第6話

「くそ、こんなところで捕まってられるか!」

 警備が集まってくる中、ジンは毒づき――しかし真っ先に行ったのは駆け出すことではなく、目の前にある台の脚を蹴り壊すことだった。

 ばぎんっ! と細い木材が砕ける音を立てて、台の脚はあっさりと中ほどから折れた。ジンはそれを受け止めると、キュルに向かって放る。

「って、壊しちゃダメって言ったじゃないっすかあ!」

「ケースは壊してねえからいいんだよ!」

「なんとなく、似たような話を聞いたことがある気がするわ」

 ともかくジンはすぐさまふたりの首根っこを掴むと、急ぎ階下へと向かった。

 階段の下には警備兵が待ち伏せしていたため、途中で手すりを乗り越えて飛び降り、足の痺れに耐えながら窓際まで駆けていく。そのまま窓から逃げ出そうとしたのだが――

「……『窓から出入りするの禁止』?」

 カーテンには、そう書かれた貼り紙がされていた。奇妙な四角い白抜きのデザインに見えたのは、これのせいだったらしい。

「あ、やっぱり禁止されてるっすよ! どうするんすか!?」

「くそ、この無駄真面目馬鹿!」

 毒づき、振り返る。その頃には最初のふたりだけでなく、ホールの奥、あるいは入り口からもさらに別の警備兵が駆け付け、数を二十近くにしようとしていた。

 それらによって包囲され、窓際に追い詰められているのだ。

 もっとも自分だけ逃げることは容易だった。窓を割ってしまえばいい。しかしそうしたところで、少なくともキュルはそこから逃げることを躊躇い、捕まるだろう。

(こいつらは所詮、獣人だ。捕まったところで俺には関係ない――)

 ジンはそれを胸中で呟いた。

 自分たち人間を迫害し続ける獣人。それと手を組んだのは、他でもなく利用するためだ。

 彼らは知能に欠ける分、異様に高い身体能力を得ている。盗賊をする上で、それは少なからず有効なものだった。

 その力を、自分が盗賊稼業をするために使っているだけに過ぎない。なにしろ彼らは憎き仇敵であり、大秘宝を手に入れた暁には、反対に迫害してやろうとする相手なのだから。

(……いや、こいつらが捕まったら、俺のこともバラされる。拠点が使えなくなるのは不便だし、また他の奴を騙して部下にするのも面倒だ。これはえぇと……そう、効率が悪い!)

 自分の胸中に自分で反論して、ジンは決意を固めた。

「お前ら――なんとか逃げ切るぞ」

 囁いて。全員が共に逃げ出すための策を練り始める。

「で、でも、どうやって逃げるんすか?」

「全員倒すってのは……流石に無理そうね」

 数の暴力以前に、ジンは人間であるため、身体能力の面で圧倒的に劣っていた。正面から殴り合うことなどできないし、隙を突いて追い駆けっこに持ち込むのも分が悪いだろう。

 不意を突いて大きく距離を稼ぐか、一時的にでも無力化する必要があった。

(目くらまし、驚かす、怖がらせる……色々と方法はあるにせよ、だ)

 懐を漁りながら歯噛みする。方法はあっても、手段がなかった。

 所持品といえば二本のナイフと、火を灯すためのマッチと、祝杯と飲料を兼ねる――

「……キュル、ミネット、鼻を塞げ!」

 はたと気付き、ジンは自分の左右を固める部下へと声を上げた。

 ふたりとも突然の指示にきょとんとしていたが、

「え? な、なんすか、いきなり?」

「鼻なんかどうするって――」

「いいからさっさとしろ!」

 もう一度言い、自ら片手で強制的にキュルの鼻頭を押さえつける。

 同時にもう片方の手で、ジンは懐から一本の瓶を取り出した。

 飲みかけだった、レモンジュースだ。

「食らいやがれ! 柑橘類臭アターック!」

 叫び。その蓋を開けると同時に、全力で眼前に向かって振り撒く!

 ばしゃっと飛び出た黄色い液体は――最も近くにいた警備兵たちに降り注ぎ、即座に強烈なレモンの芳香を漂わせ始めた。

「な、なんだこれ!?」

「うわっ、くせえ! ちょっと待て、お前、こっち来るな!」

「げほ、げほっ! こいつ、なんてもの持ってやがんだ!?」

 どうやら獣人――というよりも動物自体が苦手としているらしい柑橘類の臭気によって、警備兵たちは一様に鼻と目を押さえ、悶え始めたようだった。

 臭いから逃れようとする兵もおり、包囲は崩れ、明確が隙が生まれる。

「今のうちだ、走れ!」

 それを突き、ジンたちは急ぎ駆け出した。

「ボス、なかなかやるじゃない!」

「流石っすよ! あれじゃあいつら、おしっこかけられたのと同じっす!」

「……その例えはやめろ。もう飲めなくなるから」

 ジンは恨みがましく半眼を向けながら。

 しかしキュルが抱えるガラスケースの輝きに、多少は満足感を抱くのも自覚していた。

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