3.夕暮山道

 何故、何故ここにヘイス・ラムがいるんだ。さっきまで運転席には茜ちゃんが座っていたはずなのに、そうだ、茜ちゃんはいったいどこに消えたんだ?

「落ち着きなよ、夕暮弥彦君」

「ど、どうして僕の名前を」

「あの屋上で、茜が君の名前を呼んでいただろう」

「……茜ちゃんは…どこに」

「心配するな。眠らせているだけだ」

 精神科医は後部座席の方に目を向けた。後部座席には茜ちゃんが寝息を立てながら横たわっている。

 だがこの状況、ただ事ではない。あの赤神茜が敵とみなしたヘイス・ラムが至近距離にいる。

 自分一人が逃げるのは簡単だ。廃ビルの一件でもあったように女性は絶望的にまで体力が無い。今すぐ車から脱出し車で通れない道を走ればいい。移動手段の無い女性は簡単には追い付けないだろう。しかし、逃げた後どうすればいい。外は暗闇。街頭は申し訳程度にしか道を照らしていない。足で街に戻るも道が分からない。ひたすら西へと移動したならば、たどり着くかもしれないが、最悪この山を彷徨い歩くことになるだろう。どうして死にたがり屋の僕がこんなにも逃げる道を選ぼうとしているのか。それはやはりヘイス・ラムの存在が大きい。死よりも大きい恐怖。廃ビルで突然現れた時から僕はその女性に恐怖を感じている。

「おいおい、そんな警戒心をむき出しにするなよ。警戒心というより君は恐怖心かな?君たちに危害を加えるつもりはないよ。私は茜と違って暴力的なことは好きじゃない。茜が私のことをなんて言っていたのか分からなくもないが、そう恐怖することは無い。」

 そういえば茜ちゃんにこの女はどんな人間なのかは教えてくれなかった。精神科医。呪いの専門家。そんな肩書があるということ。中身については茜ちゃんの口から聞けなかった。茜ちゃん自身があまり話したくない節があったので聞けずにいたのだが、自分の内から出てくる恐怖。それが彼女の人間性を判断する僕の答えである。

 しかし、どうして僕たちがここにいるのが分かったんだ?

「どうして君たちがここにいるのが分かったのか。聞きたい顔をしているね」

 息をのんだ。僕は目を合わせられず泳がせていた。

「車にキーを掛けたままなんてとんだ失態だったよ。ただ、茜を迎えに来ただけだから用心することもないだろうと思っていたんだが、自分の用心深さのなさは我ながら笑えるね。でも、この車を奪われたことは実は二回目なんだ。相手は茜では無かったけど、それのおかげで対策してたのが役に立ったよ」

 女性はスマホを取り出し画面を僕に向けた。画面には地図が映し出されていた。赤いマークと青いマークが重なっている。ああそうか、この車GPSシステムが搭載されていたのか。

「場所を特定するのは簡単だったよ。ここまで離れるとは予想外だったけどね。おかげでここまで来るのが大変だったよ。」

 体力ないこの女性がどうやってここまで来たのか言う気はなさそうだ。

「驚きはしないんだな。まあ、いいか。しかし、驚いたのはこちらだよ。なんせまだ茜が生きているんだ。驚いたよ。君、茜を殺さないのかい?」

 殺眼。殺される目。それをもってして見知らぬ人間と一緒にいるにもかかわらず、殺されていない。目の事を知っているこの女性が驚くのは当然と言えば当然だ。

「…僕にはその目が効かないみたい…なんです。」

 敬語になってしまった。おそらく年上なんだろうから敬語にするのは当たり前と言えば当たり前なんだが、この状況で自分を弱く見せるのは僕らしい。弱い僕が殺眼の効力を示さない。その理由はいまだにわかっていない。専門家であるこの女性ならば、それが何故なのか分かり得るのかもしれない。

「ふぅん殺眼のことは聞いているのか、それはまたしても驚きだな。茜が自ら殺目のことを言うなんて珍しい。とよほど信頼されているのか、それとも殺されない確信があるのか。まあ、自慢話のように殺眼のことを話したかっただけかもしれないな。茜を見る限り、襲われた様子もないし、殺眼が効かないか・・・にわかに信じられないな。」

