花火大会

 それから藤原さんと二人でいろいろな出店を見て回った。

 甘いものもたくさん食べた。藤原さんはたこ焼きとか焼きそばとか、あとはフライドポテトとか。お腹にたまりそうなものばっかり食べてたけど。よくそんなに食べれるなーと思いながら見ていた。お父さんでもこんなに食べるところは見たことない。

 それから、射的とか金魚すくいなんてものもした。


「絶対当てる」


 なんて言いながら挑戦した藤原さんは結局一発も当てられずに弾を使い切ってしまった。むきになってもう一回やろうとしたけど、後ろに子どもが並んでるのに気づいて大人しく譲っていた。

 金魚すくいは二人でポイを買ってやったんだけど一匹も取れずにポイが破れてしまった。


「意外と難しいですねー」

「高校生くらいの時は一匹くらいは取れたんだけどなぁ」


 なんて言いながら藤原さんは首を傾けていた。その様子がちょっとだけ子どもっぽくて、大人の男性に対して失礼かもしれないけど少しだけかわいいと思ってしまった。もちろん声には出さなかったけど。

 水風船を買って遊んだりもした。

 水風船なんて買ったのは小学生の時以来で、懐かしく思いながらもボヨンボヨン弾いたり。


「ほっ!」

「ひゃっ!?」


 藤原さんが力を入れて弾いた水風船は、ゴムの部分がちぎれて思いっきり地面にぶつかって割れてしまった。その時に水が飛び散って周りにいた人にかかっちゃったのを、二人で「ごめんなさい」と謝った。

 謝った後、なんだかおかしくなってしまって笑ってしまった。それにつられたのか藤原さんも笑って、少しの間だけ二人で笑っていた。


「そろそろ花火の時間だね」


 そんな風に過ごしていると、花火の時間が近づいてきた。花火は川の方でやるから、そっちの方まで行かなければ。


「花火が見えるところまで行きますか?」


 私は花火を見る気満々で来たけど、もしかしたら藤原さんは花火に興味がないかもしれない。直前になってそんなことが思い浮かんで、花火を見に行くか尋ねる。

 でも、私の心配は杞憂だったみたいで、藤原さんは「花火がよく見えるところがあるんだけど」と私の手を引いて移動し始めた。


「俺ってさ、この近くの大学に通ってたんだよね」


 この近くには大学がある。まだできて十年もたってない比較的新しい大学だ。


「俺……っていうか、俺たちかな。バンドの奴らってそこの三期生でさ。毎年この祭りの花火をそこから見てたんだ」


 そこからってことは……まさか大学に行くの?

 私まだ高校二年生なのに、大学っていうのはちょっとハードル高いような……。ていうか、大学って私みたいな部外者が入っていいものなの?


「私大学の関係者とかじゃないんですけど、入っていいんですか?」

「大丈夫大丈夫。あの大学市立大学で、図書館とかいろいろ市民に開放してるから。結構誰でも自由に入れるよ」


 それなら、まあいいのかな。市民なのにそんなこと知らなかったけど。

 私は藤原さんに手を引かれるまま大学までの道のりを歩いて行った。

 藤原さんの大学時代、か。なんか、今とそんなに変わらない藤原さんが想像できる。別に、そこまで今の藤原さんを詳しく知ってるわけじゃないけど、なんとなく変わらないような、そんな気がした。


「私は、友達とか家族とかと一緒にデパートの屋上で見てました」


 歩きながら、そんなことを言う。


「でも、あそこ人が多くって、毎年苦労してました。よく見えるからってみんな集まるんですよね」


 毎年、あそこの場所取りは戦争みたいだ。でもその分花火がよく見えるんだよね。だから人が集まるんだけど。


「あー、わかる。俺も高校までは行ってたし。夏祭りの日限定で屋上が解放されるんだよね」

「そうなんですよ! 普段入れないところに入れるっていう特別感もあるんですかね?」


 そう言うと藤原さんはこっちを見て、ふっと笑った。


「特別感って意味なら、今日だって特別でしょ?」


 それは、どういう意味? 藤原さんと一緒だから特別って意味? それとも大学に入れるっていう特別って意味?

