第12話 あきらめ

 今日も午後のバイトが見つからず。とぼとぼ自転車を押して保育園に迎えに行く。僕も離婚を考える時があった。妻の飲酒による暴力が治まる気配はない。僕の体力にも陰りが見え、随分前から妻に蹴られた右膝が痛い。バイパスを大型トラックが通過した。昔、車に飛び込んだことがある。苦しみから逃れるため、飛び込んだら楽になれるという発想が脳裏をよぎる。自分がいないほうがいいのではないだろうか。保育園の帰り道、自転車の後ろに座る息子に聞いてみた。

「パパは、遠くで暮らしたほうがいいと思う?」

「いなくなるの?」

「うん。ユウ君とあまり会えなくなるけど」

 息子は、泣きそうな顔をした。両手で椅子の手摺を握りしめていた。手が心持ち震えている。息子を悲しませてはいけない。息子なりに暴力には心を痛めていた。僕があの女を見捨てたら、この子はどうなってしまうのだろう。この子に暴力の矛先が向かうに決まっている。僕が幼い時に受けた虐待をこの子には味わわせたくはない。

 思えば、僕の半生は、屈辱の連続だった。社会人になってからも派遣先で受けた侮辱の数々。それも全くの憶測による。「お前みたいな女みたいな奴は、仕事も半端に決まってる! お前がやったミスやろう!」。「お前みたいななよなよした奴、人間やない。単なる部品や」。「お前は仕事ができるだけの奴や。仕事以外はクルクルパー」。成果を横取りされることは、しょっちゅうだった。お前の代わりはいくらでもいる、一般のそつのない会話のできない変わり者、みんなと喫煙や競馬ができないセコイ奴、社内行事に参加できない融通の利かない奴、お前みたいな顔の暗い奴がいたら周囲が暗くなる・・・等々の暴言。何一ついいことのない人生。それは離婚しても変わらない。とすれば、ここで踏ん張るしかないのではないだろうか。自分が人間の盾になれば、息子が妻が幸福になれるなら捨て石になろう。所詮、結婚とは、傷付け合って支配しようとする関係と言うではないか。それ以外の関係が見込めるだろうか。多かれ少なかれみんな子どものために我慢しているだけなのだ。結婚に安らぎなどない。そんなものどこにある。

 暴言を吐かれて不快にならないわけではない。だが、傷付くだけのプライドも僕にはなかった。プライドなどとっくに消滅していた。誰の邪魔もせず真面目に生きているだけの僕に対して、周りは寄ってたかって僕の居場所を奪おうと妨害した。そんな半生。僕にあるのは、あきらめだけだ。人間、自尊心などなくても生きていけるものだ。男が、家庭内で、自尊心を捨てて自由平等の概念に拘泥しなければ、家庭は丸く治まるのだ。子どもも配偶者も幸福になれる。今の世の中、ひとりで生きる美学を持つ男は多いのに、子どもを守るという美学を持つ男が少な過ぎる。それが離婚率を高め、シングルマザーを増やし、シングルマザーの良からぬ新しいパートナーを呼び寄せ、子どもの虐待死に繋がっている。男が自尊心を捨てるという簡単なことをしさえすれば、子どもの虐待死を未然に防ぐことができるのだ。男の究極の目的が家庭を守ることだということをもう一度考えるべきだ。そのことに気付かない男が多すぎる。

 人間がいる処には、差別・イジメ・虐待は付き物だ。肝心なのは、それらを乗り越える覚悟を持つこと。悲愴でもいい、みっともなくてもいい。男らしく子どもを守り抜いてみろよ。家庭内では、こんなことは男にしかできない。結論。

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