第3章 地下でのマラソン大会

第8話 人間とドワーフが同じ空間に

「さて……と!」

ひと段落した私は、机の上を片づけ始める。

今日は10月の某日・水曜日。企業では“No残業デイ”を実施する所が一般的に多い曜日でもあり、私が勤めている企業も例外ではない。パソコンをシャットダウンして上着を着て会社を出た後は、時間が早いのでアフター5を楽しむ――――――はずだった。

「お…終わったようだな」

職場のビルを出た頃に、ヤドが姿を現す。

週に一度のお楽しみがなくなったようなものなので、私は少し不機嫌そうな表情かおで視線の先にいるこいつを見る。

「何でまた、今日は私の職場までついてきたの?」

「今朝も言ったが、あの近辺に野暮用があったんだよ。それ以外に理由なんざねぇしな」

私は、歩きながら小声で話しかける。

無論それは、一人で独り言話しているように見えないようにというカムフラージュだ。そして、私が近づいてきたのを見たヤドは、こちらに背を見せて歩き出す。

「さて…と。時間が結構ギリギリだからな。行くぞ」

「う…うん…」

一度立ち止まってこちらを振り返ったが、すぐに向き直して歩き出すヤド。

 …何、どきっとしているのだろう…私…

私は彼の背中を見ながら、そんな事を考えていた。


「あ…二人共―――!!こっちっす!!」

「ソルナ!!」

向かった先にて、私達に気が付いたソルナが手を振ってくれた。

「随分、遅かったっすねー!」

「開始時間には間に合ったんだから、いいだろ。それに、このアホ猫がもたもたしてなければ、もっと早かったぜ」

「えー…!相変わらず、ひどいなぁ…!」

ヤドが相変わらずの嫌味ったらしい口調で言うので、ついつい反応してしまう自分がいた。

因みに、今私達がいるのは、新宿駅西口エリアにある地下通路。この通路は東西と繋がっていて、その距離は端から端まで行けば、一駅分以上の距離がある。それだけでなく、今いる場所の壁ではよくいろんな企業やメーカー等が巨大な壁広告をやっている事が多く、それを見たさに訪れる人も多いので人通りは多い方だ。最も、今は帰宅時だから元々多い場所だ。

「あと、2・3分って所かな?奏ちゃんは当たり前だけど、ヤドも“このイベント”に参加するのは初めてっすよね?」

「まぁな。新宿来てそろそろ10年経つが、今回がやっとだな」

私が周囲を見回している一方で、ヤドとソルナは広告を見る事なく二人で話していた。

 どんなかんじで行われるのやら…

私は、この後どんな事が起こるのか考えながら、壁際にある巨大広告を見つめていた。

数分後―――――

「わっ!!?」

時間が18時30分になると、突然風船が割れたような音が周囲に響いてくる。

いきなりなので私は驚いていたが、二人は平然としていた。

「始まるみてぇだな…」

「つーか、相変わらずすごい結界術っすよねー!」

「そっか。ソルナも、“その手の能力”は割と使える方だしね?」

ヤドやソルナが各々呟く中、私はソルナの方に声をかける。

というのも、ソルナは澪が働くリラクゼーション施設にあんなしっかりとした空間を自分で作れるのだから、結界類の術に精通しているのだろうと私なりに考えていたためである。また、彼が言うには、今聞こえた大きな音は、これから始まるイベントのために“人払い”をする結界が発動された際の音だという。

『えー…お集りの同胞及び人間の皆様、こんばんはー!』

すると、少し離れた場所から、マイクを使って話し始めるドワーフが現れる。

私達3人は、その声が聞こえる方に体と視線を向けた。

『これより、新宿区主催の地下マラソン大会を行います』

司会者の声に対し、周囲にいる人々のざわめきが聞こえてくる。

今現在、この地下通路には100人近くの人がいるため、かなり人口密度が高い状態だ。また、この場にいるのは“彼らが視える人間”とドワーフのみとなっている。それは、先程の大規模な結界術によって、私達は“普通の人間からは全く見えない状態”になったのである。

『ルールは簡単!ここ、地下鉄駅前からスタートし、まっすぐ行った先にある路勢丹で折り返しここへ戻る事。尚、殺傷性がある程度抑えられたものであれば、“力”の使用も許可します』

