三章
1.夕暮境界性
ヘイス・ラムの個人診療所に向かう車中、彼女との二人きりというのは精神的にかなり参った。正確には後部座席に茜ちゃんがすやすやと寝ているが、診療所までついに起きることはなかった。後ろに寝ている人がいるというのも気苦労の一つだったのかもしれない。起こさないように騒いだり大きな物音をたてないといった気遣い、別段僕は騒ぐような性格ではないし、大きな物音をたてれる車内ではない。あくまで気を遣っていたということだけだ。それだけのことで僕は苦労する。それよりも、問題はヘイス・ラムだ。お互い簡単な自己紹介は済ませた。ヘイス・ラム。イギリス、イングランド出身。育ちは日本。年齢不詳。精神科医。魔術や呪術の専門家。特に魔眼の知識に特化しているらしい。茜ちゃんから聞いていたことは全部本当だったみたいだ。信じていなかったわけでは無いが、なにしろ魔法なんて訳の分からないものだ。そう簡単に信じることはできない。
夕暮弥彦。富山県出身。上京して東京に住んでいるが、親の死亡により富山に戻ってきている。二十四歳。無職。自殺未遂。ヘイス・ラムの自己紹介は派手なものだったのに対し、僕のプロフィールは特に語ることなんてない。それなのに彼女は質問する。
「なんで上京なんてしたんだ?」「大学では何をしていたんだい?」「彼女はいるの?」「母親の事故はどんな事故?」「父親はどうしているんだい?」「死ぬこと以外にやりたいことないのかい?」「自殺を初めて行った感想は?」当たり障りのない質問から答えにくい質問までしてきた。ただでさえこの人に訳の分からない恐怖心があるのに答えるのは体力が必要だった。これも診断の一環だというが、診療所でもこのような質問攻めにされると考えれば自殺欲求も深まるというものだ。早く死にたい。車の燃料が少ないと言って給油するとき逃げ出してやろうかと思ったが、そんな勇気はもちろん無く、質問攻めは続いた。気が付けば診療所に着いてしまった。診療所に着くころには日の出は過ぎていて、外は雀の鳴き声が響いていた。個人診療所と言っていたので、小さな建物とばかり思っていたのだが、立派な建物だった。三階はあるだろうか、直方体の建物は明るい白色の壁で汚れひとつなく、隣接した円柱の建物はガラス張りでできており、天井はドーム状になっている。かなり大きな建物だ。正面には『赤神診療所』と書いてある。この規模の診療所だ。駐車場も広かったが、関係者であるヘイス・ラムは建物の裏にあるまたしても立派な車庫に車を停止させた。裏にも建物があり生活感あふれる玄関になっていた。おそらくここに住んでいるのだろう。
「到着だ。ここが私の診療所。赤神診療所。赤神家は医者の家系なんだ。長い付き合いでね、この診療所を譲ってもらっている。」
思った以上に茜ちゃんとヘイス・ラムの関係は深そうだ。茜ちゃんは医者の娘だったのか。精神科医が嫌いだと言っていたが。その理由も家族にあるのかもしれない。
「悪いが茜を中まで運んでやってくれないか?私は力仕事が向かないんでね。頼むよ」
「はぁ」
起こせばいいのにと思った。車から降り、後部座席の扉を開いた。相変わらず起きる気配がない。無理に起こすのはやめておこう。しかし、年頃の女の子をどうやって運ぶ?背中におんぶするのも、抱っこするのも、なんだか罪悪感がある。そんなことしてしまうと、起きる可能性があるし、起きたら面倒臭そうだ。出来るだけ動かさないように茜ちゃんを持ち上げた。俗に言うお姫様抱っこの形になったが、やってしまったのはしょうがない。意外と軽いんだな。この歳の女の子の体重なんて分からないけれど、茜ちゃんの体重は平均よりも軽いと思われる。
車から茜ちゃんを運び出すのをヘイス・ラムが見届けると車のキーを掛けた。さすがに二度も盗まれているんだ。自宅だからって用心するだろう。ヘイス・ラムは僕のことをチラッとみて玄関に向かった。ついて来いということだろう。玄関には鍵穴があったが、ヘイス・ラムはそのまま扉を開いた。鍵を掛けずに家を出たのか、どこまで不用心なんだこの人は。彼女に続いて家の中に入った。外装に見合うほど内装も豪華だ。二階まで吹き抜けになっていて、金持ちの家にありそうなプロペラが天井にあった。豪華な内装に対し、家の中は散らかっていた。足場が無いというほどでもないが、書類や衣服が散乱しており、歩くのは困難だ。外見に騙された気分でなんだか残念になった。でもまあ他人の生活をとやかく言うのは野暮だろう。
「散らかってて悪いな。茜は奥の部屋に寝かせてくれ。」
ヘイス・ラムは廊下の先の部屋を指さした。書類と衣服の山を乗り越えなんとか部屋にたどり着く。戸はスライド式になっており、僕は足で無理矢理部屋を開けた。行儀が悪いとは思うが、両手が塞がっているので致し方が無い。
廊下の惨状に比べ部屋は綺麗だった。というより、物が何もなかった。ベットが一つ、机が一つ、それだけだ。生活感の無さが異常と思えた。茜ちゃんの部屋なのだろうか。それはあまりにも、空っぽだった。空っぽの部屋に押しつぶされそうな気持を抑えて、茜ちゃんをベットの上に寝かせた。
「ぐぅ」
うお、びっくりした。起きたのかと思いかなり焦った。なんだかいけないことをしている気分だったので、起きてくれなくて助かった。僕は逃げるように部屋を出た。
散らかった廊下を抜け玄関には、まだヘイス・ラムがいた。
「じゃあ、行こうか。ここは生活するところだからね。診察室は別のところ。」
僕は頷き、赤神診療所へと向かう。
ヘイス・ラムは外には出ず、家の奥へと向かっていった。僕もついていく。二、三部屋をまたぐと、悲惨な生活区とは比べ物にならないくらい綺麗になっており、清潔感のある立派な診療所になっていた。生活区と診療所は繋がっているようだ。病院と診療所の違いはベッドの数だという。二十以上のベットがある施設を病院と呼び、それ以下の数は診療所と呼ぶ。これだけ大きな建物だ。ベッドの数は二十以上あるんじゃないか?
