天使たちの落日

@kkb

第一部 イデアのアウトプット 1 宇宙はコンピューターゲーム(1)

「この極めて美しい太陽、惑星、彗星の体系は、知的で強力な存在の計画と統治により発生した。……主なる神、宇宙の支配者と呼ぶべきこの存在は全てを支配する」

                             アイザック・ニュートン「プリンキピア」




「だから~、まとめると、この世の中の仕組みは、世間の常識や、少し前まで私の考えていたことと違うってことなの!」


 私大で物理学を教えている妻のハルミは、自説を宣っていくうちに興奮し、そう叫んだ。それに対し、ゲームプログラマーである夫の京は次のように整理した。


「君の話をまとめると、この宇宙はゲームソフトと同じようにプログラムで動いていて、目に見える世界は、プログラムの計算結果を三次元映像として描画した一種の仮想現実にすぎない。我々、少なくとも人間は、その仮想現実を現実だと錯覚しているが、実体はプログラムによって描かれたコンピュータグラフィックスだったというわけだ。


 ゲームのキャラが自分と自分のいる世界を動かしているプログラムを認識できないように、我々も宇宙の本当の正体を知ることができない。もっとわかりやすく言うなら、オンラインゲームのコントローラーが体感型で、ゲームキャラが感じている視覚、聴覚、臭覚などの感覚がリアルタイムに伝わり、身体を動かすとゲームのキャラもそのとおりに動いていて、ゲームの参加者は自分がゲームをしていることを忘れてしまっているような状態。


 ゲームオーバーでゲームキャラが死んでも、プレイヤーは別のキャラでゲームを再開できるように、映像キャラにすぎない肉体が滅んでも、それを操作している本体は相変わらず活動していて、生まれ変わりの現象が起きる」

 彼は頭の中で、着ぐるみのように全身を覆う究極のゲームコントローラーをイメージした。

「で、それらのプログラムは最初から存在しているのか、自然に発生したわけ? 僕の仕事がゲーム屋だからって、そこまで自分を曲げなくてもいいよ。自然に発生したのか、それとも何らかの知的な存在によって創造されたのか。どう思う?」

「え~と」

 彼女は夫が指摘したことに対し、すぐには答えない。

「それはつまり……」


 彼女は、黒縁メガネをかけているが、外見からは知的に見えない。かなりのインドア派なのに色黒で、眉毛の濃い情熱的な顔立ち。純粋な日本人だが、東南アジアの血が入っているとよく勘違いされる。大食漢で、自分の外見を気にしない割には、スタイルが良い。それに対し、京はその名から連想できるように、都の公家を思わせる色白でのっぺりした顔立ち。実際、仕草は優雅に見える。しかし、かなり口が悪い。


 二人とも三十六歳で、大学の同級生だった。物理専攻で、京は普通に卒業してゲーム開発の会社に就職し、彼女はそのまま母校に残り、専門の数理物理の研究に加え、情報工学の講義も一部受け持っている。


 京が卒業した二年後に結婚。結婚して十年以上経つが子供はいない。江戸川区にローンで購入した2LDKマンションのリビングは二人で暮らすには充分な広さだ。通りに面した窓は大きいが、五階から見える景色は凡庸な街並みばかり。日曜の午後三時というのに、夫のほうは帰宅が午前三時と遅く、ついさきほど目覚めたところだ。妻のハルミは春休みで授業がなく、研究に没頭しがちで、いよいよ浮き世離れしている。


 最近はゲームを一本作るにも膨大な作業が発生するようになっている。これはコンピュータの高性能化に伴うもので、特にグラフィック性能の向上は著しい。ゲーム機やパソコン、タブレット、携帯電話にまで、一般の計算を行うCPUの他に、GPUと呼ばれる描画専用の半導体が組み込まれている。それで、このところ生活が不規則になりがちな京は、妻とささいなことで口論をする。


 彼女は、宇宙を動かすプログラムについての質問に、結論を出せず、

「今の段階ではわからない。でも、神様がもしいるなら、プログラムをコーディングした存在がそうなのかもしれない」とかわした。


「これは驚いた。物理学者が神の存在を信じるわけ」

「私だってひげをはやした老人が、薬草から抽出した液体をフラスコで混ぜて、宇宙を創ったなんて思ってるわけじゃない。だけど、この宇宙はわからないことばかり。もう単純なニュートン力学の時代じゃないから。そのニュートンだって、本当は神秘主義者で、オカルトがかった人物だったし。科学者というより、錬金術や黙示録の研究家だったんだから」

