第31話 リュカの瞳
「拘るねえ。まあいいけど」
ちらりとあたしの方をみたキリクはため息をつくと右手の人差し指をすいと動かした。喉のつかえがとれた気がして声を出してみるとちゃんと聞こえた。
よし。まあ、このタイミングで解除してくれなかったら暴れてやるつもりだったけど。
「……彼女はどこ?」
ううん、それ以前にここはどこ?
あの空き家じゃない。少なくともこのベッドは子供部屋のものじゃないし、ユーリ嬢が閉じ込められてた檻の中のベッドでもない。
「ああ、それなら隣の部屋。監視はつけてるけどそれが何か?」
「……その、すぐに国に帰っちゃうの?」
「さあ、どうだろうな。指揮官次第だろう」
「時間があるなら彼女をここに呼べない?」
そう言ったとたん、キリクは眉根を寄せた。
「クラン。今の彼女はもう『商人の娘』でも『ユーリ』でもない。一国の王女様だ。一介の冒険者風情にひょいひょい気軽に会いに来られる立場じゃないんだ。わかってる?」
「……わかってる、つもり」
あきれ顔のキリクに、あたしは視線を外した。
キリクの言い回しでわかった。……立場をわきまえずにここに来ることはもうできないってこと。それは、ユーリ嬢の意思とは関係ないんだってことも。
「君たちが彼女と会えるのはあと一回、ここを彼女が発つときだけだ。見送りぐらいはさせてくれるだろうから」
「……本当に雲の上の人なんだね」
「そういうことだ。……もう余計な口を挟むなよ」
冷たい口調のキリクにしぶしぶあたしは首を縦に振る。
キリクは、簡単に手を動かして防音結界を張ると、手近にあった椅子を引っ張りよせて腰を下ろした。
「じゃあ何から話そうか」
「彼女がこの国にいた理由、お前と一緒にいた理由、それから国に帰りたがらない理由だ」
ユーリがすかさず口をさしはさむと、キリクはにやりと口元をゆがめた。
「それなら簡単だ。彼女は見合いのためにこの国を訪れていたんだよ」
「見合い?」
「そう。……僕の兄貴のね」
「姫さんの見合い相手が貴様の兄だと……?」
「そう。パーシファル・リグレイド。一応王太子やってるらしいけど」
さらりと流したキリクの言葉に、あたしは口を覆った。覆ってなければきっと悲鳴を上げていたに違いない。
ユーリも口をぽかんと開けたまま、言葉を継げずにいる。
「……この国の王子、だったの?」
リグレイド。どこかで聞き覚えがあると思ったら、国の名前と一緒じゃないの。
ギルドマスターのルガルのあの態度、鍛冶屋で職人たちがキリクを誉めそやした理由がようやくわかった。
そりゃ丁重にもてなすわよね。
「一応ね。でも三番目以降は大した役目もないし、母の実家でのんびり家業継ぐ準備してたんだ。だから、僕が商人ってのは本当」
母の実家ってことは、王妃の実家ってことで、いずれは王族の籍を抜いて臣下に降るつもりなんだ。
「王族にとっての婚姻は大切な義務。隣国の姫を娶ることで絆を結ぶのは常套手段なんだけど、兄貴は気が進まなかったらしくてね。見合いに来なかった。……というか、僕をだまして引き合わせたんだ」
「え」
「でも、向こうの付添人は僕を見合い相手の王太子だと思ってるわけ。だもんだから、何とか話合わせて、その日はお開きにしたんだ。一応可でも不可でもない印象を与えるように立ち回ってね」
生来の色に戻したキリクのイメージは、どううまく取り繕っても地味なイメージになる。むろん、服装や立ち居振る舞いで印象は変わるから、実際はどう見えたのかわからないけど。
「翌日、今度は彼女一人でやってきた。もちろん王太子に、ということでね。兄貴は、彼女があきらめて帰るまでは僕を王太子ということにしたかったらしくてね、彼女から連絡や手紙があるたびに呼び出されたよ」
「で?」
「……うん、彼女は知ってたらしい。パーシファル・リグレイドは豪奢な金髪に緑の瞳をしていることを」
そうつぶやいたキリクは眉が下がって情けない顔をしていた。
「見合いの姿絵を見てるから当然知ってるわけ。それなのに兄貴のふりをした自分がなんとも情けなくてね。……でも彼女はそれを咎めもしなかった。むしろそれを逆手に取って、城から連れ出してくれと言われたんだ」
「駆け落ちか」
「あたり。一度は断ったんだけど弱み握られてるからどうしようもなくてね」
「じゃあ、最初の依頼の時に倒した追っ手たちは」
「それはどうかな。単なる物取りも盗賊もいたから一概には言えない。ただ、アクリファイアからは僕と彼女の捕縛命令も出てただろうし、我が国としても追っ手を差し向けないわけにはいかなかったから、ギルド宛に捕縛依頼も出してたし」
「えっ、そうなの?」
もしそうだとしたら、ギルドマスター・ルガルはそれを握りつぶしてたってことになる。だって、キリクたちの正体を知っていたからこそのあの態度だったんでしょう?