「ここは入院施設が無くてね。あくまで診療所なんだ。」
僕の疑問を察したのかヘイス・ラムは答えた。
「内装や医療器具を整えば、結構な病院にもなるだろうが、訳あって精神科しか機能していない。赤神家は医者の家系ではあるけれど、もともとは呪術の家系でもあるんだよ。呪術を人目に触れることは禁じられているからね。精神科以外の部屋はそういったものを研究する部屋。だからここは診療所としか機能していない。私はもともとロンドンで魔眼の研究をしていてね、魔眼には精神に強い結びつきがある。それで精神科医の資格を取ったんだ。たまたま呪術一家の赤神家に誘われてここに入った。」
「呪術一家…そういえば呪術ってなんですか?」
「日本では
「茜ちゃ…彼女の家族は今どこに?」
「死んだよ」
なんとなく予感はしていた。
「茜は生まれついてからの殺眼の持ち主じゃないんだ。」
「え?」
「茜の両親が娘に呪いをかけたんだ。」
「なっ」
「呪術者という輩はね、研究熱心なんだよ。呪いについて研究していると試してみたくなる。赤の他人に呪いをかけるわけにはいかないからね。自分自身に試すのもやはり勇気がいる。それで彼らはあろうことか自分の娘に呪いをかけた。魔眼の呪いをね。」
僕は家族とは親しくなかった。名前を呼ばれたことすらもあやしい。それでも大学に通う僕の生活を支援してくれた。けれど、茜ちゃんの両親は自分の娘を実験道具として扱ったのだ。
「その呪いは魔眼を与えるものなのだけれど、どんな魔眼になるのかはかけられた本人の能力による。精神性によると言った方が正しいか。それで、自己を愛する茜は殺眼に目覚めてしまったんだよ。勘違いしないで欲しいのだが、茜の両親は冷酷な人たちでは無かったよ。娘を愛するごくごく普通の親だった。よりにもよって殺眼であったことが不運と言うべきだな。君も知っている通り、殺眼は他人に殺人衝動を与えるものだ。一歩外に出したらすぐに殺されてしまう。普通に生きていくのが難しくなったんだ。娘を愛する普通の親はそれが耐え切れなかった。自分たちのせいで茜には辛い人生を送ってもらうことになる。大方、世界を見渡せる目とか、未来を見渡せる目だとか思ってたんだろう。まさか自分の娘が殺眼になってしまうなんて思ってもみなかったんだ。それからは茜を隔離して殺眼を解呪する研究に没頭した。しかし茜の殺眼は強力だった。どんな方法を用いても茜自身の呪いは消えることはなかった。それで両親は毎日大喧嘩だ。私も散々非難されたよ。自分たちのせいなのに突っかかるのだから、苦労したよ。しかもただの親子喧嘩じゃない。術者同士の喧嘩だ。君には想像できまい。まさに命がけの毎日だった。最期には茜のことなんて考えずただの殺し合いになったよ。そしてついに、二人とも死んでしまったよ。」
僕は何も言うことが出来なかった。術者同士の喧嘩がどういうものなのか。僕には想像つかない。それで死んでしまうなんて、死ぬことなんて望んでいなかったのに。
「君もさすがに青ざめてるね」
「それはまあ、そんな話を聞かされると」
「無理もない。気持ちよく聞ける方がどうかしている。それに、両親の研究は決して無駄じゃなかったんだよ。とは言ってもせいぜいこれを作るのがやっとだ」
ヘイス・ラムは自分の指にはめている指輪を見せた。指輪には赤い宝石が埋め込まれていた。
「この指輪を付けている限り私は茜に殺人衝動を抱かない。そういう代物だ。だが、残念ながらこれは一つしかない。量産するのも大変だ。量産したところで茜と話すにはこの指輪とつけないといけません。なんて流石に解決になってないだろ?」
彼女は一つの部屋の前に立ち止まり、扉を開いた。
「だから君には期待しているんだ。殺眼の効かない君は、もしかしたら茜の解呪のきっかけになってくれるってね。さあ、中に入り給え」
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