 マクロ経済学で有名なケインズは、ニュートンのことを最後の魔術師と表現している。


「ネイピアだって数学者や物理学者というより宗教家って言われてて、黙示録の研究からローマ法王が悪魔だって数学的に証明したみたい。ネイピアによると最後の審判は1688年。指数も知らない時代にいきなり対数を考え出したり、小数点最初に使った人って言われてて、大砲や戦車も作ったみたい。かなりの天才だったのは間違いない。


 そんな天才でもノストラダマスのインチキ大予言みたいに大外れ。ネイピア数はオイラーが考えたから使わなかったはずだけど。ひょっとして、ネイピア数わからない? 小文字のeってよく使うよね。十のべき乗じゃなくて、微積分で使うあれ。ネイピア数の定義はn足すn分の1カッコのn乗のnを無限大で、2.71828……きりがないからこれ以上言わない。本当は記憶してないんだけど。


 どうしても私には、素粒子が相互作用するだけで、今のこの社会ができたなんて思えないの。電子やニュートリノが規則正しく運動した結果、あなたと私がこうしてここで話しているの? 経済も政治も文化もスポーツも素粒子の仕業なの? 何らかの意思みたいなものが働かないで、こんな風に世界が成りたつの?

 ブロックでできたおもちゃのお城があるとするでしょ。ブロックが勝手に動き回って、おもちゃのお城ができるなんてありえないでしょ。どこかの子供が作ったはずよね。ブロックを素粒子、おもちゃのお城が本物の城だとして、素粒子が動き回るだけで、ヨーロッパの城が出来るのかってこと」


 彼女が、宇宙が情報を映像化した仮想現実だと考えるようになったのは、量子もつれに対して独自の見解を持ったことが原因だった。

 量子もつれ(量子エンタングルメント)とは、量子力学における離れて存在する粒子間に媒介なしに働く相互作用のことで、異なる場所で間に介在する物質が存在しないのに、遠隔作用が起きるという不思議な性質を持つ。


 光子の偏光には垂直と水平という二つの状態がある。「重ね合わせ」と呼ばれる両方の性質を同時に持つことができるが、観察するとどちらかに確定される。重ね合わせ状態にある光子を分裂させ、片方を観察すると、その瞬間にもう片方が逆の状態に確定される。 間に介在する物質の存在なしに、二つの粒子の相互作用が起きたことになり、しかも光の速度を超えて一瞬で伝わるという説明しにくい状況で、アインシュタインは奇怪な遠隔作用と呼んだ。それは離れて暮らす双子に偶然の一致が多く見られる現象に似ている。


 彼女はこの現象に対し、次のように考えた。

 情報といえど光の速度を超えることはありえず、二つの粒子間で情報(を持った別の粒子)が転送されたのではない。

 もともとひとつの粒子だった量子もつれペアが、同時に反応を起こしたということは、粒子が二つに分かれても、ペア粒子に関連する情報はひとつのままだということだ。

 二つの粒子は同じ情報を参照して作られている。それは量子もつれペアに限ったことではない。

 すべての物質は情報を参照にしている。

 すべての量子は情報をもとにリアルタイムで製造される。

 その情報は、物質宇宙とは異なる別の次元に存在する。

 情報のありかは、宇宙とは別の次元なので観察できない。

 コンピュータゲームのキャラクターが、自分を動かしているプログラムやコンピュータを観察できないように。


 宇宙は、コンピュータが描画するシュミレーション映像?


 宇宙全体が映像。そう、宇宙はコンピューターグラフィックスだった。


 どこにそんな超巨大コンピュータがあるというのだ。もしそれが存在するなら、きっと神のような存在に違いない。


 神自身がコンピュータなのだ。


 あまりのコペルニクス的展開に、彼女自身も百パーセント確信しているわけではない。だから自分の夫にしか話していない。


 その夫といえば、

「はあ、なに言ってるんだか」とためいきをつくばかりだった。それでも彼女は理解を得ようと訴える。


「私の言いたいのは、素粒子が飛び回ってるだけで、現在の宇宙が成立できるんですか、ということ。ビッグバンで素粒子が発生して、それが衝突して原子ができて、その原子が衝突して分子ができて、恒星や生物の進化にまでつながるってわけ? 


