第33話

 ジンは一瞬、幻聴かとも思った。以前のような風のうねる音が、そう聞こえただけかと。

 しかし獣人のふたりも同じようにきょとんとして、顔を合わせてくるのを見て、それが確かなものであると理解する。

 ただしどこから聞こえるのかを特定することができなかった。人間であるジンよりも遥かに聴力に優れた獣人たちですら、それを探ってきょろきょろと辺りを見回している。

 いや――それは少し違うのだろうと、ジンは察した。

「イノ……チ……イ、キル……モノ……」

「石像――」

 思わず呟く。その声は紛れもなく、ワニの石像から聞こえてくるものだった。

 ただし石像が顎を動かして喋っているのではない。それは例えば、石像の意志が音として辺りに立ち込めたような、不可解なものだったのだ。

 もちろんそれは、石像が喋るなどということと同じくらいに現実味がなく、そうでないと思ったジン自身ですら、到底信用できなかった。それならばまだ、喋る石像の方がよほど考えられるに違いない。

 付け加えるのなら、最も考えられるのはそれが単純な石像ではなく、石像のように見えるなんらかの”生物”である可能性だったが――

 まさか、ジンがそう考えてしまったから、というわけではないだろう。

 石像がみしみしと、石の擦れる音を立て始めたのである。

「お、親分……これって、ひょっとして……」

 青ざめた小声で、キュルが石像の眼前に立ったまま囁きかけてくる。

 しかしそれを遮るように、言ってきたのは隣に立つミネットだった。顔はきつく引きつらせながらも、声だけはなんということもない、世間話でもするような調子で。

「……ねえ、ボス? あたしたち、早く先に進みたがってたわよね?」

「あ、ああ……まあ」

「じゃあキュルのことはさておいて、さっさと行きましょうよ。あたし、この石像にはあんまり価値がないと思うのよ。だからきっと無視した方がいいわ」

 腕を引かれ、ジンは視線を彼女と、蒼白ですがるな顔をしたキュルとの間で往復させて、

「……そうだな!」

「親分んんんんんんん!?」

 決意した途端、飛びついてきたのはキュルだった。

「今絶対、おいらを見捨てようとしたっすよね!? ひどいじゃないっすかー!」

「うわ、馬鹿! 大声出すな! 声でどうにかなるのかは知らんけど、こういう時はたいてい静かにだな――」

 なだめようとするが、彼は聞かなかった。それよりも涙目で叫んでくる。

「だって親分がおいらのことをー!」

「あ、あれは俺じゃなくてミネットが誘惑してきただけだ!」

「なっ!? ゆ、ゆゆ、誘惑なんてしてないわよ! 別にあたしはふたりきりとか、そういうこと考えたんじゃなくて、ただボスが心配というか、その、とにかく違うわよー!」

「だからお前も大声を出すなっての!」

「親分だってさっきから大声っすよー!」

 などと。騒いでいたせいかはわからないが。その中にまた、声が響いた。

「ケ、モノ……ニンゲ、ン……イキ、ル……!」

 先ほど以上に力と、熱狂的なものが篭った声だ。

 同時に石臼を回すような、石の激しく擦れ合う音。

 それを耳にして三人は、顔を見合わせたまま完全に沈黙した。

 そして恐る恐る顔を上げる。本当は見たくもなかったが、そうしなければならなかった。ランプの光が何かに反射して、ジンの身体へと返ってきているのだ。

「…………」

 三人はそちらを見た。そして確認した。

 紛れもなく――ワニの顔をした石像の顔が、自分たちの方へ向き直っていることを。

「怒ってる、っすかね……?」

「そ、そうね……きっと騒がしかったからよ」

「それじゃあ、えぇと……俺たちは静かに帰りますんで……」

 ジンたちは引きつった笑みを浮かべつつ、忍び足でゆっくりと石像から遠ざかっていく。

 しかしそれと一緒に、石像の首も追いかけるようにゆっくりと動いて――

「ツヨ、イ……セイ、メイ……セイメ、イヲ……ッ!」

 石が吼えて。首を回す不愉快な軋む音は突如、土を踏みしめ蹴り付ける音へと変化した。

 その動きが異様なほど――石像とは思えぬほど俊敏だったことに、ジンたちはそれでも備えが全くないというわけでもなかった。

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