第47話

 その微動は、しかし今度はジンだけではない。キュルもミネットも同じものを感じ取ったらしく、きょとんと硬直して顔を見合わせてくる。

 それは最初、一度だけ。しかしすぐに二度目が起こり、三度目、四度目と連続して確かな振動が身体に伝わってきたのだ。

 そして同時に、音が聞こえた。

 微動による軋みや、鳴動の類もあったが、それだけではない。もっと別の、おぞましい事実を暗示しているような音だ。

 具体的に言えば、例えば深い地底で天井を殴り続けているような、そんな音だった。

「なあ……ミネット?」

「……ええ」

 ジンが呼びかけると、彼女は隙間を通り抜けようとするままで頷いてきた。

 何が言いたいのかは理解しているのだろう。

 ただ、それを実行することができずにいるのだ。彼女は――ジンもキュルもだが――硬直したまま向き直り、そちらをただじっと見つめていた。

 音が大きくなり、揺れも大きくなる。そして……やがて。

 どばんっ! と一際大きな、石の海に身体を叩き付けるような音が鳴り響いた。

 同時に陥没した穴の中から噴水のように瓦礫が噴き上がったかと思うと、その中に一つ、明らかに瓦礫ではない巨大な黒い影が一緒になって飛び出してきた。

 それはけたたましい着地音と共に、三人と同じ床の上に降り立った。

 全身を血塗れにした、狼のような猪のような、不気味な姿の怪物――禍が。

「また出たああああああああ!」

「早く行けええええええええ!」

「わかってるわよおおおおお!」

 キュルが叫び、ジンが叫び、ミネットも叫び。

 三人はほとんど一斉に、出入り口の隙間へと殺到した。

 そして半ば詰まりながら、辛うじて通路へ転がり出る。直後。

 出入り口を塞いでいた瓦礫が室内から吹き飛ばされ、三人はそのまま文字通り、通路上をも転がることになった。

 しかしそれでも、さほど大きく離れることができたわけでもない。

 急ぎ起き上がって振り返ると、通路の上に新たな砂利道を作り出す石の砕片と、その先――まだ人の足でも軽く走るだけで届きそうな距離に、もはや元が壁であったことさえ忘れそうなほど、大きく空いた穴が見えた。

 そしてその奥に、土煙に紛れて今まさにそこから抜け出してくる巨大な生物の姿がある。

 大口を開けて吼え猛る音声が、ジンたちに耳を塞がせた。その間に、自らの巨体が通るのに邪魔な、天井付近に残った壁の一部を噛み砕いてみせる。

 そうやって石をも無頓着に飲み下し、禍は完全に姿を見せた。

 やはり全身が血塗れで、異様な色彩になっている。しかしそれ以上に、怪物は全身に生えた棘のような黒い体毛を逆立たせ、ただでさえ鋭かった眼光をさらに暴悪なものへと変え、もう一度牙を剥き出しにした大口で、それ自体が攻撃であるかのように吼え猛った。

 実際、それは耳を塞がない限りは三半規管をやられそうだったし、ひび割れた壁や天井が音波によって軋み、砂粒をぱらぱらと舞わせたほどだった。

 三人は身体を起こした格好で硬直して冷や汗を流し、呟き合う。

「な、なんか今までよりも怒ってないか?」

「生き埋めにされたら誰だって怒るっすよ」

「そういう問題じゃないと思うけど……」

 禍が地を蹴った。

 その瞬間、三人はそれぞれ悲鳴を上げながら、慌ててその場から飛び退く。獣人たちはそれぞれ左右へと、そしてジンは通路の先へと逃げ出して――

 禍が追ってきたのはジンだった。

「まさかあの時の挑発に怒ってんのか!? あれはほら、冗談だって!」

 必死に叫ぶが、元よりそれも通じるとは思っていなかった。

 広さはあるが真っ直ぐな通路で、まして痛みと疲労に喘ぐ人間が逃げられるはずもない。すぐさま追いつかれると、ジンは自分の背後で怪物の腕が振り上げられるのを感じた。

「くそ! こうなりゃ……やってやらあ!」

 禍の巨大な足が完全に自分の一歩手前にまで迫り、逃げ切れないことを悟った瞬間、自分はその場に留まって身体を反転させた。その回転と同時に、逃げ出す直前にキュルのリュックから、ほとんど盗むようにして取り出していた黄色の斧を振り回す。

 怪物の腕が薙がれる。ジンはその拳に向かって刃を突き立て――

 圧倒的な腕力によって薙ぎ払われた。そしてそのまま壁の方まで吹き飛ばされて、

「あぶなーい!」

 直前。その間に滑り込んできたのはミネットだった。横から体当たりする形で身体を抱き留め、壁の激突を寸前で防ぐと、ごろごろと数度ほど回転してから止まる。

「ちょっと、ボス! 何やってんのよ!?」

「斧のおかげで、ちったぁ防げたみたいだな……」

 非難めいた声を上げてくる部下に、ぎしぎしと軋む筋肉をどうにか動かし、苦笑する。

 黄色の斧は、禍の手に突き立てられたまま残っていた。禍がそれを嫌がって引き抜くと、血が滴るのが見える。斧は八つ当たりのように投げ捨てられ、踏み潰されたようだったが。

 その時、ミネットがふと気付いた。

「って……ボス、さっきの宝石!」

「え?」

 気付けばそれは、手の中に残っていなかった。斧を振り回した時か、吹き飛ばされた時に落ちたのだろう。ミネットは、それが通路の先に転がっているのを発見していた。

「あれだけ苦労したんだから、意地でも持って帰るわよ!」

 そう言って、ミネットは秘宝のもとへ駆け寄ったが――

「グルォァアアアアアアアア!」

 禍は再び吼えると、今度はミネットに向かって突進し始めた。

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