第5話

 三人が揃って足を止める――その先に見えたのは、やっと辿り着いた中央棟にあるダンスホールの、しかし扉の前に存在する二つの影だった。人型だが、人間ではない。いかにも警備兵らしい、スーツめいた軍服と帽子を被った獣人だ。腰にはレイピアのような細剣を帯びている。

「あいつらをどうにかする必要があるな」

「あの見張り番のこと?」

 横から同じ方向を見据えながら、ミネットは平然と言ってきた。

「それなら別にどうってことないわよ、ボス。というより、何もしなくていいわ」

「どういうことだ?」

「あいつらは――猫族なのよ」

 言われて闇夜に目を凝らせば、確かにミネットと同じ猫らしい顔付きをしているようだ。

 しかしジンはなおさら首をひねる。

「だったら余計にダメじゃねえか? 猫族ってのは夜行性で、夜目も利くだろ」

 が、ミネットは不敵に笑うと、無造作に警備兵の方へと歩き出した。

 止めようとするジンの腕をすり抜けて、気軽な足取りで。

「警備兵なんてやってる猫族は、たいてい無血統の落ちこぼれよ。あんな連中は、夜行性なんて言いながら夜でも寝てるわ」

 そうして彼女は警備兵の真横に立つと、あまつさえ懐から鍵を盗み出して見せた。

 ジンたちもそれに続いてそろりそろりと近付くと、確かに警備兵はふたりとも、壁にもたれかかって寝息を立てているようだった。

 それに素直に感心すると、ミネットはまた得意げに胸を張った。

「猫族に見張りをやらせるってのが無謀なのよ。一箇所に留まる猫族なんて怠け者だけよ」

「おんなじ種族が言うと説得力があるっすねー」

「……何? あたしも無血統の怠け者だって言いたいわけ?」

「ほ、褒めたんすよぅ」

 怒られているキュルを尻目に、ジンはともかく鍵を受け取り、扉を開けた。

 流石に音がすれば警備兵も気付くだろうと、できるだけ慎重に、自分たちの通れる幅だけを作り出して、横向きになりながらホール内へと忍び込む。

 中は、小さな家ならば丸ごと入ってしまうに違いないというほど、広さと高さを持っていた。特に天井付近のシャンデリアには、どうやって火を灯すのかわからない。

 それだけの広さでありながら、あくまでも踊るための場所だからか、壁際にいくつか細い脚のテーブルが置かれているだけで、基本的には何もない。というより、いくつもある大きな窓には全て四角く白抜きされた奇妙なデザインのカーテンが掛かっており、入り口を閉めてしまうと、人間であるジンの目には何も映らなくなった。

 とはいえランプを点けるわけにもいかないので、一つの窓だけカーテンを開ける。星明りと街の灯が窓の形を床に映し出す中、ジンはどうにか目を凝らして目当ての物を探した。

「あれね!」

 と真っ先に声を上げたのは、ミネットだった。駆けていく影を見つけ、追いかける。

 辿り着いたのは、ホールの奥にある短い階段を上った先らしい。

 ホール全体を見下ろせるようになっているのは、王族の見栄に違いない。恐らくは王が、柵の付いたこの一種の壇上に立ち、集まった貴族に講釈を垂れるのだろう。そこに、テーブルを小型化させたような台座があった。こちらはそれほど目をこらすまでもない――

