第48話

「って、こっちに来るわけ!?」

 ミネットは驚愕の声を上げると、宝石を拾い上げると同時に大きく横へ飛び退いた。その一瞬後に鋭い爪が振り下ろされて、石の床を易々と削り取る。

 しかしそれでも禍は止まらず、すぐさまミネットを追った。

 巨体のリーチを活かし、ミネットが逃げ切らないうちに身体を回転させるように腕を薙ぎ払い、次いで下からすくい上げる。さらにはそれによる反動を利用して、身体を前へと押し出すようにしながら最大射程の突きを放つ。

「ひああああああああっ!」

 ミネットは悲鳴を上げていた。

 だがそれは逆に、どの攻撃も避けきったことを示していた。

 猫族の身軽さによって、薙ぎ払われればしゃがみ込み、すくい上げられれば身を翻し、打突に関してはその場で飛び上がって強靭な怪物の腕に乗ると、振り払ってくる勢いを利用して頭上を飛び越えてみせた。

 瞬間、凶暴に狂う狼の顔面が、自分の頭上を舞う標的に噛み付こうと巨大な狼の口を広げたが、咄嗟に身をひねることで、空中で釘付けにされることだけは防ぐことができた。

 ただしその時、ミネットから別の悲鳴が上がった。

「ぎゃうっ!?」

 それは声というより、ほとんど動物的な音に近かった。

 ミネットはそれと共に地面に落下した。猫族には珍しく、受身が取れていない。その理由を、端で見ていたジンはすぐに理解した。

 彼女の羽織るジャケットの肩口が、一部削り取られているのだ。

 その下に見える肌というか虎柄の体毛に、じわじわと赤色が広がっていくのが見える。

「ミネット!」

 ジンは慌てて駆け寄ろうとしたが、身体が上手く動かなかった。斧によっていくらか軽減したとはいえ、全身に浅からぬ打撲を負っているらしい。

 もっともミネットも、致命傷ではないまでも、受身が取れないほどには深い痛みを与えるものには違いなかった。傷口を押さえる彼女の手も、すぐさま赤く染まっていく。

 ずどんっと音と床の揺れが響いたのは、禍が彼女を踏みつけようとしたためだった。

 幸いにして、彼女は身体を転がしてそこから逃れていたようだが。

「ミネット! ここはおいらが――」

「あんたはこれを持ってなさい!」

 横から駆けつけようとしたのはキュルだったが。

 ミネットはそちらをちらりと一瞥すると半ば拒否の声を上げ、その代わりに傷付いた腕で赤く輝く石を放り投げた。

 そして両手が自由になるとジャケットを脱ぎ捨て、怪物と向き合って構えを取る。

 その意図を理解して、今度はキュルが声を張り上げる番だった。

「って、戦うならおいらの出番っすよ!」

「うっさい! あたしじゃ、ボスを抱えて逃げられないでしょ!」

 即座に、ミネットが怒鳴り返す。震える喉を押さえつけるような声音で。

「わかったらさっさと行きなさいよ! あと、その宝石は絶対に落とすんじゃないわよ。ボスがあれだけ喜んでたものなんだから、地味でも絶対に持ち帰りなさい!」

 それに対してキュルは、反論すべきかどうか逡巡を見せた。

 が、禍が吼え、動き出したのを見て決断する。

「……わかったっすよ!」

「お、おい、お前ら――」

 ジンが半ば呆気に取られる中、キュルは動き出した怪物の背後へ回り込むように駆けた。

 そうして迂回しながら、ジンの元へと走ってこようとする。

「さあ、来なさいよ!」

 ミネットが気迫の声を上げ、決死の顔で禍を迎え撃ち――

 しかし。

「ッガアアアアアアア!」

 禍は一度声を上げると、唐突に身体の向きを変え、キュルの方へと襲い掛かった。

「って、そっちに行くわけ!?」

「こっちに来るんすか!?」

 怪物が獣人に追いつくには、一瞬だけで十分だった。それで腕の範囲内へと収めると、すぐさま背中から斬り付けるような爪の一撃を放つ。

 キュルは辛うじて、長身の必死に頭を下げることでそれを避けたようだった。しかし直後、通り過ぎたはずの突風が、信じがたいほどの器用さでもって折り返し、身を屈めたキュルの身体を手の甲で殴り付けた。

 それに抵抗することなどできず、ジンのように弾き飛ばされ、ジンとは逆の壁に激突する。それでもキュルは持ち前の頑丈さによってすぐに立ち上がったものの、彼にしても対抗できないのは明白だった。

 禍はさらに、キュルへ向かって地を蹴った。

「あたしを無視するんじゃないわよ!」

 その時、ミネットが横から飛びかかったが――怪物には全く無視されることになった。

 彼女の爪は怪物の分厚い上に針のような体毛と、その下にある鉄のように硬い皮膚とに阻まれ、禍が何をせずとも弾かれてしまったのである。

 そうする間に、禍は壁際に到達すると、その腕を真っ直ぐに突き下ろした。

 今度もキュルは、その最初の一撃を避けることが可能だった。しかし今度も、続くものは避け切れなかった。というより、禍はそもそも腕によってキュルを貫こうとはしていなかったらしい。それが標的としていたのは、背後にある壁だった。そこに抉り込ませた腕を無理矢理に振り払い、石の礫をキュルの背に投げつけたのである。

 背中にはリュックを背負ってたが、斧もランプもなく、大したお宝も手に入れていない現状では、単なる厚手の布と変わらないだろう。おかげでほとんど息を詰まらせるように、キュルは背中を仰け反らせて弾き飛ばされ、床に転がった。

 そこへ入れ替わるか、身代わりになるかのようにミネットが再び飛びかかったが……

 今度は攻撃を行うよりも早く、煩わしい虫にでも対するように払い除けられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る