第32話 逃げる

 トングレのギルドに顔を出したら、いきなり奥の会議室に引っ張り込まれた。文句を言ってやろうと待ち構えてたのに、ギルドマスターのルガルはあたしたちの顔を見たとたんに頭を下げた。


「すまん」

「頭あげてください。……事情はだいたい理解してますから」


 先に頭下げられちゃうと、言いたいことも引っ込むんだよね。なんというか、不完全燃焼。

 何とか宥めてようやく顔を上げたルガルの顔色はあまりよくなかった。目の下の隈が前よりも濃い。

 あたしたちに頭を下げたことで少しだけ肩の荷が下りたのだろう、ルガルはソファに背を預けると、運ばれてきた茶に手を延ばした。

 窓口でいつも快活に笑うルガルの顔しか基本的には見たことがない。それが眉間に深いしわを刻んで憔悴した顔をしている。


「ルガルさん……」

「ん?」

「あの噂、本当ですか」


 宿屋の食堂で昨夜聞いた噂。

 ギルドマスターのすげ替えの話。

 次の春にはルガルはここにいない。表向きは勇退だが、今回の一連の責任を取って退くのだ、と。

 くたびれた笑いを浮かべてルガルは頭をかいた。


「まあ、即座に更迭されるかと思ってたんだけどな。……後釜選びに苦労してんだ。ほれ、うちだけじゃないからさ」


 ルガルの話によれば。

 少し大きな町であればギルドの窓口が開設されて、それぞれにギルドマスターがいる。今回の件は各町のギルドマスター全員が国の依頼を無視するという事で一致して動いていたとのこと。

 全員の首を飛ばすとなると確実に業務に支障が出る。

 結局、キリクが接触したギルドについてのみトップの更迭、それ以外は減俸で収めたらしい。苦肉の策というやつだ。

 そもそも、あんな依頼を出した側の責任は問わないのだろうか。外交問題に発展しかねないものを易々と各ギルドに配る段階で止めようとした者は一人もいなかったのか。

 そう口にすると、ルガルもうなずいた。


「ああ、きな臭い話も聞こえてきてるよ。王宮内もしばらくはごたつきそうだ」


 キリクも言っていた。アクリファイアとリグレイドの結びつきが強くなることを望まないものもいる、と。きな臭い話になるのだけは御免だ。

 冒険者はつまり、有事の際の傭兵、遊撃隊だ。戦になればあたしもユーリも今までのようにはいられない。

 うまく上の人たちが立ちまわってくれることを祈るばかりだ。


「それにしても、ずいぶんのんびり帰ってきたな」


 俺の話はもういいよ、とルガルは話を切り替えた。


「ええ、色々ありまして」

「王子と一緒に戻って来てると思ってたんでな、ずいぶん待ちくたびれた」

「すみません」


 あたしはちらりとユーリを見上げる。

 あの時別れたきり、キリクたちの顔は見ていない。

 見送りも、気がついた時にはすでに出立した後だった。あたしたちには何も告げずに去ったのだ。

 その後、どういう顛末になったのかは知らない。すでに彼らは本来あるべき世界に戻っているだろうし、一介の冒険者にはもはや関係のないことだ。

 そのうち流れてくる噂話で、どういう決着がついたのかはわかるだろう。

 受け取り損ねた報酬についてはしばらくあたしのストレス源となったけど、トングレに戻るまでの間でずいぶんそれも薄まった。まあ、鎧や剣という形ですでに一部は受け取ってたしね。

 むしろ、キリクの依頼を完遂出来なかったことのほうがあたしたちを苛んだ。アクリファスまでの護衛任務は、あたしたちにとっては久々の黒星だった。

 ギルドを通していない依頼だとしても、失敗したことに変わりない。後悔が喉の奥に引っかかったみたいにじくじくとあとから湧いてくる。

 だから、ここに戻るのも急がなかった。むしろわざとゆっくり戻ってきた。一月かけたおかげで、あの騒動を巷で聞くことは減った。……同業者の多い宿や酒場は別だけど。

 かといって、あたしたちの仲が発展したかといえばこれまた代わり映えしない。多少……そう、多少接触は増えたように思うけど。


「最初はな、王子たちの護衛も本当はギルド側で人を準備するつもりだったんだ。でもそうなると事情を知る人間が護衛につくことになる。それじゃいつもと変わらない、と言われてな」


