第16話 ランク戦

 毎週、土曜日の午後になると囲碁専攻の生徒たちは対局室に集まる。新しく入ってきた夏実を加えて、中等部・後頭部を合わせて総勢四十名。それが囲碁専攻のコースを選択している生徒の総数だった。


 この四十名の生徒たちが、プロになるための道のりとして、囲碁の成績によって全てが決まるランキング戦を行っていく。


 このランキング戦は入学したばかりの中等部の一年生が一番下のEランクからスタートし、同じクラスの中で総当たりの対戦を行い、成績が上位の者は上のDランクに上がり、逆にDランクの下位は下のEランクへと落ちていく純粋な実力主義のシステムだった。


 ランクは最高でAランクまであり、Aランクの上位三名が年に一回行われるプロ試験へと参加する資格を得ることができる。


 そうした真剣勝負の場とあって、どこか張りつめたような対局室の中にみなぎっていた。夏実はそうした空気を感じ取って、緊張すると同時にワクワクする。


 沙也加先輩も来ているはずだ、と姿を探す。それぞれの席はランクごとに分けられており、先輩はBランクの人が座るテーブルにいて、対局準備を整えては、静かに始まるのを待っていた。


「天涯さんは途中からの参加ということで、今月のランク戦は不参加になりますけど、誰か空いている人と対局をしてもらうわね?」ランキング戦で問題が起きないように、監督役を務めている教師から、夏実に声がかかる。


各ランクはそれぞれ八名ずつの定員になっているが、Eランクは人数が半端になったため、七名になっていた。二人組で対戦を行うため、自然と一人が余っていることになる。


「私、今日は不戦勝です」教師に向かって、星井麗奈が手を挙げる。


「では天蓋さんはあそこの席に座ってください」


 夏実は、言われたとおりに席へと着く。すでに対局を始める準備がされており、麗奈が姿勢を正して座っていた。


「よろしくね、麗奈ちゃん」夏実が挨拶をする。


「ここの対局場では礼儀正しく、マナーを守るんですのよ? 皆さん、真剣なんですから」麗奈が夏実に釘を指す。先日の浴室での一件で、だいぶ信用されていないな、と夏実は思った。


「大丈夫だよ、もうあんなことはしないから」


「はいはい、お静かに。全員準備はできましたか? それでは、初めてください」教師の指示と同時に、皆が一斉に挨拶をして打ち始める。そこかしこから碁石が盤に置かれる音が室内に響く。


 夏実と麗奈もニギリで先手後手を決め、挨拶をしてから対局を始める。

今回の対局は、碁盤の隣に対局時計というものが置かれている。


 対局時計とは、囲碁において自分の番に考えることのできる時間に制限を設ける場合に使われる。


 考える時間はお互いに別々の時間としてカウントされ、それぞれの持ち時間と呼ばれる。今回のランキング戦での持ち時間は、一人一時間とされており、対局時計には二箇所に一時間を示すタイマーが表示されていた。


 時計の上部には自分側と相手側にそれぞれボタンがあり、そのボタンを使ってお互いの時間をカウントする仕組みになっている。


 例えば自分が先に打つ場合は、自分の側のタイマーだけが動き始めて時間が減っていく。タイマーが減っている間に考えて、自分が一手を打ったら、自分側にあるボタンを押す。


 ボタンが押されると自分側のカウントが止まり、相手側のタイマーのカウントが動き始める。


 相手が考えた後に一手を打ち、相手側のボタンが押されると、相手のカウントが止まり、自分のカウントが動き始める。


 つまりそれぞれが打つ前に考えた時間だけ自分の持ち時間が減っていく仕組みになっていた。


 この持ち時間がなくなった場合は、ルールによって秒読みというシステムを適用する場合もあるが、今回のランキング戦では持ち時間が切れると、負け扱いとするルールを採用していた。


 麗奈が先手となったため、黒石を持ち第一打を打つ。右上スミ星。対局時計を押す。夏実側のカウントが動き始める。


 対局時計なら家にもあったし、何度か使ったこともあるので問題なさそうだ、と夏実は思った。


 前回の優子ちゃんとは違う相手、麗奈ちゃんは怒りっぽいけど、とってもしっかりしていて目立つタイプの女の子だった。どんな囲碁を打ってくるんだろう、どんな景色を一緒に見ることができるんだろう、と胸が高鳴る。


 夏実も一手を打つ。互いに星、碁盤の外側から縦横四本目の線の交点に初手を打った。盤の角よりも中央や辺の方にやや重点を置いた打ち方で、広く素早く陣地を展開できるのが持ち味だ。


 麗奈が右下スミ星に続けて打つ。星が並ぶ姿から、二連星と呼ばれる布石だ。


 さて、どう打とうかと夏実は考える。星に打たれた手に対しては、さらに角に近い三の3、三本目の線の交点に入って隅を取ってしまうという打ち方もある。


 どの選択肢も十分に魅力的だが、まずは相手の出方をさらに伺おうと決める。


 夏実も星に打ち、お互いに二連星に構えた形になる。


 麗奈がさらに自分の星と星の真ん中に石を打つ。この形は三連星と呼ばれ、隅や辺で陣地を作るのではなく、中央を重視した素早くて手の早い形だ。


 せっかちな麗奈ちゃんらしい打ち方だ、と夏実はおかしくなる。相手に大きな陣地を作らせないように、相手の陣地の中へと割り込んでいく。


 入っていった石を根拠に、隅をうまく自分の陣地にして、相手に大きな陣地を作らせないことに成功した、そう思ったのもつかの間、それこそが相手の狙いだったことに気づく。


 大きな陣地を作るように相手に見せかけて、割り込んできた相手を攻撃しながら、その実、相手の石を中央に出られないように封鎖して、中央への厚みを作ると共に対局の主導権を握るのが麗奈の策だった。


 対局において、どちらが主導権を握るのかというのは少しの陣地よりも重要な要素だった。


 最初に打つ黒番は、コミと呼ばれるハンデを相手にあげている代わりに最初の主導権を握ることができる。互いに一手ずつ打つ以上、後から打つ側は、相手の打った手を見ながら自分がどこにどうやっていくかを考えなくてはいけない。


 それに対して最初に打つ側は、自分の打ちたい方に打つことができ、どこにどうやって陣地を作っていくかをある程度コントロールすることが可能になる。


 では、ずっと先に打つ側が主導権を握り続けているのかといえば、そうでもない。相手が打ってきた手に対して、自分の方がより少ない手数で対応できれば、相手の狙いのところへ打たなくてよい分、相手は先に好きな場所へと打つことができる。


 今回麗奈は、自分の陣地へと入ってきた夏実の手に対して、隅の方の陣地を渡す代わりに、中央への進出と先に仕掛ける権利を得ることができた。


 相手の思うようにリードされている、と夏実は感じる。まるで優雅なダンスのように、相手の差し出す手を取り、決められたステップに乗っ取って運ばれていく。


 この先のゲーム展開を読んでいくと不利になると、直感する。


 相手がそのまま流れるようにして、次の一手を打ってくる。夏実はあえて、そこに反発するような手を打つ。

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