンビをくっつけよう。ラブロマンスが始まる。 

 そもそも遺伝子のことを生命の設計図とかよくいうけど、四パターンの塩基配列だけで、各個体の骨格や内臓の詳細が記せるわけないじゃない。遺伝子は設計図じゃなくて、設計図のしまってある場所を示す地図。どこか他にデータベースがあって、遺伝子はその検索キーにすぎないの」


「君の言いたいのは、色覚異常に相当する遺伝子情報は細胞の中にあるけど、その遺伝子配列は色覚異常であるというデータが書き込まれた物体は、この世のどこを探しても見つからない。だからイデアワールドは存在するということなんだろうけど、たしかにそんなデータベースは無いよな」


「ホルモンなんか情報そのもの。ごく微量なのに代謝や成長とかいろんなこと調整してる。たぶん、分子構造に大した意味なんかなくて、情報、マインドパワーだけで病気が治ったり興奮したりしたら、辻褄が合わなくなるから、適当に物質こしらえて、体に送りこんでる。ホメオスタシス(恒常性)維持のため、ちょうど都合よい物質が生産されるなんて、情報のやりとりがなくてできるわけない」


「ホルモンって聞いたら、ホルモン焼き食べたくなったよ」

 京は食事が用意されていないことが口論のきっかけであることを思い出したが、彼女はそんなことはお構いなしに話を続ける。

「実は、人類の先祖原始脊索動物のころ、遺伝子の長さが四倍になったという説があるんだけど」

「16ビットが64ビットになるってかなりのものだよ」


「卵子や精子の染色体の数は通常の半分で、ときどきミスで通常数のものがあって、偶然通常数同士がくっついて倍になり、それが長い歴史の中で二回あって、遺伝子の長さが四倍になったって考えられてるけど、その分、遺伝子情報が増えたということ。偶然というのも怪しくて、私は意図的にそうなったと思ってる」

「つまり、それまでの遺伝子では、高等生物に対応できなかった。そこで偶然を装って遺伝子の情報量を四倍にした。そこからわかることは、宇宙が誕生する前から人間が設計されていたわけではなく、結構、行き当たりばったりの産物だったみたいだな」

 と京はいったが、皮肉をこめて相手に合わせただけで、妻のいうことを本気にしたわけでない。


「最初から生物を進化させるという目標はあったと思うけど、どんなものが誕生するか、やってみなければわからない。出たとこ勝負ということ」

「猿の子孫でよかったよ。貝類とかじゃ、たまらんな」

 彼の妄想の中に、不気味な姿の知的生物がいくつも浮かんできた。

「何の子孫とかは関係ない。聖書にあるように、人は神が創ったんだから」

「人は猿から進化したんじゃないのか」

「この次元ではそうだけど、プログラム領域で神が設計して、それが物質世界に反映したの。あらかじめ猿を進化させた人のデザインを行い、それが出現するように猿と猿をとりまく環境が導かれた。人だけではなく、ライオンや豚だってそう。すべてのものは神が設計したとおりに出現した。


 プラトンのいうイデアは実在し、この世はイデアの影というのは本当だった。そこでは、三次元の映像を描き出す描画プログラムルーチンが機能しており、全体が計算したデータと、個々の生物の無意識が計算したデータが、宇宙を描画するプログラムルーチンで合成されて、素粒子の種類と位置が決まる。それがイデアが現実世界にイメージを投影できる原理。心に強く描いた夢が実現するのも同じこと。

 幽霊もイメージ。光を利用して空間に投影するホログラム映像の一種。幽霊の姿、つまりイメージデータを描画ルーチンに渡し、声も出せることから、音のデータも処理している」 


「ついに幽霊までご登場というわけか。守護霊を呼び出せば、なんでも質問に答えてくれるの?」

「幽霊が存在することと、守護霊を呼び出せるとかいうのとは全く別の話だから。

 死んでからしばらくの間、残された家族を見守ることはあると思うけど。ひとりひとりに幽霊を配置する必要性があるのか、どのような基準で組み合わせが決まるのか、生涯かたときも離れず付き添っていられるのか、相手はどこにいて、どのように呼び出し、過去の人間とどのようにコミュニケーションをとるのか、など疑問は尽きません。

 気安く守護霊とか言う人間がいるから、この分野に科学の目が入らなくなってる。

 そういう口寄せ系霊能者って、自分の頭で考えて過去の偉人や守護霊の言葉を作ってるはずだけど、もともとどこかおかしい人たちだから、本人は案外本気で呼び出してるつもりかもしれない。

 テスラとかケプラーの霊を呼び出してもらって、物理や数学の専門用語で質問してみて、何と答えるか実験してみると面白いと思う。とにかく早く科学的に解明して、そういったうさんくさい連中の出番をなくして欲しいわ。霊能者退散!」


