第15話 部分的な記憶喪失

『君は一旦、忘れた方がいいかもしれない』

モスフェルドによって気絶していた私は、夢を見ていた。

どんな内容かはすぐに忘れてしまったが、見知らぬ声が私にそんな台詞ことばをかけていた気がする。

「ん……」

重たくなった瞼を、私は開く。

最初に目に入ってきたのは、どこかの部屋の天井だった。ゆっくりと起き上ると、周囲にはオフィス用のデスクがいくつか並んでいる。どうやら、部屋の一室にあるソファーの上で眠っていたようだ。

「目が覚めたようだね」

「極羽警部…!」

独り椅子に座っていたのは、特人管理課の極羽警部だった。

警部は椅子に座ったまま、体を私の方に向けて口を開く。

「ここはね、新宿警察署内にある特人管理課のデスクだ。症状によっては病院へ連れて行くべきとも思ったけど、相手が相手だしね。小峯が俺に連絡をよこして君をここに連れてきた訳だ」

「あの…小峯さんは…?」

「あぁ。あいつは今日非番だったのもあって、少し前に帰らせたよ。俺は元々今日が宿直なので、君が目を覚ますのを待つのにはうってつけだったという事だ」

「あ…ありがとうございます」

会話を聞く限り、私をここに運んでくれたのが警部のようだったので、私は彼に礼を述べた。

 あれ?それにしても…

会話をしていく内に頭も冴えてきたが、どうしても腑に落ちない事があった。

「小峯は明日出勤だから、その際に事情聴取するつもりだ。だが、場合によっては君にも同席してもらうかもしれない」

真剣な面持ちで話す警部に対し、タイミングを見計らって私は声を出す。

「あの…警部…」

「どうかしたかい?」

私は一呼吸おいてから話し出す。

「小峯さんと夕飯を食べて、別れた所までは覚えているんですが…その後、何があって眠りについていたのかが、思い出せないんです」

「なっ…!!?」

それを聞いた警部は、目を丸くして驚いていた。

 何だか、頭の中に穴が空いたような虚無感というか…

思いだそうにも、霧がかかっているように思い出せない自分がいたのである。

警部は私を一瞬だけ見ると視線を横にそらし、腕を組んで考え始める。少しの間だけ沈黙が続いた後、最初に口を開いたのは警部だった。

「兎に角、今はもう終電も終わってしまっているだろうから…ここで仮眠をして、翌朝出るといい」

「あ…すみません、お仕事の邪魔しちゃうようで…」

薄い笑みを浮かべる警部を見た途端、何だか申し訳ない気持ちが強かった。

 早朝になったら、ネットカフェでも行ってシャワーを浴びるか…

そんな事を考えながら、私はソファーの上でスマホを取り出し操作する。ディスプレイに表示されている時計の時刻は夜中の2時になろうとしていた。

 6時ごろに出ればいいかな…

そう思い立った私は、再び眠りについたのである。


翌朝、6時前に目が覚めた私は、警部に挨拶をしてから新宿署を出る事となる。ただし、昨晩の会話を覚えていた警部から、「今日の仕事が終わったら、特人管理課まで来てほしい」と去り際に言われたのである。

 私が忘れている事…に関係するのかな…?

そんな事を考えながら、私は近くのネットカフェへ向かう事となるのであった。



「お先に失礼致します」

同僚や上司にそう告げた後、私は職場を後にする。

あれからそのまま職場へ向かい、普段通りの一日が終わろうとしていた。また、この後は警部と約束した通り、新宿署へ顔を出すことになっている。

 アドレス帳に変な名前の人物がいくつか入っているのも、忘れている事と関係しているのかな…?

私は、勤務中に感じた諸々が、何故そうなっているのかが気になって仕方ない。

職場の同僚に相談しようかとも思ったが、何故か「彼らには言わない方がいい」という確信があったようで、特に相談はしていない。オフィスビルを出た私は、真っ直ぐに新宿署へ向かったのである。


「奏ちゃん、体調とか大丈夫だった?」

「小峯さん…!」

新宿署へ到着した後、小峯巡査が私を迎えに来てくれた。

昨夜見かけた私服ではなく、ちゃんとしたスーツを彼女は身に着けている。

「お疲れの所、ごめんなさいね。話ができる場所が取調室しかないけど、一応貴女にもきかなくてはいけない事があるだろうから…って警部に言われてさ」

移動中、巡査はこの後する事を話してくれた。

彼女曰く、私と巡査は昨晩、警察が要注意人物としている者達を私が目撃しているために、話を聞きたいそうだ。しかも、その時小峯さんも現場にいたため、私は「一時的な記憶喪失になっているのではないか」という見解も言われたのである。

取調室につくと、モッズコートを着たまま座っている青年と、その向かいには極羽警部が座っていた。

「警部…この方は…?」

私は、青年の顔を見てすぐに警部へ問いかけた。

「……マジで、忘れてやがるんだな」

すると、青年は不機嫌そうな声でそう告げていた。

 この反応…“私の知り合いだったかもしれない”って事なの…?

