第11話 IT革命を起こしてみせる。二十年ばかり遅いがね

 定時はとっくに過ぎていたが、エレベーターホールにはまだ人影がたえなかった。

 そこは内閣府、さすがに政治の中枢といったところだが、階上と行き来する職員は多くても、地下から上がってきたのはハルカだけだ。


「はあ」


 思わずため息がでた。エントランスの時計を見ると夜の九時をさしている。帰宅するのは十時半をまわるだろう。

 今日やった授業の復習、明日の予習、中間考査に向けての対策など、今日は何ひとつ手についてない。寝るのは何時になるだろう。朝のジョギング、つらいなあ──彼女自身も生真面目だが、家庭環境はそれ以上の理想を要求してくる。予定外の外出があろうと、心身研鑽の日課を欠くことは許されなかった。

 とぼとぼ永田町駅へ向かいかけたとき、


「ハルカ君」


 と、声をかけられた。振り向くと、この場に似つかわしくない女児が見上げていた。


「ミチザネさん──」

「お疲れさん」

「あ──お、お疲れ様です」

「こんな時間に本部に用事かね」

「あの、報告書を──キツネが出たので、その報告をしに来ました」

「ふむ。例の《激甚》の彼に、またクーコが出たそうだね」


 ハルカの表情が沈みがちになった。


「はい。それで、その、お母さ──母が、今日中に報告書を本部に出してくるようにと」

「なるほど。しかし困ったものだ。組織の体質が古すぎるのだよ。報告書などはメールで済む。そうしないといけない」

「メールだと──ハッカーっていうんですか、そういう悪い人に盗み見られるかもしれないから、手渡しをするんだって聞きました」


 ミチザネはパタパタと腕を振って、


「馬鹿な。対策も検討せずに心配ばかりしているのは愚かでしかない。出来ることは大いにあるはずだ。まず常日頃からサーバーの構成要素を把握してセキュリティホールにパッチをあて脆弱性に対処しておく。一定期間ごとにログをローテーションして不要なアカウントを整理し、かつクラックツールで解読されにくいパスワードに適時変更をかけておく。ドメイン認証においては公開キーの受け渡しを署名ヘッダが示すDMSに対応したコードに適合させて、プレビューとスプリクトを切ってHTMLをテキスト変換するよう設定し、IPアドレスの範囲を限定的にして(以下略)」


 しばらく講義は続いたが、ハルカには何のことだかわからなかった。


「そもそも情報漏洩は外部からの攻撃よりも、情報を扱う人間の過失によるほうがずっと多いのだよ。ともかく報告書のことは私に任せてほしい。必ず我々の組織にもIT革命を起こしてみせる。二十年ばかり遅いがね──それと、ハルカ君」

「はい」

「心配なのはわかる。しかし、あまりひとりで気に病まないことだ。君たちは若い。対策を考える時間はたっぷりとあるのだからね」


 そう言いながら、ミチザネはぽんと背中を叩いて、


「少し力を抜きたまえ。サトミ君や私もついている。頼ってくれていい」


 あやうく泣いてしまうところだった。

 ハルカはミチザネの素性をよく知らない。わかっているのは、二課に所属している謎の少女、という程度でしかなかった。

 だが、所属している組織──霊的事案管理局のみならず、文霊研や神祇院、法務院などにも顔がきき、友好的とはいえない公特調ですら、一目も二目もおいている──という話なら耳にしていた。

 その膨大な知識と的確な判断、果敢な行動力で国家の窮地を救ったこともあるという、ほとんど伝説のような噂まである。それが話半分にしても、これほど味方でいてくれることが心強い相手はそういない。


「ありがとうございます」


 どうしても、すこし声がつまった。


「しかし、まずは報告書のデジタル化だ。こちらは緊急を要する。なにしろ君のような若い女性を、こんな時間まで業務に拘束しているのだからね」


 ミチザネは片目をつむったが、女児の口から発せられる台詞としては、やはりどこかおかしい。

 というのはさておき、思えばメール云々の長たらしい講釈も、ハルカの気を紛らわせようとする気遣いに違いない。理知的でときに冷徹でいながら、ミチザネはそんな心配りができる人物だった。