「ああ、ギルドマスターから聞いたから間違いないと思う」
「でもそんな依頼、見なかったわよ?」
「事情を説明して協力を仰いだからな。だから商人の護衛任務として受託してもらえた。それに、『駆け落ちした王子と隣国の王女確保』なんてギルドの依頼として張り出したらおかしいだろう?」
それなら納得は行く。そんな依頼を出したりしたらとんでもないことになる。探し出して人質にしようとするのも出るだろう。偽物を連れ帰って金をせしめようとする者も出るだろう。
何より、そんな状態になっていると国中にお触れを出すようなものだ。隣国の王女が駆け落ちしたなんて情報があっという間に大陸中に広まる。隣国の王様……姫のお父上がいかに温厚であっても、国家として見過ごせるはずがない。
友好を結ぶどころか戦争になったって驚かない。
「でも、それにしてはおかしくない? 最初の時もそうだけど、捕縛じゃなくて殺す気満々だった」
キリクは眉根を寄せてじろりとにらみつけてきた。
「それは……アクリファイアとリグレイドの関係強化を嫌がる勢力があるからだろうね。そういうのはどこにでもいるから」
「……だけじゃないよね、キリク。……ううん、キルレイン王子」
王子、と呼んだ途端にキリクの機嫌が悪くなるのが見て取れた。
「その呼び方、大嫌いなんだよねえ」
「……リュカの瞳って何?」
こげ茶の瞳が見開かれた。と同時にキリクは椅子を蹴って立ち上がり、あたしの腕をつかんでいた。
「なんで知っている」
「痛っ」
「おい、離せ!」
ユーリが飛んできてキリクの腕を力ずくで引きはがしてくれた。解放された手にはくっきりと赤い手形がついている。
「クラン……それ誰から聞いた」
「以前襲われた老人からよ。何のことかは知らないわ」
「……何と言われた?」
「確か『リュカの瞳はまだ無事か』だったと思うわ」
キリクはそれを聞いたなり、床を見つめて黙り込んだ。あたしはユーリと顔を見合わせる。
「襲われたっていつのことだ?」
「え? あれはその組み紐を買った市のあった村だよ。ヴィントって言ったっけ?」
ユーリが眉根を寄せて聞いてくるから腕の組み紐を指しながら言った。
「やっぱりついていけばよかった……」
「だって、あの時は二人で動くわけにいかなかったでしょ?」
「しかし……」
あの時はあっさり往なしたし、危険なことは何一つなかったし。それより屋台で食べた料理、もう一度食べたいなあ。戻る方向の依頼、探そうかしら。
「すまない」
「へ?」
ヴィントのねばねばスープで頭がいっぱいになったところでキリクが口を開いた。
「やはりきちんと君たちには説明して協力を仰ぐべきだったのかもしれないな。今更だが。……リュカの瞳、は彼女自身を指す符丁なんだ」
「え……符丁?」
リュカが何者なのかはわからないけど、彼女の目の色からつけられているのかもしれない、とふと思う。キリクがその色をまとっていた時にも思ったけれど、本当にきれいな瞳だったもの。
「兄貴と僕と、ごく一部にしか知られていない符丁なんだ。クランに接触したのはおそらく兄の間諜だと思う。君たちは僕らと一緒に行動してたから、符丁を知ってると思われたんだろう」
あの老人が間諜だったの? ……言われてみれば確かに老人にしては術の展開は早かった。
投げ飛ばしたときに妙に軽かったのも、もしかしたら力を相殺されてたのかもしれない。
「なんだ、そっか。……じゃあ、あの時投げ飛ばしたのって、まずかったんだ」
「知らなかったんだから仕方ない。そうか、それで直接僕のところに来るようになったのか……」
ぶつぶつとキリクがつぶやいている。まあとりあえず、彼女自身に聞いても教えてもらえなかった謎が解明して、少しだけもやもやが晴れた気分にはなった。