「え…」

司会者の説明を聞いた私は、目を丸くした。

 そっか…だから、こんなに大規模な結界が張られたって事か…

私は、耳を傾けながらそんな事を考えていたのである。

「じゃあ、相手を妨害するのもあり…って事だよな?」

「そうっすね!ただし、骨折・大量出血・施設破壊になるような力や道具の使用は駄目みたいっすね」

ルールを危機ながら話す二人だったが、ヤドの表情がまるで悪だくみをしているかのように楽しそうだった。

「それにしても、秋が“スポーツの秋”って言われているからって、こういう人とドワーフが一緒にやるイベントがあるなんて、不思議なかんじ…」

「まぁ、お互い無駄な争いは避けたいだろうしね。“俺ら”は何気に人間の身近な所で暮らしているから、発想が少し似てきているからかもしれないっすよね!」

私が呟いていると、今度はソルナが応えてくれた。

ルール説明が終わった後、参加者はスタートラインに皆が集まってきている。司会者や主催者の傍らには、このマラソン大会の上位5名がもらえる景品が並んでいた。

 ヤドの目的は…あれだな

私はその景品を細目で見つめる。商品券やお酒といった日常生活で使える物がある中、私が目にしたのは、新宿区内にある猫カフェの招待券だった。

「ヤド…あの人って確か…」

景品を見ていると、主催者の近くに見覚えある顔を見かける。

「あぁ、極羽要人きょくはかなめ…だったな。新宿署の警察とかだったような…」

「このイベントは俺達と人間が一緒に参加するものだから、“警備員”の意味も兼ねて彼らはいなくてはいけないのだろうね」

「成程…。そっか、普通の人では何かあっても対処できないだろうし…」

ヤドと話していると、それにソルナが答えてくれたのである。

また、極羽警部の横には同じく警官の服を着た女性がいた。おそらく、警部の部下にあたる人だろう。

「…因みに、彼女。名は確か、小峯 三喜子巡査…かな。普段からああやって怒っているような表情なんすよ」

「成程…」

私は、その女性警察官が怒った表情かおをしているのが不思議だったが、横からソルナが耳打ちしてくれたのである。

『よーーーい…はじめ!!』

司会者がそう言うや否や、トランペットの音の合図を皮切りに、出場者が走り出す。

ここへ来る前にヤドから聞いたのだが、“彼ら”は火薬臭が苦手な臭いの一つらしく、トランペットを使っているのはスポーツ用のピストルの代わりという事らしい。元が“土”なだけに、害を及ぼすような有害物質を彼らは基本的に嫌っているようだ。

 100人中5位以内に入るのは厳しいだろうけど…体を動かすには、いい機会かも…!

私はそんな事を考えながら、走り出すのであった。



「わわっ!!」

走り出してから2・3分が経過した頃、突如として地震が発生する。

それも結構震度が強そうなため、私は驚いてその場で立ち止まる。

「あ…ヤド…!?」

しかし、ヤドは地震に構う事なく、走り続けていた。

というのも、今起きている地震は、出場者の誰かが魔法を使って揺らしている人工的なものだと知っているからだ。

 これって、関東に暮らす人間にとってはある意味効果てきめんよね…!!

私は揺れに体を硬直させながら、地面を見下ろす。

日本は昔から地震が多いため、日本人は正直地震が起きるのは慣れてしまっているだろう。ただし、数年前に東北・関東を襲った大震災が起きてからは、震度が大きいものだと反応してしまう人は少なくはないだろう。

「…よし…!」

地震が収まってきたのを見計らって、私は再び走り出す。

無論、地震が収まったのはルールで“他の出場者が死に至るような力の行使は厳禁”とされているためだ。

  ただ、澪もいれば話ながら走る事もできただろうなぁー…

私は腕を振りながらそう思う。

因みに、このマラソンイベント。新宿区内に在住か通勤していれば誰でも参加可能なものだ。しかし今日は、澪は仕事。ベイカーはバイトのため、不在なのである。

『もし、不正行為や禁止行為が行われた場合は強制退場になるので、気を付けてくださいねー』

走っていると、後ろから特人課の警察官・小峯巡査がローラースケート付のスニーカーで滑りながらマイクで声を出していた。

 け…警察官も結構大変なんだなぁ…

私は、その女性を見て不意にそんな事を考えていた。

「全く…何故僕が、人間共もいるイベントなんかに…」

「ん…?」

すると突然、後ろの方から呟きが聞こえてくる。

視線を横に向けると、そこには年齢は14歳くらいの私より少し小さい少年が走っていた。独り言を口にしていたこの少年は、一見したかんじだとドワーフの少年だろう。割と“彼ら”らしい背丈ともいえる。

「ふぇ…へくしょん!!!」

考え事をしていると、突然私はその場でくしゃみをする。

噛み殺そうと思ったのにできなかったため、手で口を完全に抑えることができず、つばがその少年にほぼ直撃してしまう。

「わっ…ご…ごめんね、僕…!!」

もろに飛んでしまった事に気が付いた私は、その場で謝罪をする。

少年は瞳を数回瞬きしていたが、すぐに表情が変わった。

「たかが人間風情が、何様でしょうか?今がイベント中でなければ、なぶり殺しにして差し上げるのにね」

「…っ…!!?」

物騒な言葉が飛び出したものだから、私は心臓をえぐられたような感覚がした。

 何だか、この少年…外見とは裏腹に、怒るとかなり怖そうに見える…!!

いくら自分がしでかした事とはいえ、怖くて逃げだしたい気分でいっぱいになってしまう。

「あんた、まさか…桜花おうか…?」

「えっ…?」

突然、斜め後ろの方から声が聞こえる。

振り向くと、そこには私に追いついたソルナの姿があった。

 ソルナの知り合いかな?それにしても、何だか変な雰囲気…

この二人が対峙したのを目の当たりにした途端、物凄い緊張感が漂っている気がしていたのである。

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