 どうやらキリクたちは逃避行の間、自分たちにとっての『非日常』を楽しみたかったらしい。

 だからだろう、あの時の護衛依頼は、レベルの高い冒険者や人数の多いパーティーは見向きもしない程度の金額が設定してあった。


「じゃあ、あたしたちに引き合わせたのって本当に偶然?」

「ああ。もともとお前たちは別の依頼を受けてただろう? だからびっくりしたよ。……まあ、ユーリの腕はよく知ってたし、王子本人も腕が立つから問題はないだろうと思ってはいたけどな。受ける受けないは冒険者おまえたちに決定権があったし」


 そういえばそうだ。あの時、行き先を変更しなければ、二人と同行することはなかったはずだもの。

 色々と(それこそ嫌なことも含めて色々と!)思い出しながら、ため息をつく。


「用事はそれだけか?」


 ユーリが少し苛立たしそうにカップを弄んでいる。ギルドに来てからもう結構な時間が経ってるはず。

 急いで今日受けられる依頼を探さなきゃならないのに。

 そう、のんびりしたおかげで資金がそろそろピンチなのだ。戻ってくる間は何も依頼を受けなかったし、剣の打ち直し代金も要る。

 今日こそ依頼を受けないと、宿のランクを下げなきゃならなくなるんだ。……ちょっと散財しすぎだよね。


「いや。実はキルレイン王子から二人に謝礼が届いてる」

「え?」


 思わずユーリと顔を見合わせた。

 依頼は失敗したし、謝礼を受け取る理由がない。……まあ、精神的な慰謝料は請求してやろうかと思ったりもしたけど、事情を知った今ではない話だと思っている。

 ルガルは楽しそうにあたしたちの顔をみたあと、封筒を差し出してきた。

 白い上質な紙の封筒には、赤い封蝋の上に紋章がくっきり浮かび上がっている。

 なんとなくだけど、嫌な予感しかしない。

 じっと二人で表書きをにらみつける。優美な文字でユーリとあたしの名前が併記されてる。


「……開けるぞ」

「うん」


 魔法的な何かじゃないのは一応チェック済みだ。ユーリはゆっくり封をはがすと中の紙を引き抜いた。

 これまた上質な紙だ。


「……はぁ?」


 めんどくさそうに読み始めたユーリは、途中から眉間にしわを寄せて食い入るように紙を見つめていた。


「ねえ、何が書いてあるの?」


 ユーリはあたしから手紙を遠ざけるとルガルをじっと見つめた。


「……中身、知ってたんだな」

「ん? いや? 君たちあての手紙の中身を知るわけないだろう?」

「ちょっと、読ませてっ」


 頭を抱えたユーリの手から奪い取ると、ざっと目を通していく。


「え……? アクリファイアに支店? は? なんで護衛の面子に入ってんの? ちょっと、いつの間にこんな依頼受けたの?」

「受けてない。……あの野郎、勝手に決めやがって」


 はぁ、とユーリは大きなため息をつく。

 手紙はギルド経由の名指しの依頼書だった。しかも国王陛下の勅命のため、拒否できないとある。

 要するに、キリク……キルレイン王子が王妃の実家であるアロイス商会のアクリファス支店を開くのに同行せよ、という……実にご無体な命令書だ。


「マスター、なんでこれが謝礼なわけ?」

「最後までよく読んでみろ」


 にやにや笑うルガルに促されて最後の小さな文字に目を落とした。


「なお、以下の者についてはアクリファスに家を与えるものとする。但し、条件が……はぁ? 合同結婚式だぁ? 何の冗談よ、これ」


 ちょっと待って。なんで合同? って誰が結婚するわけ?

 あれだけの騒動を引き起こしたキリクがアクリファイアに入れるはずがない。無論あたしたちもだ。それなのになんでアクリファイアへの護衛なんて話になるわけ? どう考えても厄介なことになるとしか思えないんですけど?


「……クラン」


 ユーリがすっと立ち上がってあたしの手の中から封筒を奪い取ると机の上に置いた。

 それから、ぐいと手を引っ張られる。ユーリと視線を合わせてうなずく。

 うん、これはもう、取るべき手は一つしかない。


「逃げるぞ」

「おうよ」


 あたしたちは諸々の厄介ごとから逃げることにした。

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