五章

第32話

■5

 滝が地面に染み込んでいくだけとなった、巨大植物の潜んでいた部屋の奥には壊れた扉があり、先へと進む通路が伸びていた。

 もちろんそれもいくつかの分かれ道を有しており、別の通路と繋がっていそうではあったが……危険を冒して植物を消し炭にする必要性などなかったという事実を突き付けられるのが嫌で、誰も調べようとはしなかった。

 そうして可能な限り他と繋がらない、奥地へと進む道を選んでいく。

 相も変わらず石造りの、鬱屈とした狭苦しい空間である。ジンたちが歩くには、一列に並ばなければならなかった。床の近くには微かに苔のようなものが見えたが、それはあの巨大植物が、それだけ長くあの部屋で水を蓄え、僅かに溢れさせていたという証だろう。

 おかげで多少の黴臭さもあったが、元々の異臭に加え、植物の焼け落ちる悪臭も漂っているのだから、いまさら気にしたことでもない。注意すべきは足を滑らせないことと、迂闊なスイッチを踏まないことくらいだ。

(けど、思えばその手の罠があったの一箇所だけなんだよな。水責めは罠じゃなかったわけだし。どうもこの遺跡は全体的にちぐはぐというか、場当たり的というか……手当たり次第に色んなものをくっ付けただけって感じがするんだよなあ)

 ジンは考え、おかげでますますもって遺跡の正体がわからなくなっていく。ジンの頭の中に浮かぶのはなんとも気軽なものだったが、実際にその身に受けたものは、遺跡という雰囲気も相まって荘厳で、後ろ暗い気配を持っているように思えた。

 両腕を広げきることもできないという通路で、ジンは首をひねって腕を組んだ。

 しかしそうしているうちに――それはやがて両腕どころではない広間へと変わった。

「な、なんすか、これ?」

 通路からその広間へと入り込み、キュルが思わず声を上げる。

 そこは巨大な円形をしていた。というのも、ジンたちの目線の高さには全方位に分厚い石壁が並び、それが円形を形作っていたためである。

 そしてそれは擁壁として、上には階段状の観客席のようなものが並んでいた。

「闘技場、ってこと?」

 ミネットが呟く。その推測はほぼ間違いないように思われた。

 広間には重たい土が敷き詰められており、かなりの箇所に凹凸が見られる。そこにまさか手や指、足の跡などが残っているわけではないが、それでも戦闘の痕跡のようなものには違いないようだった。壁には、場内を照らしていたのだろう壊れた燭台が引き千切られた穴や、明らかに何かがぶつかったひび割れがあった。

 目を凝らせば壁の上にある観客めいた場所にも、破壊痕や汚らしい染みが見える。さらに、広間の入り口には元々鉄格子が嵌められていたらしいが、今はそれが上部からひしゃげて折れ、近くの土の上に転がっていた。広間の中を見回すほど、そこに立ち込める凄惨な、そして一種熱狂的な戦いの気配というものを、まざまざと見せ付けられるようだった。

 それを最も端的に表していると思えたのは、広間の中央に立つ一対の石像だった。

 獣人ともまた違う、奇怪な生物の姿をした像である。

 それは伝説の中だけで語られる、リザードマンのようでもあった。ただし頭部の形状はトカゲというよりも獰猛な巨大ワニであり、長い口に鋭い牙が無数に生えている。僅かに突き出た目は宝石でも用いているのか、異様に煌く真紅の色に染まっていた。

 身体はなおのこと奇怪であり、多くは剣を扱うリザードマンのように武器を所持していない代わりに、肘から先がそのまま分厚い剣の刃となっている。

 黄変した奇怪な色合いの体表にはびっしりと生々しい鱗が作られ、全ての筋肉がしなやかさを想像させ、同時に今にも動き出しそうな躍動感と現実味を帯び、果ては見えるはずもない、また作られているはずもない、体内の骨や臓器までをも想像させるほどだった。

 あるいはそうまで感じたのは、その石像が右腕の刃を振り払い、もう一体の同じような形状をした石像の上半身を薙ぎ倒した姿をしているからかもしれなかった。

 実際、そちらの石像は胴体の半ばから砕け、上半身を土の上に横たわらせている。

 一対でありながらも、そこには生と死のような明暗が別れていた。それが奇妙なまでの生命力を感じさせると同時に、闘技場としての存在そのものを暗示していたのだ。

「なんか……怖いわね、これ」

 ミネットが遠巻きに石像を見ながら、呟く。ジンもそれに頷き、不快に顔をしかめた。

「とりあえず、向かいの奥に別の通路があるみたいだし、そっちに行ってみるか。あんまりここに長居はしたくねえな」

「えー、そんなのもったいないっすよー」

 と、反駁したのはキュルだった。

「だってほら、こんな変な石像見たことないっすから、きっとすごいお宝っすよ? あの電気の像よりもっと高く売れそうじゃないっすか!」

「そりゃそうかもしれんが……だとしてもどうやって持ち帰るんだよ。そんなでかいの」

 像は少なくとも、大柄であるキュルと同じほどの体格をしていた。まして石の塊など、三人がかりでも運ぶのは困難極まりないだろう。

 しかしそれでもなお、キュルは食い下がってきた。

「荷車とか、運ぶ道具を持ってくれば大丈夫じゃないっすか?」

「面倒だから、先を見てからだな」

(どうせそれは『エクセリス』でもねえし)

 とジンは胸中で付け加えたが。

「じゃあ、じゃあ、せめて目のところの宝石だけでも持って行きましょうよぅ」

「しつけえな。そんなに執着することか?」

「だって今までなんにもお宝がないじゃないっすかー。つまんないっすよー」

 言われて、ジンはバツ悪そうに口を尖らせた。元々、大秘宝『エクセリス』以外のお宝などどうでもいいのだが、それを手に入れるまえに獣人たちに反旗を翻されたら面倒だ。

 実際、ミネットの方もそこには多少不満を抱いている様子ではあった。

「そりゃあ、まあ……けど、その目だってどうやって取るんだよ」

「なんか簡単に抜けないっすかね?」

 キュルは無造作に石像へ歩み寄ると、倒れている方にしゃがみ込んだ。

 が、どうやらそちらの目には何も入っていなかったらしい。

 というより、頭部の眼球の周囲が砕かれていたらしい。それを確認してから残念そうに肩をすくめると、立っている方へと狙いを変える。

「ちょっと引っ張れば、案外簡単に抜けそうじゃないっすか? こうやって――」

 と――キュルが石像の目に触れた瞬間。

「イ……ノチ……セイ……メイ……」

 声が。低く、曖昧な、石を挽くような声が聞こえてきた。

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