最終章 ”彼ら”との行く末

第30話 安堵

「はっ…!!」

私は突然、閉じていた瞳を開く。

そんな自分の視界に入って来た情景ものは、どこか室内の天井だった。

 リヴリッグに香園の精神世界へ連れて行ってもらってから、どのくらい時間が経過したんだろう…?

意識がはっきりとしてきた私は、現状を把握しようと考え込む。

「奏さん…目を覚ましたんですね」

「ベイカー…。ここは…?」

「ここは、港区内の病院です。“わたしたち”を診てくれる医師がいる…ね」

すると、すぐ近くで背の高いアングラハイフであるベイカーの声が聞こえる。

彼の一言によって、今いる場所が区内にある病院の病室である事を悟る。穏やかな笑みを浮かべるベイカーは、椅子に座り込んだ状態で私を見据えていた。

「ベイカー…ヤドと香園は、どうなったの!?」

彼らの事を思い出した私は、その場ですぐに起き上ってベイカーに問いかける。

「わわっ…!!命に別状がないとはいえ、まだ安静にしていてください…!!」

ベイカーに宥められたのと、私自身の両足から来る鈍い痛みによって、私は落ち着きを取り戻す。

そして、彼の口より、私が救急車で搬送中に意識を失った事。香園に斬られた足は骨やじん帯を傷つけるまでには至らなかったため、念のため1・2日程度の入院をすること。そして、ヤドや香園が無事であること等――――――――私が知りたかった内容を、一通り話してくれた。

「因みに、澪さんも先程までいました。ただ…人間である彼女は睡眠も必要だろうから、明日のバイトが休みであるわたしが、奏さんにつきそうよう言われて残っています」

「あ…」

ベイカーの話を聞いている途中、病室にあるデジタル時計の時間が17時過ぎになっていた事に気が付く。

香園に拉致されて聖杯の眠る場所へ連れて行かれたりと様々な事があったため、私は時間の感覚がまるで解らない状態となっていた。

「ヤドと香園については…すみません。わたし達が把握しているのは、二人共無事で香園が聖杯にて願い事を叶える事をしなかった…。そこまでになります」

「そっか…」

ベイカーの話を聞いた私は、ベッドの壁に背中を寄せる。

そんな私を見たベイカーは、穏やかな笑みを浮かべながら口を開く。

「明日になれば、ヤドやソルナも来てくれます。あと…おそらく、警察…特人管理課の方が事情聴取目的で訪問してくる可能性があるので、今日はしっかりと身体を休めた方が良いかと思います」

「そっか…私が香園に拉致された事って、人間でいう誘拐罪と同じような扱いなのかな?」

「わたしもそこまで詳しくはないですが、おそらくは…。“わたしら”はその存在上マスメディアに公表する訳にはいかないでしょうから、それ相応の処罰となるのでしょうね」

「成程…」

話を聞いている内に、次第に瞼が重くなり始める。

「じゃあ、ごめん…。少し眠いので、仮眠してもいいかな…?」

私は口を動かしながら、身体を布団の中へ潜り込ませていく。

「はい、もちろん。今の奏さんは、怪我の治療もそうですが…何よりも休養が最も必要だと思います。わたしがしばらくここにいますので、安心して眠っても大丈夫ですよ」

「うん…あり…がとう…」

私は、ベイカーにお礼を伝えながら、ゆっくりと瞳を閉じる。

その後すぐに深い眠りについたため、「よほど疲れていたのだと思います」と後からベイカーに言われるのであった。



奏が意識を取り戻したころ、俺―――――――――――ヤドは、新宿区内の警察署にいた。自分が立っている場所の目の前には少し開いている扉と奥にはパーテーションが存在し、その向こうには今回の奏を拉致したという略取罪で事情聴取を受けている香園と特人管理課の刑事・極羽要人きょくはかなめがいる。

「…成程。そこで君は、隠れていた壁から現れて、被害者を拘束した…と」

「……」

刑事と香園の表情は見えないが、香園が今どんな表情なのかは大体想像ができる。

極羽要人やつの部下である小峯 三喜子とかいう巡査によると、近年での取り調べは可視化が求められていて、取調室のドアは開けておくことになっているらしい。

扉が開いているという事によって、部屋の奥に座らされる被疑者の顔が入口から丸見えになってしまうため、取調べ中は開いたドアの前にパーテーションなどを立てて、声は筒抜けでも中の被疑者の顔は見えないという状態にされているというのが、現在自分の目の前で見える光景らしい。

 何はともあれ、“俺自身の目的”は果たせたから、一安心だ…

俺は、取調室の扉近くにある壁に寄りかかりながら、大きく息を吐く。

アホ猫―――――――――奏の奪還と聖杯の確認が叶った事で、ようやく俺の果たすべき目的が達成した事を安心しながら、俺は少し前まで起きていた出来事を振り返る。


人間共の“負”が溜まった聖杯に俺が触れた途端、突如として周囲に強風が巻き起こる。自分が飛ばされるほどの強度はなかったが、突然の現象に対し、俺は反射的に瞳を閉じていた。

