第14話 シリアルキラーの心理

 この女の暴行癖は、シリアルキラー(連続殺人犯)の心理に似ている。近年、シリアルキラーの研究が進み、その心理が明らかになっている。シリアルキラーには、深層心理の世界において本当に殺したい相手というのが居て、その人物を殺せないが故に代理の殺人を繰り返していくというもの。殺したい人物というのは、大抵の場合、母親。彼女は、家庭の犠牲者だった。彼女もごく普通の家庭で育てられたなら、こんな性質に苦しめられることもなかった。

 その日、午後の仕事がキャンセルになって女は家に居た。息子も不登校がちながら小学五年になり、彼女の中で暴力との決別の時期が近づいていることを悟っていたのかもしれない。キッチンの床にうずくまっていた。しらふだった。小さな女の子みたいだった。彼女の眉間は、ひどく震えていた。

「あたしもお酒をやめたいと思ってる。だって、あなたの表情がどんどん暗くなっていって、あたしは耐えられないのよ。あの子も最近は笑わなくなった。子どもらしさがなくなった・・・。酔いが冷めるといつも思う。こんなこともう沢山だって。あたしが間違っていた。人間は、暴力を克服できる存在でしょ。人間特有の理性というもので、この世を治めていける、もっと崇高な生き物だって。違う?」

 僕は答えた。彼女の問いに簡潔に即答しなければ、彼女の逆鱗に触れることを知っていたからだ。

「違わないよ。人間は素晴らしいよ。人間はストレスで暴力を・・・僕のせいだ」

「お酒やめられると思う?今まで何度も断酒に挑戦しては挫折した」

「挑戦し続けるかぎりうまくいく。そう信じないと」

「神も駄目だった。あたし、宗教に入ったらうまくいくと思ったの。アルコール依存というのが、悪魔(サタン)の誘惑と解釈すればという意味においてね。でも、宗教に入ってもそいつは退散してくれなかったのよ。何てしぶとい魔性なの。甘かったわ。でも、宗教に入るだけで依存症を克服できるなら、誰でも入るよね。二十一世紀は、二十世紀の教訓で成り立っていて、とても進んだ世紀で、暴力を克服できている。そう信じていた。完全な男女平等が実現されていて、虐待の連鎖もなくなっている・・・」

「誰か立派な存在に救われたいというのが間違っていたんだよ。こういうことは家族みんなで助け合って励まし合っていくしかないんだ。アナログの世界だ」

「克服できるの?」

「できる。今日駄目でも明日挑戦する。明日が駄目でも、そのまた明日挑戦する。それを繰り返していけば、いつかうまくいく日が必ずやって来る」

「あたしは駄目人間よ。うまくいく人間なら、とっくにうまくいって」

「逆境に苦しみながら、ここまで生きて来た。勇気だけはあるんだ。できるよ」

「あの子も遺伝子の障害があるかもしれない。苦しみの多い人生よ」

 彼女は立ち上がって食器棚の引き出しを開けた。延長コードを取り出す。

「あの子がもうすぐ帰って来るわ。これで殺しましょ。みんなで死にましょ。苦しみのない世界に行きましょうよ。今死ぬのも何十年後かに死ぬのも同じよ」

 僕は、女を殴った。床に倒れる女。どれくらい時間が経っただろう。女の目は、宙をさまよっていた。

「子どもの頃、女性差別を存続させる要員の女にだけはなってはいけないと思ったの。母みたいな女にだけはなってはいけない。あんな暴力を振るう男にへいこらすることしかできない女。女性としての誇りの一欠けらも持てない女。卑しい存在。しかも、虐待の連鎖の担い手。けれど、あたしは、家族に暴力を振るって、昔の家父長制の女版になったというだけね。構造は何一つ変わらない」

「人間の構造が変わらないのに、大きく変えるのは無理だ。こういうことは少しずつしか変えていけない」

「男女平等がうまくいっている家庭は世間ではあるそうよ。報道ではそうよ。あたしは変えたかった。自分の家庭は、本当の意味の男女平等を実現したかったの。そうでなきゃ、生きている意味がないでしょ。そんな女、何の値打ちもない。死んだほうが・・・。本当の意味の男女平等を実現したいなら、あたしは今すぐここを出て行くべきよ。男を頼らず一人で生きていくべきよ」

「一人で生きていける強い人間などどこにいる」

「暴力を振るう者、振るわれる者、共依存というわけね」

「ある面ではそうだ。だが、そこから見えてくる何かがある」

「それって申し訳ないじゃない」

「誰に」

「女権を拡張しようと死に物狂いで闘ってくれた先人達に」

「それって前提がおかしくないか? 男女が平等であるのが当たり前なのに、社会の側がそれをしてこなかった。女権を拡張しようと努力してくれた人達には感謝すべきだが、そういった女性達に能力が追い付いていない女は、女性差別を存続させている要員であると苦しむことはないんだ。悪いのは社会の側だ」

「あたしは・・・自分の家庭は、本当の意味の男女平等を実現できると信じていた。だから、生きて来れた」

「自分に厳しすぎる。それが女性差別だ。男尊女卑の頭で男女平等を考えるからパニックに陥るんだ」

「あたしの苦しみには、どこか嘘があると感じていた。それがこれだったのね。あたしの頭は男尊女卑だった。そんな環境で育った以上どうすることもできないわ。あたしは男女平等が欲しかったのよ。自分が卑しいなんて認めたくなかった」

「この家の中では男女の差異はない。これからでも実現できるよ。少しずつね」

 僕は、女を抱き締めた。僕も泣いていた。

「もうテレビを観るな。ネットもするな。本も読むな。情報に振り回されるな。家庭の数だけ家庭の形はある。この家庭だけを信じろ。何にも囚われるな。囚われるから苦しむんだ。家族で助け合って生きて行こう」

 女は、女性差別、虐待の連鎖の被害者で病気だった。心の一部分が壊れている。こういった女は、家族の愛をもってしか回復していけない。彼女は立ち上がった。彼女は小さくしょんぼりしていた。彼女にとっては、今が五歳の女の子だった。親の愛情をもらえなかった女の子が、今、愛を得ようともがいていた。虐待の連鎖を真剣にとめたいと願うなら、家族が大人である家族が、暴力を振るう者を捨て身で受け留めねばならないのだ。彼女は、充分苦しんできた。これ以上苦しむことはない。家族から見捨てられた者が、シリアルキラーになるということが分かっている。

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