「今ので二つの疑問は解消された。残るは国に帰りたがらない理由、だな」
ユーリの言葉にキリクは顔を上げた。がその表情は苦り切っていた。
「そりゃそうだろう。戻れば彼女は別の国に嫁がされる」
「別の国? なんで?」
「当たり前だろう? 王太子との見合いだからと来たのに、王太子ではなく臣下に降りる予定の男との見合いをさせられて、しかも攫われたとあっては国同士の信頼関係もがたがただ。しかも、本当は見合いではなくて婚約発表前の顔合わせだったって後から聞いて、気を失いそうになったよ」
「え……? だって、見合いは確かにそうかもしれないけど、攫ったわけじゃないんでしょ? なのになんで?」
さっきまで聞いてた話とキリクの話は食い違う。どうしてそうなるわけ?
「クラン、これは国同士の問題だ。信頼して預けた姫が城からいなくなったというだけで信頼はがた落ちだ。しかも連れているのがその国の王子となれば国ぐるみで王女を攫ったと言われても仕方がない」
「そんなの……ちゃんと説明すれば」
「関係ないんだ。……いくら良好な関係でも、外交はシビアだよ。つけ入る隙をみすみす与えたようなものだからね」
そんなのおかしいよ。
もともと彼女の方から連れ出してくれって言いだしたんでしょう? キリクはそれにつき合わされただけで。護衛を探していたのも、キリク一人では守り切れないと思ったからじゃないの?
それになにより、アクリファスに無事送り届けようとキリクはした。
だからあたしたちを護衛と目くらましのために雇ったわけで。
婚約者のふりをさせたのも、目くらましのため。キリクが婚約者のふりをできなかったのは、美人と美男子の二人で一緒にいたら目立つから。アクリファスに向かう道すがら、
彼女をそのままどこかへ攫おうとは思っていなかったんでしょう?
なんで誤解のまま放置しておくの?
何より、本人の気持ちはどうなのよ。
「……なんでキリクじゃいけないの?」
「……え?」
二人はあたしの方を怪訝な目で見ている。あたしはキリクをじっと見つめた。
「彼女の婚約者がキリクじゃだめなの? どうして? キリクは彼女のこと、どう思ってるの?」
「……余計なことを言うなと言ったはずだ」
そう言って振り上げたキリクの手を、あたしはベッドから降りて掴んだ。
「何を」
「目をそらしてもだめ。向き合わない限り、その呪いは解けないよ」
「呪い、だと?」
あたしの手を外そうとしていた反対の手から力が抜ける。
「……手の届かない人を思い続ける呪い」
「クラン……」
ユーリの手が肩に乗る。うん、今だからわかる。あたしはこの呪いにかかってた。手が届かないと思い込んでた。でも、呪いは解かなきゃ。ちゃんと自分で。
掴んでいたキリクの手をひっくり返し、以前つけた幸せのお守りを外すと輪っかに戻して彼の手に握らせた。
「幸せのお守りは好きな女の人につけてもらわないと効果がでないんだから」
ね? と首を傾けて顔をのぞき込むと、キリクは顔が見えないようにうつむいてお守りを握りしめた。でも耳が赤くなってるから、きっと顔も赤くなってるに違いない。
あたしは直立不動のキリクをぐるりと方向転換させると、扉の外に押し出した。
「あ、そうだ。ユーリさんにはちゃんと説明しといてね。あれは全部お芝居だったからって」
それだけ告げて扉を閉めると、あたしとユーリは息をひそめた。
ずいぶん経って扉の前から立ち去る足音が聞こえてようやく、あたしはユーリと顔を見合わせて息を吐いた。
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