事情は全く掴めないが、ひとまず椅子にこしかける事にした。

その後、少し離れた場所に小峯巡査が座り、話が始まる。

「さて…。奏君もヤドも、新宿署までご足労戴き感謝している。なので、早速本題に入るが、大丈夫かな?」

「はい…」

「…さっさと始めろ」

警部が確認をしてきたので、私とヤドという青年はほぼ同時に答える。

昨夜は小峯巡査がその場にいなかった事もあり、私は気絶する前までの事を話す。一方、何が起きたかちゃんと覚えている巡査は、昨夜のあらましを一通り男性陣に説明していた。

「成程…。しかし、その言い方だと小峯と奏君のどちらが標的だったのかが定かではない…か」

「それに、連中がこいつらを尾行する真意もわからねぇ…。始末するなら兎も角…な」

話を聞いた警部とヤドは、口々に感じた事を述べていた。

「私が気絶した後、奴らが彼女に何か言っていたのかがわかればいいんだけど…」

そう話す小峯さんの視線が、自然と私に向いていた。

「ごめんなさい、思い出せなくて…」

話を聞いている限り、かなり重要な局面を忘れてしまっていることに罪悪感が生じ、巡査に私は謝る。

「そこで…なんだが、ヤド。君に一つ訊きたいんだが…」

「ん?」

警部は神妙な面持ちをしたまま、黙っているヤドに尋ねる。

「君達アングラハイフの中で、記憶を操作できる者はいるかな?」

「俺の知る限りだと、いないが…何故だ?」

警部が彼に問うと、今度は更に問いで返ってくる。

「記憶喪失とはいえ、彼女みたいな事例ケースは稀らしい。俺ら人間で出逢った人の名前や顔はわかっても、君達アングラハイフやそれに関わる人の事が記憶から抜けているからな…。そんな中途半端なもののせいか、アングラハイフの仕業かと思ったが…」

「だが、桜花やモスフェルドは、そういった能力を持っていない…」

話の途中でヤドが口にした台詞ことばを聞いた警部は、首を縦に頷いていた。

「俺としては、彼女の記憶が戻ればいいとは思うが、無理やり思い出させるような事をするつもりはない。しかし、もし尾行の対象が彼女だとしたら…また狙われる可能性もあるにはある」

「尾行の対象…」

警部の説明の中で、その言葉に私は反応していた。

 顔も名前も思い出せないけど…確かに、その人達の狙いが私だったら…一人でいるのは危ないという事…?

話を聞くさ中で、私はそんな考えが脳裏をよぎる。

「本当なら、特人管理課わたしたちが手助けしてあげたい所だけど…私達は、SPみたいに特定人物を護衛する権限は与えられていないからね。それに、そのSPですら、護衛対象は“普通の人間のみ”だし…」

「とりあえず、この女の身柄は俺達が預かっても問題ない…という解釈で大丈夫か?」

「…!!」

小峯さんが申し訳なさそうに述べていると、ヤドが口にした発言に私は反応する。

「面倒をかけるようで申し訳ないが…君やソルナ。後は、福士澪くん…だね。彼らが奏君と一緒にいれば、少しは安心できるかなと思うよ」

「ちっ…」

警部が宥めるように告げると、ヤドは舌打ちをする。

しかし、それは不快な思いをしてやるものとは違った意味を持っていたようにも見えた。


話が終わり、私とヤドは新宿署を後にする。

私達は、お互い黙ったまま歩いていた。

「…こんなに大人しいんじゃ、張り合いがねぇな…」

「え…?」

途中、ヤドがボソリと何か呟いていたが、小さくて聞き取ることができなかった。

「おい、奏」

「…っ…!!?」

すると、真っ直ぐな視線で、彼は私を見つめてくる。

また、名前を呼ばれたせいか、動悸が激しくなってきたような気がした。

「少しでも早く思い出すためにも…ベイカー達の所へ向かいながら、俺達アングラハイフの事を話してやるよ」

「う…うん。わかった…」

声は低めだが、ぶっきらぼうながらに優しさを感じた私は、その場で首を縦に頷いた。

 心臓の鼓動が激しい…。私、記憶を失う前はこの男性ひととどんな関係だったのだろう…?

そんな事を考えながら、私は彼の後を追うのであった。

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