「なっ・・・なにをしに来たんですか?」

 緊張しながら僕は彼女に言った。茜ちゃんとは普通に話せたのに、この人の前だと思うように口が動かない。突然現れた彼女がここに居る理由、目的が分かっていないふりをする。おそらく逃げている茜ちゃんを捕まえに来たんだろう。もとより逃げている理由もよくわかっていない。僕の立場からすると、茜ちゃんが勝手に逃げているだけだ。

「そんなおどおどしていると私が悪者みたいじゃないか。車を盗まれたのは私だ。被害を受けているのはこっちなんだから。それに、君は茜のわがままに巻き込まれただけだろ?私は君が悪人だとは思えない。これでも人を見る目はあるんだ。まあ善人とも思えないがね。」

 僕を見透かしたようにそう言い放った。善人ではないのは重々承知だ。分かっている。

「おっと今のは少し脅かしてしまった。悪い悪い。そんなつもりは無かった。私がここに来た理由は車を取り返しに来たのはもちろん。茜を保護しにきたんだよ。」

「…保護?」

「あのビルに来た時も、茜を保護しに来たんだよ。ご存知の通り、茜は呪いの宿った瞳を持っている。私は茜を保護する義務があるからね。」

 魔術や呪術の専門家としての義務。人が殺されるリスクがあるんだ。保護するのは専門家として責務なんだろう。

「それにしても、殺眼をまともに見ても君には何の変化もない。専門家として非常に興味がある。」

「僕にも理由が分かりません」

「理由か…殺眼を見ても殺したいとは一度も思わなかったのか?」

「あるわけないじゃないですか。殺したいなんて。殺したいのは―――」

 ―――自分自身だ

 自分自身を殺したいそれが僕の唯一の望み。母が亡くなってからその望みが頭から離れない。死に方はなんだって良い。自殺でも他人から殺されるのも。

 ヘイス・ラムは急に口を閉ざした。あれ、今の声に出てたか?出していても出していなくてもどうでもいいか。声に出したところで哀れな奴だとしか思われない。

「夕暮弥彦君、君はなぜあの廃ビルにいたのかね」

 突然そんなことを言った。殺眼の効果が受けないのはなぜかって話しだったよな。

 自殺の名所である廃ビル。飛び降り自殺なら、またあそこかと言われるような有名な場所。そこに僕がいた理由は自分自身を殺すため。それを言って同情されたいわけでは無い。話すべきではない。

 なかなか言い出さない僕を見て精神科医は判断したのか。言葉を続けた。

「君は診療の必要がありそうだ。」

 な―――、診療の必要?何を馬鹿な。僕はただの自殺志願者だ。確かに体のいたるところに自殺の痕跡が残っているが、いや、そういうことではないのか。この女性は何か分かったのか。

 精神科医でもある彼女。この時から、あるいは茜ちゃんが自身の障害の話をした時から僕は分かっていたのかもしれない。

「おそらく、君は私を見て怖いと思っているが。安心しろ。私は君を卑下しない。私は見方だ。」

 なんだ?一体どういう意図なんだ。味方?僕の味方になる価値なんてどこにもない。

「ここからだと遠いが私の個人診療所がある。こう見えて精神科医が私の本職でね。私は君が診療の必要があると判断した。君にはそこに行ってもらう。」

 車は発進し、街の方へと戻る。外は静かだ。

 帰り道というのか精神科医の病院に行く道のりというか。僕は精神科医にここまでの経緯を話した。話せと言われた。自殺をしに廃ビルに行ったこと。茜ちゃんと会ったこと。自己愛性パーソナリティ障害の事。呪いの目の事。

 そして自分のことを話した。なぜ自殺しようとしているのか。僕はこういう人間なんだと自分を卑下して。僕はどうしようもない人物なんだと懺悔をするように話した。ヘイス・ラムはそれを聞いて侮蔑しているようには見えなかった。

 相変わらずヘイス・ラムのことを怖いと思うし、自分から話すのは苦手だったので時間はかかった。

 後部座席には茜ちゃんが眠っている。起きる気配はない。

 車は進む。景色の変わらない山道を進み、しだいに街並みへと変わった。

 一緒に見るはずだった朝日を心残りにして。

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