第13話 どーも、このオバサンだけは、苦手でありんす

「ただいま」


 玄関の鍵をかけるとタダヒトは、


(なんか──静かだな)


 と、奇妙な感じを受けた。

 兄弟はなく、父親も殆ど家にいないので、そもそも賑やかな家ではないのだが、それにしても物音ひとつしないのは静かすぎる。


(?)


 時計は午後九時をまわっていた。遅すぎるというほどではないが、もちろんいい顔はされないという、高校生の帰宅としては微妙なところだ。


(母さん、怒ってるのかな)


 照明がついているので、いることはいるのだろう。普段ならバラエティ番組を見ながら、ひとりでウケまくっている時間帯だった。おそるおそるリビングをのぞくと、


「おかえり」


 母親はすまして食卓についていた。


「た、ただいま」


 見たところ怒っている様子はなかった。といって機嫌がいいわけでもなく、感情の読みづらい顔をして、じっとタダヒトの顔を見つめている。


「あ、ごめん。遅くなるってメールするの忘れてた」

「タダヒト、そこに座って」

「な、なに?」

「いいから、お母さんの前に」


 テーブルには何も乗っていなかった。少なくとも遅めのディナーが始まるわけではなさそうだ。

 鬼の形相を通り越して無表情になるくらい怒っているのか? そんなに激怒するほどの時間ではないはずだが。それとも何か頼まれてたっけ?


(ええと、何だっけ? 朝、何か言われたっけ──?)


 そんなことを考えながら、タダヒトはおずおずと椅子に腰掛けた。

 母親の口から出たのは意外な言葉だった。


「タダヒト、黙っててごめんね」

「な、何を?」

「キツネ様のこと」

「え?」


 実は迷っていた。

 今日の出来事、自分に起きたことを言うべきか、言わないほうがいいのか。

 言ったところで信じてもらえる自信がないし、もしかしたら病気だと思われるかもしれない。余計な心配をかけるくらいなら、黙っておいたほうがいいのではないだろうか。

 ところが、母親から切り出してきたのだ。


「母さん──知ってたの?」

「そりゃあ、自分の子供のことですもの」

「ど、どこまで?」

「たぶん、タダヒトが今日、知ったことは全部」

「いつから?」

「ずっと前から」

「へ、へえ──そうなんだ」

「本当にごめんね」


 母親は伏し目がちになって、


「いつか言わなきゃいけないって、わかってはいたの。いつまでも内緒にしておけやしないって。でも何て言えばいいかわからなくて、いつ言えばいいかもわからなくて、結局、他の人に言ってもらうことになっちゃった。いつか、その時が来るってわかってたのに。お母さん、母親失格ね」

「い、いや、そんなことないと思うけど」


 思わぬ展開にタダヒトは慌てた。


「まあ、あれだよ。別に体はなんともないしさ。今すぐどうかなるってアレでもないみたいだし。よくわかんないけど」

「そうね。これからのことは、これからゆっくり考えましょう。でも、悩んだり辛かったりしたら、すぐに言うのよ。お母さん、何とかするから」

「う、うん──」


 何をどう何とかするのか、タダヒトにはよくわからなかったが、はっきりそう請け合った母親の言葉に、少し気が軽くなったような気がした。

 母親もそこでホッとしたように一息つき、それから、また気を引き締めたように、


「じゃあ、タダヒトのほうはそれでいいとして、もうひとりが問題ね」

「へ?」

「クーちゃん、出てきて」

「え? ええ? クー?」


 タダヒトはわけがわからず母親を見たが、まっすぐ見返す母親は、


「クーちゃん、出てきて。じゃないと、おばさん怒るわよ」


 お、おばさん?

 というのも言葉にならずに、タダヒトの思考は不意に混濁して、意識が遠のいていった。

 朦朧とした顔がまた表情を取り戻したとき、それはあきらかにタダヒトではなかった。表情のみならず、髪は肩にかかるほど伸びて、その中からにょっきりと三角耳が──。


「久しぶりね、クーちゃん」


 サトミがクーコと呼んでいた、神社でハルカを散々からかって泣かせていた妖弧だった。

 ただ、彼女(?)は見るからに困惑していた。


「あのう、わっちはこれでも大妖怪でありんすよ。もうちっと呼び方といいんすか、扱いをでありんすな」

「クーちゃん。おばさん、ちょっとお話しがあるの」

「──なんでやんしょ」


 母親は深刻な顔をして、


「今日ね、クーちゃんがハルちゃんを泣かしちゃったって聞いたの」

「はて。誰がそんなことを、おっしゃりんすか」

「サトミさんから、お電話をいただいたの。そうなの?」

「あンの、イヌっころが──」


 クーコは舌打ちをした。

 母親はぐぐっと身を乗り出して、クーコに憑依された息子の顔をのぞき込んだ。


「そうなのね?」

「へえ。言われてみりゃア──」


 ぽりぽりと頭を掻いて、


「言われてみりゃ、ほんのちょっぴり、ベソをかいていんしたような」

「おばさんね、ハルちゃんみたいな子を、思わずいじめたくなっちゃう気持ちも、わからなくはないの。だって、とってもかわいいんですもの」

「へえ。さいでありんすか」

「でも、女の子を泣かしちゃうのって、いいこと?悪いこと?」


 そう詰め寄る母親に押されまくっていたクーコは、意を決したように鼻息を荒くして、ぐいっと胸をそらせてみせた。


「さっきも言いんしたが、わっちは大妖怪でんして、人間の善悪なんざァ、知ったこっちゃござりんせん」

「いいこと?悪いこと?」

「悪いことでんす」

「そうよね。おばさん、きっとクーちゃんがわかってくれるって思ってたの」


 母親はにっこり笑って、


「じゃあ、次にハルちゃんに会ったら、ちゃんと謝れるわね?」

「謝る? わっちが? あの小娘にでありんすか?」

「悪いことをしたら、ちゃんと謝らなくちゃいけないと思うの。クーちゃん、そうじゃなくて?」

「だから、わっちは──」

「そうじゃなくて?」

「きっちり詫びを入れさせていただきんす」

「そう。よかった」


 母親は優しげな眼差しを向けた。


「おばさん、知ってるの。クーちゃん、寂しかったのよね」

「は?」

「だって、ずっとひとりぼっちだったんですもの。そこは、まわりにいる人たちにも、よくないところがあったと思うの」

「──そいつぁ、お気遣いいただきんして、痛み入りんす」

「でも、これからはひとりじゃないのよ。おばさんもいるし、ハルちゃんもいるし、サトミさんだっているんですもの」

「いや、あいつらは──」

「もちろん、タダヒトもね」

「──まあ、そういうことに、しときんすか」

「じゃあ、タダヒトに変わってくれる?」

「へえへえ。ただいま」


 威圧されたわけでもなく、懐柔されたわけでもないが、とにかく調子を狂わされたクーコは肩をすくめて、


「どーも、このオバサンだけは、苦手でありんす」


 そうボヤきながら、宿主の精神の奥深くに戻っていった。

 数十秒後、例によって何が起きたかわからず、惚けたような顔をしているタダヒトがいた。


「母さん──」

「ご飯にしましょ」


 そこにいるのは、いつもの母親だった。


「季節はずれだけど、今日は栗ご飯を炊いたの。勝ち栗って言ってね、縁起がいいのよ」

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