 でも、どっちにしろ特別だ。私にとっては、今日という日が丸々特別なんだから。


「そろそろ大学に着くよ」


 私が何も言えないでいると、藤原さんがそう言った。

 顔を上げると確かにそこにはえんじ色の外見の建物があった。

 藤原さんは慣れた様子で入り口から中に入って、階段で三階まで上がる。それからエレベーターの前の休憩スペースみたいな所で止まった。


「ここからなら花火がよく見えるでしょ? ……窓開けよっか」


 そう言って藤原さんが紹介してくれた場所は、大きな窓が前面に広がっていて、そこから川の方がよく見えるような場所だった。確かに、ここなら花火がよく見えるだろう。


「わぁ……!」

「大学から花火を見るっていう発想がないのか、あんまり人いないんだよね。穴場スポットってやつ?」


 「ここなら冷房も効いてるし、いいでしょ?」と続けながら、藤原さんが椅子を引いてくれる。


「あ、ありがとうございます!」


 私が椅子に座ると、藤原さんも椅子に座った。

 花火まではあと少しだけ時間があって、二人して無言になってしまう。無言の時間がなんだかもったいなくて、私は何か話をしようと口を開いた。


「えっとですね……」


 でも何の話をするのか全く決まってなくて、そこで止まってしまう。

 どうでもいい話をするのもどうなんだろう。でもだからと言って大事な話なんていうものもないし。ていうかこんなところで大事な話なんてあってもしたくないというか……。

 そんな風にうだうだ少しだけ悩んで出した話題が


「あ、あの赤いビルの近くに私の家があるんですよ?」


 なんていう、ものすごくどうでもいい話だった。

 何故こんな話題出したし私。あれかな? お父さんに藤原さん連れて来いって言われたのが無意識のうちに出ちゃったのかな?


「へぇ、そうなんだ」


 藤原さんの気のない返事。そりゃ、そうだよね。いきなり自分の家がどこにあるかなんて話されても。


「あっちの、スーパーの向こう側にあるアパートあるでしょ? あれが俺の家」


 少しだけ自己嫌悪に陥ってると、藤原さんが指をさしながら会話に乗ってくれた。


「そ、そうなんですか?」

「そうなんですよ。楓ちゃんってさ、家だとどんな生活してるわけ?」

「家で、ですか? それは……」


 家でどんな生活してるか、かぁ。

 人に説明できるような生活してない気がする。普通に宿題したり、友達とメッセージのやり取りしたり、雑誌とか漫画とか読んだり、たまに家のお手伝いしたり。


「まあ、普通に。友達とメッセージのやり取りしたり、漫画とか雑誌とか読んだり、家のお手伝いしたり……あ、あと『Bedeutung』のCDとかよく聴いてますよ」

「おーありがと。学校ではどんな感じ?」

「学校は……んー……普通だと思いますよ? 友達としゃべったり、授業受けたり。部活には入ってないので、学校終わったらすぐ帰っちゃいますけど」


 部活はやりたいこともできることも思いつかなかったから入らなかった。後悔はしてないけど、部活仲間とかで集まってたりするのを見ると少しだけうらやましいなーとか思ったり。


「中学までは軽音学部に入ってたんですけどね。中三になって受験勉強に集中し始めた時に、これからも軽音続けていくのかな? って考えたことがあったんです」


 『Bedeutung』を知る前から音楽は好きだった。邦楽も洋楽も同年代の女の子たちよりは聴いてたと思う。今よりも昔の方が聴いてたかな。

 その影響で中学では軽音楽部に入った。吹奏楽部と一瞬迷ったりもしたけど、私がやりたいのは吹奏楽じゃないと思って入らなかった。


「でも、そうやって見つめ返した時に、なんか思ってたのと違うなーというか。思い描いていた自分と違って。それで軽音は自分に合ってなかったんじゃって思うようになって。もちろんそれまでの時間が無駄になったとか、そんな風には思わないんですけど……」


 中学の頃の私には、これだ! っていうような明確なビジョンこそなかったけれど、なんとなくなりたい自分っていうのがあって。軽音をやればそういう自分になれるんじゃないかって思っていた。純粋に音楽が好きだったっていうのもあるけど。


「楓ちゃんはなんでなりたかった自分と違うって思ったの?」


 藤原さんが聞いてくる。

 うーん……なんかいきなり自分語り始めちゃって恥ずかしいな。変な子だって思われてなきゃいいけど。


「今はもうあんまりそんな風には思ってないんですけどね。その頃なりたかった自分ていうのが、何かを人に伝えられる人になりたかったな、って。自分の思いとか、考えとか、気持ちとか。なかなか人に伝えづらいようなこととかも、全部全部歌に込めて伝えられる人に」


 今思えば、それは思い上がりだったのかもしれないけど。

 歌っていれば、何かが伝わるんじゃないかって。薄っぺらな私でも、何かが伝えられるんじゃないかって。


「でも、振り返った時に思ったんです。私は何を伝えたかったのか? 伝えたいことなんて本当にあったのかな? って。有名な曲のコピーばっかりやって、他人の言葉を使って、本当に伝えられることなんてあるのかなって」