 私がこうして呼吸しているのも、素粒子の活動によって引き起こされた偶然の産物なの? そのための前提条件だけでもすごいわよ。


 分子の集合体であるガスが引き寄せ合って恒星ができて、恒星から惑星が分離して、惑星のひとつ地球に他の惑星がぶつかって地球の引力が大気を引きつけるのにちょうどよくなり、その時の衝突でできた月の引力で、不安定だった地球の自転と公転が安定して、地球に水、酸素、二酸化炭素、窒素ができて、宇宙放射線が遮られ、水と塩分と炭素の加減でバクテリアが発生して、ちょうどいい温度だったので、それが植物に進化し、植物の中で動くものが動物になり、大陸変動で山と川ができ、海の生存競争が激しくなって動物の一種魚が川に逃げ、ちょうどその頃川辺に樹木が生え、それがたまたま枝と葉を同時に落とす種だったので、川に栄養と魚の隠れ家ができ、水中の枝をどけるため、ひれが手足に進化し、水不足で酸欠から肺呼吸をし、魚が上陸し両生類になり、その中から卵を産まないものがほ乳類に進化し、被子植物の果実をとるため、手がものを握るように進化し、サル族のなかから二足歩行するものが現れ人類になり、アフリカ大陸が住みにくくなり、脱アフリカ組の一部が極東の島に到着。

 何十世代目かの子孫が私。あなたがゲーム会社に就職したのも、スーパーで野菜が値下げされるのも、単純な素粒子の働きの産物なの?


 これって、どこかでそうなるように決められていた。知的生物を育む計画があって、それが三次元の映像として表現されているんじゃないの?


 いい? この宇宙には素粒子の活動以外ないわけ。すべてのものが素粒子でできているどころじゃなくて、デモクリトスの言うように、この宇宙で起きているすべての現象は、素粒子の運動が組合わさった結果なの。テレビやコンピュータのディスプレイを拡大すれば三原色の規則正しい配列になるけど、この世の中を拡大していくと、素粒子から成り立っていることがわかる。それは即ち、この世の中が、テレビやディスプレイのような映像にすぎないということを意味していると思わない? あなた、自分が素粒子の集合体だって自覚少しでもある?


 生物の進化だって不思議なことだらけ。環境に適応することで進化するんだけど、脳みそもほとんどないような生き物が、どこでどう判断してるの?」


 彼女は、知能の劣った生物が、人間が考えても思いつかないような、合理的で賢い進化を遂げることにかねてから疑問を抱いていた。進化に必要な情報の取得と、そこから進化の方向性を打ち出し、自らの身体を変えていく能力は驚異以外の何者でもない。


 蜂などの昆虫の存在を知った裸子植物が、昆虫の体に花粉を付けることによる受粉の仕組みを考え出して、昆虫をおびきよせる派手で蜜を出す花を咲かせる被子植物になったのだろうか?


 アカシアという植物は、アリに樹液を供給するかわりに、アリに自分たちのために働いてもらう共生関係にある。その樹液に他の樹液を摂取できなくなる酵素がふくまれており、アリを奴隷として拘束する。アリの体に他の植物の樹液が受け付けなくなるような酵素をアカシアという思考のない植物が作ったのだ。もう少し詳しくいうと、アリの体内にあるインベルターゼという糖分を分解する酵素を不活性化するキチナーゼという酵素を作り出すようになった。アカシアの細胞の中に超優秀な研究チームがいるわけもないのに。


 ピーコックという蝿は、二枚の透明な羽根にどうみても蟻にしかみえない模様ができている。デフォルメされたようなデタラメな図柄ではなく、本物そっくりだ。自分の羽根の模様をそのように進化させるに至った判断やそのようにできる仕組みは?


 オランウータンの頬の出っ張りは強い雄だけのものだ。出っ張りのある雄と喧嘩して勝つと、出っ張って来る。喧嘩して勝ったという認識をすることで、脳が頬に大きくなるよう命令をしたのか。本能とか淘汰などといった曖昧な言葉でごまかさず、徹底的に自分の頭で考えると、わけがわからなくなっていた。


 生物の進化以上に謎だったのは、物理学が導き出した数式の存在だ。

「それにどうして全ての物理現象は数式通りに起こるの? モノが落ちる速度も、熱が伝わる速度もそう。その数式ってどこにあるの? 数式自体は存在しないのに、素粒子が偶然組み合わさってできたまぐれの物体に、数式通りに動く性質が自動配備されるわけ?


 ガリレオだっていっているでしょ。数学は神が宇宙を書くときのアルファベットだ。宇宙は数学という言語で書かれている。その記号は三角形や円、その他幾何学図形である。それなしでは人は暗い迷路を無駄に彷徨うって。プラトンだってこの世界はイデアの影とか、神のことを、宇宙全体の上にある至高の完全な存在といっているわ」


「あれじゃないのか。君のよくいうコンパクトされた六次元にその数式があるんだよ」


 超弦理論では、極小のヒモが振動することで素粒子ができるという説明をしている。この理論が成立するには、空間に時間を加えた四次元だけでは足りず、他に六次元必要になる。どこにそんなものがあるのかと問われれば、コンパクト化されているために観測できないそうだ。

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