 ──あいつにも、せめてこの半分くらい人の気持ちがわかればいいのに──じゃなくて、今はそうじゃなくて。この人なら大丈夫。何でも知っているし、判断も信用できる。そして味方でいてくれる。


「あの、ミチザネさん。すみません。少し時間、ありますか」


 思わずそう呼びとめていた。


 * * * * *


 カップ半分まで減ったコーヒーをすすりながら、ミチザネはハルカに目をやった。


 膝に手を置いたまま、まっすぐこちらを見返している。角砂糖をふたつ入れたコーヒーにも、まだ口をつけていなかった。

 ミチザネは目線を外した。さて、どこまで話したものか──あどけないミチザネの顔に、珍しくそんなそんな葛藤がみえていた。

 他に客のいないファミリーレストランにはJ-POPのBGMが流れ、内堀通りの車列がテールランプを店の窓に映していた。その向こうに見える内堀は岸壁の茂みが街頭に照らされ、濃緑が浮き上がっているようだった。

 そんな景色を眺めながら、数秒間、めまぐるしく思考をめぐらせたミチザネは、再び少女の真剣な眼差しと向き合った。


「よろしい。ただし、これから話すのはあくまで私の私見であり、文霊研などの研究機関が公式に認めたものではないので、そのつもりで聞いてほしい。それでいいかね」

「はい」

「まず彼──タダヒト君に憑いているものを考察する前に、少し長くなるが概説から説明しようと思う。理解できないところがあれば、遠慮なく遮って質問をしてくれて構わない」


 ハルカが頷くのを確認して、ミチザネは続けた。


「ラテン語でモーンストルム(monstrum)レムレース(lemures)英語圏ではモンスター(monster)東洋では幽灵(yōulíng)妖(あやかし)などと呼びならわされているものを、分類学上の動物界に対して《幻想界》と仮称すれば、これをさらにふたつのグループに大別することができる。すなわち現世において物質的な体を持つグループと、持たないグループにだ。便宜上、前者をグループA、後者をグループBとしよう。鬼、吸血鬼、人狼などがグループAにあたる。その多くは脊椎動物の形態をとっており、突然変異や疾患など非遺伝的な要因による一部を除いて、生物分類上の真核生物ドメイン・動物界・脊索動物のカテゴリに種別として追加してよいと私は考えている。これを《顕在体種族》と仮称しておこう」


 ミチザネはハルカの反応を窺うように、一旦、言葉を切った。今のところ、ついてきているようだ。


「次に物質的な体を持たないグループBについてだが、こちらを代表するものとして幽霊、精霊、妖精などがあり──個人的に、あくまで個人的には《神》もまた、このグループに属するものと私は考えているが──任意に、或いは偶発的に顕在化する身体を持ち、一時的に物質的な実体を伴う場合や、固定化した実体を常態としている場合もある。ただし、この《実体》は様々な要因によって変幻するので、グループAに入れることができない。生物の定義要件からみると課題が残るが、私はこの『自我を持つが体をもたない一群』を《思念体生物》とし、顕在化する実体を《霊体》と仮称している」

「つまりタダヒトに憑いてるクーコは、グループBの《思念体生物》で、耳とか尻尾とかが《霊体》ってことですか」

「理解が早くて助かる。さて、グループBの《思念体生物》だが、グループ内で次のように、さらなる分類ができよう。すなわち①固有の霊体をもち、その維持に他者を必要としないもの②固有の霊体をもつが通常は他者の個体に寄宿し、宿主の世代交代ごとに宿主間の移動をおこなうもの③固有の霊体をもたず恒常的な思念体としてのみ存在するもの④固有の霊体をもたないが召喚などの外的要因によって一時的な霊体をもつことができるもの」


 ミチザネは冷めてきたコーヒーで喉を湿した。


「あたしの白虎は①ですか、④ですか」

「白虎は自我と固有の霊体を持っているので①とみていいだろう。ただし召喚に応じることができ、その形態および能力は召喚者の霊力に影響を受けるので④の特徴も併せ持つ特異な個体といえる。さて、タダヒト君に憑いているクーコはどれに該当するか、わかるかね」

「②霊体をもつが他者に──タダヒトに──寄宿するもの」

「正解。君は優秀な生徒だよ、ハルカ君」

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