 僅かな光の中でも奇妙なほどに輝くそれは、ガラスケースの中に入った、伝説にあるガラスのパンプスに違いなかったのだ。

「ほんとにあったんすね! じゃあ、邪悪の生物っていうのも……」

「ンなわけねえだろ。この靴があったから、御伽噺が作られたんだよ」

 怯えるキュルに言いながら、ジンはひとまず慎重にケースをじろじろと観察した。

「置きっ放しってことは、なんか厳重な罠でもあるんだろうな」

 少なくとも、電気は流れていないらしい。それを確認すると、次いで各所を撫で回す。

 どこかに鍵穴か、あるいは危険なスイッチでもあるかと思ったのだが――

「……これ、くっ付いてないか?」

 やがて、ジンはぽつりと呟いた。

 どうやらケースには開け口など存在せず、台にぴったりと溶接されているようだった。

 さらに言えば、台も床に固定されており、全く動かすことができないらしい。

「だからここに置きっ放しだったのか!?」

 気付いて、驚きというよりも呆れて声を上げる。

「盗賊の俺が言うのもなんだが、無用心どころじゃねえだろ、これは」

「そうっすか?」

 しかしキュルが、きょとんと言ってくる。

「こうすれば、誰も持っていけないじゃないっすか」

「そりゃそうかもしれんが……ケースを割られたら終わりだろ」

「そんなことしちゃダメっすよ! ほらほら、ここにあるじゃないっすか」

 そう言って、台座に張られていたらしい紙を見せてくる。ガラスの反射に照らしてみると、辛うじてそこに綴られた文字を読むことができた。

 汚い字で、『ケースを割ってはいけません』と書いてある。

 貼り紙の文字が読める、どころかそもそも言葉が通じるのは、獣人が文化を形成する際、人間の言葉を模したからだと言われているが――ともかく。

「よし。とりあえず力いっぱい殴れば割れるだろ。グローブが役に立つな」

「ダメっすよおおおおおっ」

「なんでお前は変なところで真面目なんだよ!?」

 腕にしがみついてくるキュルに、非難の声を上げるジン。

「今まで色んなものを盗んできたし、扉を破って入り込んだこともあっただろうが」

「だってあれは、そんなことしちゃいけませんって書いてなかったじゃないっすか」

「お前の倫理基準はどうなってるんだ……」

「そういえばここは昔、窓から侵入して窓から逃げていった盗賊がいて、それ以来『窓から出入りするの禁止』って貼り紙がされたみたいよ。おかげで盗賊が入らなくなったとか」

 ミネットの補足に、ジンはげんなりと「獣人は馬鹿しかいないのか」と肩を落としたが。

「んじゃ、どうすんだよ。このままじゃ遺跡の電気罠を抜けられねえんだぞ?」

「それはそうっすけど……」

「あ、じゃあ、こういうのはどう?」

 閃いたらしいミネットが目を輝かせ、指を立てて言ってくる。

「伝説に出てくる邪悪な生物を呼び出すのよ。そうすればきっと取り出させてくれるわ」

「そんなことだろうと思ったけど、無理に決まってんだろっ」

 ぴしゃりと告げる。すると今度はキュルの方から声が上がった。

「じゃあ、上手いことがんばってケースを割らずに取り出せばいいんじゃないっすか!?」

「その上手いことがんばる部分を考えてるんだろうが!」

「あたしが靴を縛り上げるから、ボスは靴をケースの中から追い出して――」

「なんかそれ聞いたことあるぞ!?」

「王様にガラスの靴が怖いと言っておけば、意地悪な王様がガラスの靴を――」

「それも聞いたことある!」

 などと騒いでいると……ばんっと、閉めたはずのホールの扉が強く開かれる音が響いた。

 同時に、駆け込んでくる二つの足音と、慌しい警戒と怒りに満ちた声。

「お前たち、何者だ! そこを動くな!」

 現れたのは他でもなく、先ほど眠りこけていたふたりの警備兵だった。

 扉が開けられたことで微かに入り込む星明りが青黒い姿を浮かび上がらせ、さらには抜かれた細剣の刃を恐ろしく煌かせている。

「あぁっ! ほら、親分が騒ぐからー」

「どうすんのよボス!」

「お前らのせいだっ」

 非難がましく言われ、叫び返すジン。

 しかしそうする間にも、ふたりの警備兵のみならず、ホールの奥にもあるらしい王族の出入りする扉の先から、騒ぎを聞きつけて駆けてくる足音が聞こえてきた。

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