第19話 その瞳に映る存在(もの)は

「地下鉄サリン事件…」

私は、その名前を聞いてその場で茫然としていた。

「まぁ、正確に言うと、その“後遺症”とやらで死んだらしいな。因みに、嬢ちゃんはいくつぐらいだ?」

「23だけど…」

「ならば、当時(=1995年)はまだ生まれて間もないくらいか」

不意に紫晶ズーチンが私の年齢を尋ねたので答えると、納得したような表情かおをしていた。

「あんたは…あの事件の事を、どれぐらい知っているの?」

敵のアングラハイフに拘束されたままの澪が、不意に問いかける。

「残念ながら、俺は事件が起きる直前に霞が関で“あいつら”に会っただけだからな。詳しくは知らねぇ。だが…」

独り語る紫晶ズーチンの瞳は、私を見下ろしているようでどこか遠くを見ているようだった。

 “あいつ”だったら、澤本 茉莉衣まりえさんの事なんだろうけど、“あいつら”って一体…?

私は話を聞く中で、相手が口にした複数を示す代名詞に疑問を感じていた。

「“あの日”…俺があの女に会った際、奴…“ヤド”とか今名乗っている野郎と一緒にいたのを俺は見た訳だ」

「え…」

不意に、そこでヤドの名前が出た事に対し、私は驚く。

『君が、人間の味方を…ねぇ。“彼女”を見殺しにしたくせに、今頃になって償いを?』

「…っ…!!」

それと同時に、いつの日か香園かおんがヤドに口にしていた台詞ことばを思い出す。

私も澪も言葉を失っていると、それを目の当たりにしたアングラハイフは口を開く。

「まぁ、とりあえず話はここまでとして…。そこでおとなしく、仲間の戦いっぷりでも見ているがいいさ」

皮肉るような口調で告げた紫晶は、胸ポケットに入れていたスマートフォンを取り出し、それを壁に立てかけられているモニターに向けた。

「ヤド…!?」

私は、モニターにヤドの姿が映った事で、目を見開いて驚いている。

「スマホがリモコンの役割をしているのはわかるけど…これは、監視カメラの映像…って事よね?でも、“あんたたち”って…」

驚きつつも、状況を見て判断していた澪は何かを言いかける。

紫晶ズーチンは横目で澪を見据えた後、不敵な笑みを浮かべていた。

「“俺ら”がドワーフとか呼ばれているのも知っているんだろ?監視カメラを細工して、アングラハイフが映るようにする事なんざ、朝飯前って訳だ」

そう語りながら、彼もモニターに視線を映す。

モニターに映るヤドは、何やら苦しそうな表情かおをしている。その視線の先を見て見ると、土人形ゴーレムらしきものと対峙しているようだ。

 以前、マラソン大会で遭遇した敵ほど強くなさそうだけど…何故、動揺しているのかな…?

私は、彼の表情を見ながらそんな事を思っていた。

「お嬢ちゃんらには、“あれ”はただの土人形ゴーレムにしか見えないだろうが…奴には別の姿が見えているはずだ」

「別って……もしかして、悔恨の粉!!?」

「悔恨の…?」

敵の説明に対し、澪が聞き慣れない名称を口にする。

私が首をかしげながら彼女を見上げると、それに気が付いた澪が口を開く。

「以前、ソルナから聞いた事あるの。その粉を密閉した空間等で使うと、その者が過去で後悔する発端をつくった元凶たる幻を見てしまうらしいの」

「元は、“俺ら”以外の人外な生物に対して作ったとも云われるが、俺らにも効果はある。それと、土人形ゴーレムはこっちの命令で自由に動きはするが、“心”や“記憶”は持たない。粉と併用すれば、立体的な幻が現れたように目を錯覚させられるって訳だ」

「錯覚…それって…!!」

『止めろっ…茉莉衣まりえ…!!』

「あ…!!」

モニターから、ヤドの叫び声が聴こえる。

そして、彼が口にした名前を私は聞き逃していなかった。

「最高の“嫌がらせ”だろ…?」

「…っ…!!」

今の瞬間を見ていた紫晶ズーチンは、不気味な笑みを浮かべながら呟いていた。

本人から直接話は聞いていなくても、香園が口にしていた“彼女”がヤドと共通の知り合い――――というよりは、大事な女性ひとという仮説はあった。そして、相手の名前をあまり呼ばない彼が、あっさりとその名前を口にする。それは、仮説が真実であることを証明したのであった。

