第12話 天候に注意を払わなかった報いさ

「さらに完璧を期して、さっきのを図に起こしてみよう」

 ミチザネはそう言うと、紙ナプキンを広げてさらさらと図を描いた。



 動物界─┐┌───────────┐

    ?|│           │

     └┤グループA 顕在体種族│

     ┌┤           │

     │└───────────┘

 幻想界─┤┌───────────┐

 (仮称)││           │

     └┤グループB 思念体生物├┬①自立霊体種

      │           │|

      └───────────┘├②寄宿霊体種

                   |

                   ├③恒常思念種

                   |

                   └④有限霊体種



「それぞれの種族は、さらなる分類によって細分化できる。無限の多様性が幻想界の特徴といっていいが、さらにユニークなのは、あくまで現時点における分類でしかないということだ。すなわちグループAからBへ、逆にグループBからAへ、或いはグループB内において③④群から①群へと移行するケースがかなりの頻度でみられ、動物界から幻想界、或いはその逆も少なからぬ例が報告されており、グループAを含むすべての種が究極的にはB③に収束していくという説もある。要するに極めて流動的なのだ。種族の境界などというのものはね、ハルカ君、ごく曖昧なものにすぎないのだよ」


 図を示すミチザネの指がAとB、またB③④と①、あるいは動物界と幻想界を行ったり来たりして、やがてB②でとまった。

 ミチザネは静かな口調で、


「さて、概説はこれくらいにして質問の回答にかかろう。B②群の宿主は何らかの有害な影響を受けるのか。これまでのケースで言えば、多大な影響を受ける傾向にある。その顕れ方は人格が変わる程度のものから、寄宿生物と同化してしまうものまで多様だが、クーコはB②群でも最古種といえる存在で、数多の宿主と同化してきた過去をもっている」

「そうですか──」


 ハルカは膝に置いた手をぎゅっと握りしめた。語尾を震わせながら、気丈にも奥歯を噛み締めていたが、


「あいつ、いなくなっちゃうんですか」


 そう呟いた拍子に、睫毛に溜まっていた涙がぱたぱたと落ちて、スカートに小さな染みをつくった。ミチザネは見ぬふりをしながら、


「あくまで傾向の話だ。気休めは言えないが、私は直ちに同化する可能性は低いと考えている」


 そのとき、内堀通りを新橋方面からきたワゴン車が、ファミレス前の路肩に停車した。ミチザネは気づかないのか、そのまま話し続けていた。


「タダヒト君について、サトミ君と私に共通する見解がひとつある。彼は実に強靭な、驚嘆すべき精神力を持っているということだ。いや、精神力というより《魂魄》という表現が適当かもしれない。本人に自覚はないだろうがね」


 ハンカチで目元を押さえるハルカは、本当ですか──と問いたげな眼差しを上げた。

 停車したワゴンからは、それぞれバッグを抱えた男たちが降りていた。運転席にひとり残っている。新聞を抱えてぶらついていた男が、その様子を確認して、ぶらりと去っていった。


「これまでの例で言えば、クーコに憑かれた宿主は、ほとんど間をおかずに同化させられている。そして、すべてのケースでその後、人間の社会的通念とかけ離れた行動をとり、人間社会と敵対しているのだよ」


 清掃業者のようなユニフォームに身を包み、帽子を目深にかふった男たちは、素早く歩道に散開した。その機敏で隙のない身のこなしは清掃業者のものではなく、より獰猛でいながら同時に機械的な──暴力に慣れたプロのそれだった。


「一方、タダヒト君は人格にさしたる変化もなく、ごく一般的な高校生として余人と変わらぬ日常をおくっている。無意識だろうが、すこぶる強靭な魂魄の耐性によって、同化を阻止しているのだ。私はそこに希望を抱いているのだが───今日はここまでにしよう。すまないが、私に客だ」


