蛇足

 コンクリートで固められた味気ない建物を背に息を大きく吸い込むと肺は新鮮な空気で満たされた。


「長かったな。行く当てはあるのか?」


 見張りの刑務官が馴れ馴れしく話しかけてくるから俺は「知るか」と吐き捨て歩を進める。二十年慣れ親しんだブタ箱から解放され気分は良かったが、今さら娑婆に出てどうするという想いもあった。再犯を繰り返す高齢受刑者の気持ちが少し分かる。


 肌寒さを少し通り越した秋の終わり。出所した喜びもつかの間、頭をよぎるのは多難な前途とろくに育てた覚えのない息子の事である。ここ最近は法人を立ち上げるから助言をくれとしきりに面会に来たのだが、俺の様な古い人間の言葉が活きるのかはなはだ疑問だ。


 百合が死んでから、どうにも子煩悩になった気がする。俺みたいなものが父親なんだ。てっきり恨まれるとばかり思っていたがそんな気配は微塵もない。おかげで、本来なら俺が話さなきゃいけない事を人任せにしてしまった。まったく、情けない事だ。


 およそ二百米。入ってきたとき以来見たことがなかった正門は景気よく開かれ早く出て行けと急かしている。出所できて清々するが、お前の居場所はないと宣告されるのは癪にさわる。

 ため息ひとつ。肩を落として敷地を出れば周りは緑豊かな大自然。当てのない人間はどうやったって歩いて駅まで行くしかない。酷い話だ。収監されていたときの方がまだ温かみがあった。周りを見ればアスファルトとガードレール。やや離れた場所に食事と書かれたのぼりを立てたプレハブ造りの家屋が一軒。回転灯が光をばら撒き営業中であることを露骨に示している。入ったが最後。糞の役にも立たん人生訓と同情を持ってして歓迎されるのであろう。反吐が出る。


 腹が立つので店とは反対の道を行く事にした。どうやら駅とは反対方向らしいが、なに。どうせ根無し草だ。構う事はない。風の吹くまま気の向くままに、どこぞなりへと運ばれよう。

 半ば自棄を起こし勝手が分からぬ道を踏み締め進む。いくら歩いても景色に変化がなく眠い事この上ない。たまに通る車の中からまるで見世物のように覗かれる程度の道中は退屈であった。

 一時間ほど歩いた。肉体的にはまだまだ余裕はあるが、精神的な疲れが早くも出始める。先が見えないというのは、どうにも慣れない。更にしばらく歩くとおあつらえ向きに小さな広場とベンチがあったので休む事にした。そこからは麓の街並みが一望できたのだが、俺にとってその風景はやる気が削がれるだけであった。あそこまで歩かねばならぬのか。と。


 長い木製のベンチは朽ち果てる寸前だったが人一人を支えるには十分外形と強度を誇っていた。勢いよく座っても軋み一つ聞こえてこない。いい塩梅なのでそのまま足だけ放り出し横になる。薄藍色の高い空が眠気を誘い、みるみる動く気力がなくなっていく。まるで俺の人生の様だ。一度立ち止まれば、後はもう死ぬだけ。まったくろくなものじゃない。地に落ちて、嫁も守れずなにをやっているのやら……


 目を閉じ気だるく微睡んでいると車が近くに止まり人が降りる音が聞こえた。何となしに横目で見ると、息子が呆れた様子で俺を見下げていた。


「駅は反対側だぞ。刑務所の人間が見ていなかったら、あんたのたれ死んでたな」


「……何か用か?」


 息子はまだ汚れのついていないワゴンにもたれ「いいから乗れ」と指図をしてきた。癪に触る。


「帰れ」


「ばばあからの遺言なんだよ。あんたをよろしくって」


「死んだ人間の言葉なんざ聞くこともないだろう」そんな言葉を投げやりに落とすと中は言った。


「死んだからこそ。だ」


 その言葉には凄みがあった。目を見れば力強く、芯がしっかりと通っている。いつの間にか成長した息子を前にして俺は思わず視線を逸らしてしまった。

 誤魔化しついでに咳払いをして身体を起こし立ち上がる。俺も焼きが回ったものだ。手前仕込みの種に背を越されるとは……


「分かったよ」


 言い聞かせる様呟きワゴンに乗り込む。車内は新車の匂いがした。俺の時代。同じ値段なら中古のセダンを買ったものだが、今日日の若者はどうにも分からん。席に着けば「シートベルトをつけろ」だ。馬鹿馬鹿しい。


「立ち上げるって言っていたNPOはどうなった」


 ようやく発信した車の中で景色を見ながら気になっていたことを聞いてみると、「許可は下りた」と簡単な返事の後「あんたには特別顧問になってもらう」と馬鹿なことを言い放った。


「お前馬鹿か。今日務所から出た人間がそんな事できるわけないだろ」


「だから特別だ。なに。あんたの名前は名簿に入れてない。家族だから一緒に家に住んでいるし手伝ってもらってますと言っておけば大丈夫だろう」


「……そんな言い訳が通じるかよ。バレたら認定取り消し。悪けりゃ刑事事件だぞ」


「その時は、その時さ」


 そう言って息子は笑った。心底楽しそうに声を上げアクセルを踏んだ。静かな山道がエンジン音で満たされ自然に住まう生物達が文句を言ってきそうであった。




「……あんた、お母さんの事知ってて黙ってたろ」


 不意に発せられた言葉に俺は黙する他なかった。


「……だとしたら、どうなんだ」


「あんたも、僕の事考えてたんだなって」


 思いがけない言葉に、また押し黙る。どうにも、よくない。


「僕さ。母さんに会ったんだよ」


「……」


「お節介だったけど、いい人だったよ」


「当たり前だ」





 曲りくねった山道の出口は未だ見えない。しかしそれでも長く、長く道は続いている。息子の拙い運転には肝が冷えるが、こうしてのんびり進んでいくのも、いいものだ。

 窓の外を見ると曼珠沙華が枯れていた。深紅の花弁が項垂れ儚い命の残照を形に残している。しかしその種子は撒かれ、四季が巡れば等しくまた咲き誇るだろう。

 

「中」


「なんだ」


「でかくなったな」


 今更ながらにそういうのは照れくさくはばかられたが、声に出してみるとまんざらでもない。絆されただけかもしれないが、今は、これでいい。

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母は突然やってくる 白川津 中々 @taka1212384

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