 でも、そもそも私には伝えたいことなんてなかったのかもしれない。普通の家に生まれて、普通の人生を歩んできた。特別なことなんて何もなかった。

 そんな私が、いったい何を伝えるっていうのか。


「それらの曲とか、人の言葉を借りて伝えるってことを否定してるわけじゃないんです。でも、なんか私には合わなかったって言うか、もやもやっとしちゃって……うまく言葉にできないけど、違うなって思ったんです。私がやりたかったのは、なりたかったのはこんな人間じゃないって」


 思えば、たぶんそんな思いを抱えていたからこそ『Bedeutung』にはまったのだろう。藤原さんの、必死に、一生懸命何かを伝えようとしているようなあの歌に。


「それで軽音を止めちゃったと」

「今思えば、中学生が何言ってんだって感じですけどね。でも、その時の私にはそれが正しい選択のように思えたんです」


 たはは、と笑って頭をかく。好きな人に自分の昔のことを話すとか恥ずかしい。でも、私のことを知ってもらえてうれしいって気持ちもある。恥ずかしいの方が大きいけど。

 藤原さんの顔をうかがうように見る。軽音を止めた話なんてして呆れてないだろうか。

 そんな気持ちで見た藤原さんの顔はなんだか真剣そうな顔で。私によく見せていたからかうような顔や、やさしい顔や、子どもっぽい顔とは全然違った。


「人に限った話じゃないけど、伝えたいことを伝えるっていうのは難しい。それは言葉にしたって、絵にしたって、写真にしたって、映像にしたって、それ以外にしたって。自分はこう思っているのに、目の前のあいつには伝わらない、とか違う風に伝わった、なんてのはよくある話だ」


 それは……そうかもしれない。自分が思ってることの十分の一だって伝わらないことだってある。


「そこで、こんなのはなりたい自分じゃなかった、やりたいことじゃなかった、なんて思って止めてしまうのは、まあある意味賢い判断だと思う」


 「自分も相手もそれ以上傷つかなくなるしね」なんて言っている藤原さんの顔は、全然賢い選択だと思っていないような顔をしているように見えた。


「でもさ、俺はバカだから、歌しかなかったんだよ。俺がうまく言葉にできない何かを人に伝えられるのは、歌しかなかったんだ。一人に歌って、伝わらなかったら十人に歌って、また伝わらなかったら百人に歌って。そうやって、伝わる人を探して、聴いてほしくて」


 そこで藤原さんはふっと表情を緩めた。


「そしたら、俺が何かを伝えたがっているってことをわかってくれた子が現れた」


 その言葉でドキッとする。

 その子は、誰? 私の知っている人? もしかして私? ……なわけないよね。藤原さんとは、こうやって話すようになってまだ日が浅いし。


「それって、誰なんですか? ……って、教えてもいい人なんですか?」


 震えそうになる声で聞く。

 別にその子のことがどうとかなんてまだ一言も言ってないけど、でもなんか藤原さんにとって何かしらを感じる子であるかのような言い回しに思えて。

 緊張と不安で、私の心臓はドキドキとうるさく鳴った。


「楓ちゃん」

「……え?」


 聞き間違いかと思った。

 一瞬、藤原さんが私の名前を言ったのかと思った。

 ……そんなはずないのに。


「ほんとはさ、駅前で初めて会ったあの日。知ってたんだ、楓ちゃんのこと」


 藤原さんの口から漏れ聞こえてくるのは、何回も聞きなれた「かえで」と言う名前で。


「いや、知ってたって言ったらあれなんだけど……なんていうの? 顔だけは知ってたっていうか」

「私……ですか?」


 今度こそ、私の声は震えていたと思う。

 思ってもいなかったような言葉が藤原さんから聞こえてきて。


「うん、そう。昔っから、それこそ俺たちがまだインディーズで売れる前の頃から、一人でいっつもライブの最前列に立ってる女の子。他のファンの人たちみたいに騒ぐでもなくて、でもじっと俺たちを見てる、そんな女の子。他のメンバーが知ってたかどうかは知らないけど、俺は知ってたよ」

「それ、は……ファン、ですから」

「ありがたいことにね」


 そして、藤原さんは私の顔をじっと見つめてきた。力強い瞳で、見定めるように。


「ライブでの楓ちゃんの様子を見ててさ、ビビッっときたんだよね。あ、これ伝わってるなって。この子には、なんか俺が言いたいことがあるんだろうなってことがわかってるなって。確証はなかったけど、そう感じた」