 ミチザネはいきなり立ち上がると、ハルカの腕に抱きついて床に引き倒した。

 椅子が倒れ、カップが転がり落ちると同時に、タタタタッと乾いた掃射音が鳴り響き、ファミレスの窓が粉々に砕け散って、バラバラと無数の破片が落ちてきた。


「きゃああっ!?」


 ハルカが遅めの悲鳴をあげた。

 最初の掃射が終わるとすぐさま二掃、三掃と銃撃が続き、テーブルを穿って壁を削り、食器や鉢植えが飛び散って、カウンターに夥しい穴を開ける。


「派手にやってくれる」


 ミチザネは掃射の間隙をつき、ハルカの手を引いて厨房に駆け込んだ。アルバイトらしき若い女性と調理係とが、青い顔をして震えていた。


「怪我はないかね」


 声をかけると力なく頷いた。言葉は出ないようだった。


「何よりだ。そろそろ終わるから、落ち着いたら警察に連絡するといい」


 銃声はいつしかやんで、不気味な静寂が訪れていた。


「行ったんでしょうか。それとも──」


 ハルカが震える声で訊いた。


「こっちに来るでしょうか。白虎、出しますか」

「それには及ばんよ。この程度で私を仕留められるとは思っていないだろうから、ただの嫌がらせでなければ、せいぜい足止めといったところだろうね。深入りはしてくるまい」

「相手が誰だかわかってるんですか?」

「新聞紙を持った見張りがいただろう?こんな時間に朝刊を、しかもスポーツ新聞を抱えていたよ。今どき、そんな古めかしい変装をするなんて、よほど旧態依然とした組織に所属しているのだろうね。そもそも皇居や首相官邸、国会議事堂のある界隈でこれだけのことをしてのける、それだけでも大凡の想像はつくがね──まあ、直接、訊いたほうが早いだろう」

「つ、捕まえる気なんですか?」

「そろそろだ。耳を塞ぎたまえ」


 言いながら、ミチザネは自分も両手で耳を覆った。


「え?」

「早く」


 従うと同時に、屋外で雷が落ちたような凄まじい音がして、


「ひっ!」


 周囲の大気をビリビリと震わせた。


「な、なんですか、今の」


 腰を抜かした店員をあとにファミレスを出ると、焼け焦げたような匂いが立ち込めるなかに、黒く煤けたワゴンが横ざまにひっくり返っていた。

 周囲には同じく煤けて黒ずんだ男たちが、累々と横たわり煙をあげている。

 落雷のような音がしたのではない。本当に雷が落ちたのだ。

 ハルカは息を呑んだ。


「これ、ミチザネさんが──」

「なに、天候に注意を払わなかった報いさ」

「死んじゃった──んでしょうか」

「いや。しばらくは動けまいがね」


 と肩をすくめたとき、ミチザネの携帯電話が鳴った。


「私だ」


 ハルカはまだ信じられない顔で周囲を見回していた。見上げると星のない夜空に薄雲が流れている。落雷のありそうな兆候など、どこにもなかった。


「ああ、こちらにも客が来た。心配ない、無事だよ──そうか。そちらも、もう動いてきたか。わかった、すぐに向かおう」


 短いやりとりのあと、ミチザネはハルカに声をかけた。


「サトミ君が拉致された」

「え?───えええ?」

「徐々に敵の人物像が見えてきたようだ。この襲撃に関しては私に痛手が与えられればよし、それがかなわなくても、裏で動いていたサトミ君の拉致に対して初動を鈍らせることができれば、ひとまず目的は達せられる。粗暴かつ大雑把のようでいて、その効果は十全に計算されており、しかも実行は大胆かつ迅速だ。なかなかの策士が背後にいるとみていいだろうね」

「そんな呑気なこと言って、それよりサトミさんが! サトミさん、どうするんですか!」

「彼らには上空への注意を怠るべからずと、教えにいかねばなるまいよ。取り急ぎ彼女の部下と合流する。すまないがハルカ君、同行してくれるかね。お母様には私から連絡をしておこう」

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