第5話 だって私たち、イヌですもの

「かわいい後輩を、あまり苛めないでください」


 サトミはクーコとハルカの間に入った。


「なんだ、かえ」


 クーコと呼ばれたタダヒト(に見える人物)は、ふん、と鼻を鳴らして、


「ようやくお出ましでありんすか」

「私たちが隠れていることも御存知だったくせに」

「ナカガミの小倅は、相変わらずかえ」

「ええ、それはもう」

「相変わらず馬鹿かえ? と訊いていなんす」

「辛辣ですこと。クーコ様こそ相変わらずですね」


 サトミは、しゃくりあげているハルカの背をさすってやった。


「手ひどいことをなさいますね」

「なァに、どっかの小娘が拐かされたのを、わっちのせいにしいしますんで、ちょいと、からかってあげなんしただけでんす」

「以前に、たちのよくない悪ふざけをなさったのは、本当でしょう?」

「わっちに言わせりゃア、あんなもんは、撫でたうちにも入りんせん」

「人間同士だと、それをセクハラって言うんですよ」

「わっちはキツネでありんす。人間の決まりごとなんざァ、知ったこっちゃござんせん」

「あら、の世界にも迷惑防止条例があるんですけど」


 クーコは挑みかかるような目で見返した。


「ほう。そのナントカ条例とやらで、わっちを取っ捕まえる気でありんすか?」

「まさか──《監視対象》とコトを構える権限なんて、私たち持ってませんもの」


 サトミは笑って受け流したが、それでもふたりの間は、先ほどからある種の緊張が張りつめていた。


「さすがに《七人委員会》は敵にまわしんせん、か」

「敵にまわすだなんて。これでも私たちは《七人委員会》傘下組織の一員ですのよ」

「それだから、ヌシみたいのをと言いんす」

「おっしゃる通りですわ。だって私たち、ですもの」

「ふん」


 クーコは面白くなさそうに鼻を鳴らして、


「かどわかされた小娘ってのも、でありんすか」

「そう呼ぶのが適当とは思えませんが。公特調、文霊研、法務院に籍をおき、みんな若くして上級主任以上の職位をもつ、選りすぐりのエリートですよ」

「ふむ──三下のモノノケじゃあ、手が出ん連中でありんすか。そいつァ、わっちが疑われるのも、まんざらでもねえってところでんすな」

「しらじらしい、はやく白状しないさいよ!」


 ハルカが叫んだ。まだ声に涙が混じっている。

 クーコは一瞥したが、すぐサトミに向きなおって、


「やかましい娘っ子でありんす。ところで、もし本当にわっちの仕業なら、としちゃあ、どうしんすかえ?」


 しかし、サトミはあくまで冷静だった。


「私たちは、そんな安っぽい挑発にのるではありませんよ」

「そうかえ。その割にぁア、さっきから不細工な殺気を、いくつも感じるんでありんすが、さァて、こいつァどういう了見でござりんすかね」


 その一言は、さながら爆弾だった。

 次の瞬間、抑えられていた殺気が剥き出しの敵意をともない境内をとり囲んだ。姿は見えないが、木々のざわめきに耳をこらせば、かすかな唸り声まで聴こえている。

 ひりつく空気のなかで、いつしか蝉も鳴くのをやめていた。


「ひい、ふう、みい──一匹あたり、ざっくり五百と五十年としやしょうか。足してまとめて四千四百年。おっとォ、どうにか勝負になる勘定じゃござんせんか」


 張りつめた雰囲気のなか、クーコは挑発的な態度をとり続けていた。


「サトミさん──」

「大丈夫よ、ハルカちゃん」


 サトミはあくまで動じない。


「彼らはプロです。無用な争いは仕掛けません」


 その口調は軽やかで、見れば涼しげな横顔には、おだやかな微笑までたたえられている。


「もっとも、そちら様から仕掛けられたのなら保証しかねますけど。お試しになられますか? 私たちも、それなりに手強いと思いますよ」


 その一言で、境内をかこむ林に潜む幾つもの殺気が、さらにまた凶暴性を増した。それらはサトミの声ひとつで、たちまち襲いかかって相手を食らいつくすに違いない。

 そんな殺気にさらされてなお、クーコはなお冷笑を浮かべていた。

 白髪に三角耳、太い尾とはしているが、体格じたいはタダヒトのものだ。格別、頑健というわけではなく、むしろやや華奢といっていい体躯だが、不敵とさえいえる余裕をみせて、サトミやその背後の殺気と対峙している。

 互いに手を出さず、といって引くこともない、やたらと長い数秒ののち、息苦しい緊張を解いたのはクーコだった。


「ふん。千日手でんす。食えん女でありんすな」


 と言い捨てて、ふっ、とその気配が消えた。

 一瞬、あらゆる感情が消え失せた後に、いつもの眠たそうな顔が還ってきた。

 タダヒトは目覚めたばかりのようにボンヤリとして──目覚めたばかりでなくてもボンヤリしているが──まったく状況がのみ込めずに辺りを見まわしていた。


「あ──サトミ先生」

「よ、青少年」

「いつからいたんですか」


 その時にはもう殺気は何処かへ消えて、ひぐらしの声が戻ってきていた。

 タダヒトは、まだ何が起きたのか理解できず、おずおずと訊いた。


「なんでハルカが泣いてるんですか」

「んー、説明すると長くなっちゃうんだけどね」


 サトミは苦笑いをしながら、


「ま、君のせいじゃないから、あんまり気にしないで」

「あんたのせいだから!」


 ハルカは真っ赤な目でタダヒトを睨みつけた。


「あんたがキツネなんかに憑かれたせいで、あたしの人生、メチャクチャになってんだからね!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る