「そう……なんですか?」

「うん。だから、この子のこともう少し知りたいなーって思ったんだ。じゃないと、あんな簡単に連絡先なんて交換しないよ」


 「ハンバーガーショップで会ったのは完全に偶然だけどね」そう言って藤原さんは笑った。


「続けてれば、いつか見つかる。自分が伝えたかったことが伝わる人が。音楽とかに限った話じゃないけどね。でも、伝えるのをやめてしまったら何も伝わらなくなってしまう。それって、ちょっと悲しいんじゃないかなって思うんだ。なんか、説教臭いけどさ」


 伝えることを止めてしまったら、伝わらなくなってしまう。

 中学の時の私はそこまで考えたことはなかった。思い描いていた自分と違って、こうじゃないって投げ出してしまった。


「伝えたいことがあるのなら、一生懸命伝える。自分の中で気持ちが固まってなかったり、曖昧だったりしても、伝えたいと思ったことは伝えなきゃいけない。もしかしたら伝えたいと思った相手が、次の瞬間にはいなくなってしまうかもしれないんだから」


 伝えたいと思った相手がいなくなってしまう……。あんまりうまくは想像できないけど、例えば、藤原さんがもう私の前には現れてくれなくなったりとか……? それはいやだ。

 藤原さんがいなくなるなんて話はしてないけど、そう想像するのもいやだ。

 いなくなるってどういうこと? 単純に連絡が取れなくなった、とかならまだいい。いやよくないけど、藤原さんが死んじゃったわけでもないからそこは涙を呑む。でも、もし仮に藤原さんが死んじゃうなんてことがあったら?

 私は、どうするのだろう。そんなことになったら、私の思いはもう伝えられない。この、今胸に抱えている藤原さんが好きって気持ちは、本人に伝えられないのだ。

 それはいやだ。初めて人を好きって思ったこの自分の気持ちを、伝えられないまま終わるなんて。

 想像してた自分と違うなんて言うのは関係ない。今の私だって私なんだから。

 藤原さんの言葉で、そんな思いに駆られた。

 なんだか、今すぐに伝えなきゃいけないような。私の気持ちを知ってもらいたいっていう気持ちに。

 椅子が音を立てて後ろに下がる。

 私は立ち上がって藤原さんの顔をじっと見つめる。

 私の気持ちを伝えなきゃ。それ以外のことが頭から消えていた。


「す――」


 好きです、藤原さん。そう口にしようと、喉を震わせた瞬間――


 夜空が色とりどりの花に埋め尽くされて、火薬のはじける音と人の歓声に、私の声はかき消された。


「おー、花火始まったねー」


 気の抜けた藤原さんの声。さっきまでの真剣そうな雰囲気はどこかに行ってしまって、少ない付き合いの中で見せるいつも通りの藤原さんに戻っていた。

 そんな藤原さんを見て、思考が急激に冷めていく。立ち上がっていた体が、すとんと椅子に座りなおした。

 ――私、今何しようとしたの?

 ――告白しようとした?

 誰に。藤原さんに。誰が。私が。なんで。藤原さんに伝えられなくなっちゃうと思ったから。

 そう認識した瞬間、顔がぼっと火を噴いたように熱くなる。

 何やろうとしてんの私!? 告白って!? このタイミングで!? いやいやいや、ありえないでしょ!

 もっと仲良くなってからとか、お互いのことを知ってからとか! 伝えるには早すぎるというか! じゃあいつ伝えるんだって話になるんですけどね!? でも、それはほら、今じゃないというか! ね? わかるでしょ、私!

 恥ずかしい――藤原さんの顔がまともに見れない。私の顔は、たぶんりんごみたいに真っ赤になってる。

 さっきから、花火が連続で上がっている。赤とか、青とか、緑とか、黄色とか。いろいろな色の火で作られた花が打ちあがって、そのたびに歓声が上がっている。

 その花火の火のおかげで、たぶん藤原さんには私の顔が真っ赤に染まってるなんてことは気づかれていない。

 藤原さんの顔は、花火の方を向いている。だから私も、さっきのことを誤魔化すように、花火を楽しむようにしようと、口を開いた。


「花火、綺麗ですね」

「そうだね。こっからならよく見えるでしょ? 花火」

「そうですね。人も少ないし、花火も近いし。すごくいいと思います」


 そうやって、私はさっきの私を誤魔化した。

 藤原さんに気付かれないように。自分でも違うんだと思うように。

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