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大学生の長期休暇というのはとにかく長い。春休みが終わり、四月からようやく講義が始まったかと思ったら、あっという間にテストがやってくる。そしたらまた二カ月間の長期休暇だ。僕のようなサークルに入っていない学生からすると、講義がある時期もさして忙しくはないのだけれど。
僕は日雇い派遣のアルバイトに登録していて、暇が多いからその仲介業者からとても重宝されている。今日も元々は休みだったのだけど、急に出勤できなくなった人の穴を埋めるために派遣されることになったのだ。
日雇いバイトは僕にとって都合のよい仕事であった。べたべたとした人間関係があまり得意ではないからだ。確かに日雇いバイトをしていると初対面の人と会話をすることが多いが、それはなんとかなるものだ。その日のうちに現金がもらえるのもよかった。働く日数を増やそうと思えば増やせるのもいい。
家賃は凜々子が支払うことになっていて、食費など生活費は僕が払うことになっていた。それなのに、ときどき家賃も僕が払うことになる月がある。そういう月に勤務日数を簡単に増やせるのが便利なのだ。
僕はアルバイトの帰り道、最寄り駅の近くにあるスーパーに立ち寄った。急遽の出勤となったため、朝食はたいしたものを作ることができなかった。僕はカゴを入り口で取り、店内を見回った。そうやって本日のお買い得商品を一通りチェックするのだ。そのチェックが終わる頃には、お買い得商品から作ることのできる料理が少しずつ頭の中に浮かび上がってくる。七海さんの要望は「和食よりは洋食がいいな」だった。頭に浮かんだ料理を選んでいく行為が楽しい。料理は僕の唯一の趣味と言えるだろう。
家に帰ると、七海さんの弾くピアノの音が聞こえる。これは練習曲だろうか。そんなことを考えながら、僕は手際よく料理をつくっていった。
「え? 一日中練習していたんですか」
「そんなことより、これほんとうにおいしいね」
七海さんは僕の質問を無視して、顔はほころばせた。ひき肉とトマトピューレが安かったので、トマトソースの煮込みハンバーグをつくることにしたのだ。
「味付け大丈夫ですかね。ちょっとしょっぱかったかも」
「そんなことないよ。しかし裕也くんすごい。これ、お店で出てくるやつだよ」
そんなことないですよ、と言いながらも、僕の心は満足感に包まれる。
「水を入れて蓋をして蒸し焼きにするとふっくらするってこの間テレビ番組でやっていて、それを試したらうまくいったんですよね」
「この料理はよく作るの?」
「煮込みハンバーグのことですか? そうですね、デミグラスソースの煮込みハンバーグなら、割とよく作りますよ。凜々子も好きなので」
「そうやって、試行錯誤してさらに美味しいものを目指すのって楽しそうだね」
七海さんは嬉しそうにそう言った。
「まあ、でも僕はレシピに書いてある通りのものを作ることが多いですよ。そんなにレパートリーないし」
褒められることがなんだか落ち着かず、僕は謙遜しながらテレビをつけた。テレビでは、ニュースをやっていて、海外リーグに挑戦しているサッカー選手を報じていた。
「あ、裕也くん彼のこと知ってる?」
「まあ、一応知ってますよ。あんまりサッカー詳しくないですけど」
知り合いか何かなのだろうか。
「彼って日本のリーグでは活躍していたけど、海外に行ってから全然試合に出ることができてないの。今日は久しぶりに出場したみたいだけど、ダメだったみたい。そろそろ解雇されちゃうのかもしれないのよ」
「それは、なんだか可哀そうですね」
テレビの中の解説者が、彼について厳しい意見を述べている。七海さんはその言葉に眉をひそめた。
「ほんとうに、失礼しちゃうよね」
「まあでも、実力が足りないから出場できないってのは本当なんじゃないんですかね」
「そうかもしれないけどさ。自分の実力をさらに伸ばすために世界で戦っている人をさ、よくこんな風に偉そうに叩けると思わない? お前はどうだったんだよって話でしょ」
七海さんによると、この解説者は昨年まで監督をしていたのだけれど、逃げ腰のサッカーをする人だったらしい。
七海さんの言葉を聞きながら、僕の中に残っていた疑惑が薄れていくのがわかった。凜々子の友人というのは本当のような気がしてきたのだ。
「この選手って、ドイツのリーグでプレーしているんでしたっけ?」
「そうよ。ドイツはいいところよ。ビールとウインナーと音楽の街。まあ、私はその頃ビールが苦くて飲めなかったんだけどね。惜しいことしたな」
「行ったことがあるんですか?」
「住んでいたのよ。高校生の頃ね」
「高校生!?」
「あら、ドイツは十六歳からお酒を飲んでいいんだからね。合法なんだから。ワインはよく飲んでいたな」
「いや、そこじゃなくて住んでいたってところに驚いたんですよ」
「私、日本に住んでいる年数の方が短いのよ」
七海さんは嬉しそうにドイツの魅力を語り出した。
自分の体験したことを魅力的に語る姿は、どこか凜々子に通ずるものを感じた。大学を中退して誰にも相談せずにアメリカに行ってしまったときなんかがそうだ。そういえば、凜々子はいま、どこにいるのだろうか。
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