第4話 野暮ったいことを、しないでおくんなんし

 ハルカは素早く指を組み替えて、次々と印を結んでいった。


 臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前──。


「おっと、こいつァ剣呑」


 タダヒト(のような何か)は首をすくめてみせた。


「もう、それを使うでありんすか。わっちがそいつを初めて見んしたのは、ぬし様から数えて七代前、まだお武家さんが斬った張ったをやっていんした時代に、修験道の術とやらがどうしたこうしたって口上を、ご先祖サンに聞かされんした時でありんすな」

「白虎、かかれッ!」


 召喚者の霊力に比例するという神獣に、練り上げた気をたっぷり注ぎ込んでから、相手めがけて解き放つ。

 今度こそ荒ぶる白虎が飛びかかり、死なない程度に、いや大怪我しない程度に──できれば、あまり痛くない程度に痛めつけて、破廉恥な悪ふざけを泣くほど反省させてから、アイツの身体から叩き出して──。


 の、はずだった。


「びゃっ──こ──?」


 そこにあるのは、思い描いたものとは、まったく違う光景だった。


「ほいほい、ゴロゴロ。かわいい猫ちゃんでありんすな」


 だらしなく仰向けになって、大きな腹を見せたまま、無防備にさらした喉元をさすられている姿は、まごうかたなき恭順のポーズ。

 うっとりと目を閉じて、ほとんど恍惚とした表情には、戦意の欠片もみられない。

 神獣・白虎は一戦もまみえず、早々と敵の軍門に降ってしまったのだった。


「白虎!もう!」


 急いで次の印を結ぼうとするが、その時には素早く回り込まれて、背後から耳元に囁かれていた。


「野暮ったいことを、しないでおくんなんし」


 抱きすくめられて、ハルカは逃れようと身をよじった。


「は、離して!」

「離しんせん。不粋なシガラミなんざうっちゃって、こっちはこっちでお楽しみと洒落こもうじゃア、ありんせんか」


 と、胸元へ手が伸びてくる。


「ちょっ──どこ、さわって──」

「さてさて、おあねえさんは、どこいらへんが、弱いんでありんしたかねえ」

「やめてってば!」


 ハルカは必死に手足をばたつかせて、どうにか抱擁を振りほどいた。


「そういうことをするから、あんたがあやしいって言ってんの!」

「これまた、なかなかいけ好かねえことを、おっしゃりんす」


 そう言う顔はふてぶてしく、まったく悪びれていなかった。


「そんだけ愛くるしいお顔をしておいでんすから『あっち』の方もみっちり仕込みゃア、鬼に金棒と思いんして、ちっとばかしご指南しんしただけでありんすのに。ひひ」

「ちょ──」


 もう顔色は赤くなるのを通り越し、怒りで青白くなっていた。


「ああいうこと、今度やったら殺すからね」

「はて?ああいうことって、どんなことでありんしょ?」

「どんなって──本気で殺すわよ」

「昨日や今日の馴染みでもおあんなすまいに、ほんに連れねえ、おあねえさんで。それも身体のすみずみまで、おしげりなんした仲じゃアござんせんか」

「だ、だから、あれは、あんたが無理やり──って、馬鹿!変態!」


 ついにハルカがキレた。

 力いっぱい式札を放ったが、もう怒りにまかせてブン投げただけ。

 ひょいと躱されて、かわりに拝殿の柱を砕いたあたりは、さすが霊験あらたかなところを見せたが、集中力が乱れて白虎も霧散してしまった。

 次いで拳をかためて突進したが、もうこれは術式でもなんでもなく、ただストレートに怒りをぶつけたにすぎない。


「殺す!もう殺す!」

「かかかかか──」


 境内じゅうを追いかけ回したが、出来の悪いコスプレみたいな耳と尻尾は、ふわりふわりと舞うようなフットワークで捕まらない。

 繰り出すパンチがひらひら躱され、しかも人をくった減らず口はいっこうにやんでくれなかった。


「いや、わっちが悪うござりんした。この通り」


 ひょいと首をすくめてラリアートをやり過ごしてから、ご丁寧に手を合わせて舌も出す。完全におちょくっていた。

 かと思えば、


「なんせ、こちとら男でも女でも、どっちでもいいクチなもんでんすから、わっちばっかしおいしい思いで、申し訳ないことをしんした」

「うるさい!」

「こんな埋め合わせは、どうでありんしょ」


 と、やにわに距離を詰め、かるく顎先をつまみあげて、


「ハルカ、愛してるよ」

「な、なな」

「かわいいハルカ。なかなかエッチなカラダをしてるじゃないか。さあ、ボクとスケベなことをしよう」

「その顔でそういうこと言うの、やめて!」

「かかか──どうでんす?この野暮天小僧と似ていんしたか?キツネってなァ、化けるんでおざんすよ」

「やめてってば!」

「男でも、女でも、どっちでもない真ン中だって、なんでもござれでありんすよ。あらヤダ、チョット試してみてもイイんじゃナーイ?」


 とうとうハルカは耳をふさいだ。


「おやおや。お気に召さないでありんすか」

「お願いだから、そいつの身体から出てって!」


 声を振りしぼるようにハルカが叫んだ。たかぶる感情を抑えきれずに、華奢な肩がふるえている。


「おやァ?おやおやァ?」


 一方、こちらは喜色満面だった。


「ひょっとして、おあねえさん。この野暮天小僧に、ちょいと脈ありでござりんす?」

「なに言って──ちが──」

「ほほう。どうやら、もしやもしやの本気でホの字。わっちとしたことが、こっちこそ、とんだ野暮天でありんした」

「ちがうってば!」

「けど、そんなら、わっちァちょいとお手柄でござんすね。なんたって、おしげりなんしたときに、こうしてチュウウと──」


 両手で掻き抱くような仕草をしながら、尖らした口を突きだして、


「口吸いもしておあげなんしたから。お若いうちは、なかなか勇気の出せねえもんでありんすから、手間がはぶけて結構なことでござりんす。それにしても、ありゃア──」

「やめて!」

「ふっくらとして柔らけえ、いい唇でありんしたなあ」 

「ひ、えぐっ」


 ハルカはこみ上げてくるものを必死におしとどめていたが、ついに感情を決壊させてしまい、


「ふ、ふえええええ──」


 とうとう泣き出してしまった。


「あ!泣きんした!泣きんしたねえ!」


 それを見て、手をうって喜ぶから、また始末が悪い。

 おまけに、まだ苛めたりないらしく、さらに追いうちをかけようと、意地悪くに何やら言いかけたとき、


「かわいい後輩を苛めるのは、そのへんにして頂けませんでしょうか、クーコ様」


 拝殿の陰から人影があらわれた。

 二年三組副担のサトミだった。

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