「香園…」

再び瞳を開けた時、視線の先には香園が地面に座り込んでいた姿が映る。

その後の会話にて、俺は“聖杯を使って願い事を叶える代償”について、自分しか知らない事実を香園やつに伝えた。

日本を離れてから向かった先でその真実ことを聞かされた時の俺と同様、流石の香園も驚きを隠せずにいたのである。

「……悪いが、あまりのんびりはしていられないようだぜ」

周囲の状況に気が付いていた俺は、香園に鋭い声で言い放つ。

俺達がいる公園のような空間を埋め尽くすかのように、黒い粘土のような物体が近づいてきている。その物体に意思は感じられず、今いる空間を壊そうとしている風に見られるその物体は、聖杯に溜まっている人間共の“負”に他ならないだろう。

聖杯を握りしめる事で精神を冒されつつある香園に対し、“俺”という他者が聖杯に触れた訳だから―――――――――――――

しかし、こんな危機的状況であっても、香園の瞳は虚ろで意思を感じられなかった。

 くそ…こんな時に限って…!!

この時見せていた香園の表情が、かつての俺の親友――――――――――ラテの表情かおと一瞬重なっていた。

「きっと、願い事を述べずにこのままでいれば…僕の精神こころは、人間達の“負”によって完全に食い尽くされるだろう。…でも…」

「でも…?」

香園の台詞ことばに対し、俺は真剣な表情をしながら聞く。

「僕のコミュニティーに属している奴ら…ほとんど信用はしてなかったけど、先程の話が本当ならば、死なせてしまっては後味悪いしね…。ここで自我崩壊しておくのも良いかなって思ってさ…」

そう述べながら、香園はフッと嗤っていた。

「…くそっ…」

そんな香園やつを見た俺は、軽い苛立ちを覚える。

相手は奏を拉致し、“扉の鍵”の役目を終えても尚、その命を奪おうとした奴―――――――――そんな香園やつだからこそ、現状は自業自得ともとれる。

そのため、ここで香園を見殺しにしたとしても、俺が他者より責められる事はないだろう。

しかし、香園やつの前身であるラテの事は俺もよく知っていたので、それを考えるとどうすべきか迷う自分がいた。

「自死するつもりなら…」

俺は、空間が少しずつ崩壊していく中で、ボソッと呟く。

他の騒音が大きかった事もあり、今の台詞ことばは香園にも聞こえていなかっただろう。

「自ら死ぬつもりをしているのなら、やる事をやってからにしろ。あいつへの謝罪に、同胞への対応…。あとは、ルシアト・ファミリーの奴らか。まぁ、紫晶ズーチン辺りがかなり激怒していたから、叩きのめされる事は覚悟しとけ」

「……」

俺は真剣な面持ちで、香園を見つめる。

それを、奴は黙って聞いていた。

「要は、死んで逃げようったって、この俺が許せねぇって事だ…!それこそ、てめぇと同じコミュニティーに属している同胞やつらでも、少なからずお前の事を心配している野郎はいるはずだからな!!」

「心配…」

俺が言い放つと、ようやく香園の表情に生気が戻ってくる。

そして香園は、その場でゆっくりと立ちあがる。

「澤本 茉莉衣まりえといい殊之原ことのはら 奏といい…君は、人間の女が関わってくると、ろくな態度を取ってくれないね」

俺に対してそう述べた香園の表情は、普段の飄々として態度に大分近い雰囲気を醸し出していた。

「…“俺ら”は人間の関わる事の多い種族だ。その事で一喜一憂するのだって、別に自由だろ…」

俺は、少しだけ頬を赤らめながら、後ろに振り返る。

そんな俺達の視線の先には、“出口”と思えそうな光の渦が出現していた。

紫晶ズーチンの奴は、かなり執念深いからな。きっと、地の果てでも追いかけてくるだろうぜ」

「執念というより、未練たらたらなんじゃないの?あの紫晶おっさん…」

俺と香園は、そんな憎まれ口を叩きながら、光の渦へと足を踏み出していく。

この時俺は気が付かなかったが、この空間を壊そうとしていた黒い物体が、光の渦の出現によって少しずつ消失していたのであった。


そんな経緯を経て、現実世界に戻ってきた俺と香園はその場を脱出。そして、スクワースからの通報を経て警察に連行され、現在に至るのであった。

 あれから、聖杯に溜まった“負”も浄化されていたし…コミュニティーの奴らにも良い報告ができそうだな…

俺は、取調室でのやり取りに耳を傾けながら、これからの事を考えていた。

今後はやるべき事が一気に増える関係で、日本を離れなくてはならない事にもなるだろう。ただしその前に、俺にとっての優先すべき項目があった。

 奏…。お前の顔を一度でも見ておかない気がする…理由は解らないが…

俺は、彼女が元気そうな笑みを浮かべている顔を思い描きながら、取調室の前で立ち尽くしているのであった。


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