「たとえ幽霊がいるとしても、僕らも幽霊もただの映像なんだろう?」

「どちらも映像といっても、人間は分子や細胞といった基盤があるけど、幽霊は本当にイメージしかない。イメージは光で描画される。光は光子という素粒子であり、特定波長の電磁波、つまり波でもある。音も空気の振動だから波。

 幽霊はおそらく、自分の姿を無意識に思い描いていて、つまり画像データを保持していて、現実空間に波を起こすことで、自分の存在を描き出す。そのように宇宙の描画システムにデータを渡し、最終的に現実の素粒子配置が決定する。肉体のない分、処理データが少なくすみ、幻を描き出す能力が高い。生きている人間だって、幽霊より遙かに膨大なデータを処理する必要があるけど、集中すれば念写ができる」


 念写とは、超心理学の分野で、心で思い描く画像をアナログカメラのフィルムや感光紙などに焼き付けることだ。

「念写はトリックだよ」

「トリックによるものもあるけど、だからといって、それは念写は存在しないとはいえない。それから、さっきから映像、映像といっているけど、映像は本質じゃなくて、この世の実体はデータ処理」

「僕もゲーム屋だから、そのくらいわかるさ」

「幽霊も生きている人間も本質はデータ。たとえば、幽霊が見る景色は、生きているときの目の高さや、色覚特性、脳内での視覚処理パターンなどの情報をもとに、対象となる視界から作成した視覚データを、幽霊が計算して自ら視覚を感じるの」


「ものすごい情報量だな」

「生きている人間に較べれば、ずっと情報量は少ないわよ。幽霊が声を出す仕組みは、生前の声紋データを基に幽霊の意思や感覚から音の方向や音量を決め音声データを作成。それをスピーカーみたいに喉や口腔を通さずに、ダイレクトに空気を振動させて発生させる。ということは、酸素や二酸化炭素、窒素などが、声を出すという幽霊の意思に対応して動くように宇宙がプログラミング設定されている」

「なんとなく言いたいことわかるけど、ややこしすぎるよ」

 京は、トンデモ理論に少し感心した。


 それからも彼女は、自説が必ずしも誤りだと断定することはできないという理屈をこねまわした。京は時間の無駄だと判断し、

「一体誰に感化されたんだ?」

 と捨てぜりふを吐いて、ランチ時間をすぎても営業している飲食店を見つけようと、午後の住宅街を歩くことになった。


 彼女の言いたいことは、おおよそは理解できた。

 あえてゲームにたとえると、彼女は世界の秘密を探るアドベンチャーゲームの女主人公で、その秘密とは、自分たちがコンピュータ上で動くゲームのキャラクターだったという衝撃の事実だ。

 その世界では、キャラクターが死んでもゲームオーバーにならず、しばらくしたら新しいキャラクターとして生まれ変わり、冒険は続いていく。


 転生先が見つかるまでは幽霊だ。幽霊と生きているキャラクターを区別するようにプログラムするくらい簡単にできる。キャラクターが死んでも、姿や声などのデータが残っているので、半透明処理を施して、建物などの障害物による移動制限をなくせばいいだけの話だ。


 現実世界では、幽霊は光と音からなり、人間は水や炭素など身体を構成する物質も考慮に入れる必要があるが、どちらも素粒子の活動である。コンピュータの性能が無限なら、量子レベルから計算することも可能だろう。


 宇宙は素粒子だけで成り立っているが、素粒子の偶然の動きだけで自然や社会の全てを説明づけるのは無理があるような気がする。

 今こうして自分の視界に入る光景も、拡大すれば素粒子が引き寄せ合ったり、ぶつかったり、発生したり、消滅したりしているだけなのだ。

 それがどうして目の前の狭い路地を、スピード違反のスポーツカーが暴走していることに結びつくのかわからないが、赤いオープンカーが走っているのは事実だった。


 彼は日本での交通ルール通り、道路の右寄りを歩いていたが、住宅街の路地で、歩道はおろか白線の仕切りもないので、衝突される危険性がかなり高い。

 ボディを真っ赤にペイントしたスポーツカーは、向かい側から彼のほうめがけて突っ込んでくる。彼は反射的に右側の塀に体を張り付けるようによけた。それで車は彼に接触することなく、後方に向かった。すれ違うとき、風を感じた気がした。


 後方でズゴーンという嫌な音がした。彼は後ろを振り向いた。 


 車は電柱に衝突していた。それ以上に彼の目を引いたのは、人が二人倒れていたことだった。人を撥ねた暴走車は、そのまま電柱に突っ込み、運転手を車外に放り出したのだ。

 彼は、すぐに近くに倒れている被害者のところに駆け寄った。加害者である運転手は後回しでいい。 


 紺色のワンピースを着た女性が仰向けに倒れている。口の中を噛んだのか、胃や喉などから出血してるのかわからないが、口の右端から血がたれている。


「そんな……」

 彼は言葉を失った。仰向けに倒れていたのは妻のハルミだった。

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