そして、“悔恨の粉”の効力を澪から知らされた事で、敵が彼にしようとしていた事に気が付く。

「酷い…どうして、過去の傷をえぐるような事をするの!!?」

憤りを感じた私は、声を張り上げながら紫晶ズーチンを睨み付ける。

「奏…!!」

その直後、澪が私の名前を呼ぶと同時に、頬に痛みを感じていた。

気が付くと、私は地面に倒れていた。頬に痛みを感じたため、敵によってぶたれ、勢い余って体勢を崩した事に気付く。

「痛っ…!!」

紫晶ズーチンの体が視界に入って来たと思いきや、左手首に強い痛みを感じる。

敵は、地面に座り込んでいた私の左手首を掴み持ち上げたのだ。

「人間ってのは、本当脆いなぁ…。ちょっと力を入れただけで、悲鳴あげやがる」

そう口にする紫晶ズーチンの表情は、つまらなそうな状態だった。

「…これ以上痛い目にあいたくなければ、生意気な態度はとらない方がいいぜ?人間の女なんざ、その気になれば簡単に殺せるからな」

「きゃっ…!!」

そう口にした紫晶ズーチンは、私を地面に放り出す。

起き上った私が痛む左手首を見ると、掴んだ痕と一緒に少しだけ赤くなっていた。

 ヤド……負けないで…!!

私は痛くて半べそかきそうになったが、涙は流すまいと、ヤドが映っているモニターに視線を傾ける。

そうやって、彼らの勝利を祈る事しかできないのであった。



「“勝負”って…紫晶やつの同胞じゃないのかよ!!」

今は“ヤド”と名乗っている俺は、敵の攻撃を避けながらそう吐き捨てる。

そして、改めて相手を見据える。目の前に立っている女は、その華奢な外見では想像できないスピードと力で、俺に攻撃を仕掛けてくる。

 くそ…あいつじゃないって、わかっているのに…!!

俺は、敵の猛攻を避けながら思う。

自分に攻撃を仕掛けているのは、親友ダチの恋人だった人間の女――――澤本 茉莉衣まりえだった。しかし、当人は、22年前に起きた事件の後遺症で、今はもうこの世にはいない。“俺達”は何かしらの“力”を持ってはいても、死者を蘇らせる術はない。故に、やつ紫晶ズーチンかその仲間が操る土人形ゴーレムだと容易に想像ができる。

「しかも、あのピアス…!!」

俺は、叫びながら相手の飛び膝蹴りを紙一重で躱す。

茉莉衣まりえの姿をしている“それ”は、耳に黄緑色で五芒星の形をしたピアスをつけている。それは、“一つの命令を成し遂げるまで半永久的に動く事ができる”というまじないが込められているピアスで、土人形ゴーレムが装着するために創られたといわれるピアスだと、ベイカーから聞いた事がある。

「…ざけんじゃねぇ!!」

俺は、紫晶ズーチンに対して、憤りを感じずにはいられなかった。

「しかも、とんずらも無理そうだしな…」

そう呟きながら、俺は壁に手をかける。

本来、“俺ら”は自らが望めば壁の中に入り込む事が可能だ。近年はコンクリートやらが地下に存在していても、その下に土がありさえすれば、どんな場所でも抜け出すことができる。しかし、こうして壁に触れても中に入り込めないという事は、ここが単なる新宿の地下深くではない“作られた空間”である可能性が非常に高い。おそらく、ベイカーやソルナもそういった空間に行かされているだろう。

「くっ…!!」

俺は、一瞬の不意を突かれ、壁に吹っ飛ばされる。

腹部に痛みを感じつつも、無意識の内に腕で防御していたため、からだに亀裂が入るほどのダメージではなかったようだ。しかし、自身の背中は壁に激突したため、地面でコケラが落ちたような音だけ耳に入っていた。

「俺らアングラハイフは、不老であっても不死ではない…。勝負が長引けば、マジで殺られるかもな…」

苦笑いを浮かべながら、自身の事を口にしていた。

 くそ…せめて、目隠しになるものさえあれば、何とか倒せそうなのに…!!

そう思いながら、俺は周囲を見渡す。

しかし当然の事ながら、この空間には物といえる物が何もない。それは、“作られた空間”である何よりの証であった。

「さて…どうしたものか…」

俺は、敵の姿をはっきりと見える。

しかも、最悪な事に茉莉衣まりえは俺が最近行動を共にしている女――――殊之原ことのはら 奏と顔立ちが似ている。それもあってか、余計に“幻だ”と解っても、攻撃できない自分がいるのであった。

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