藤原さんと夏休み

 さて、ここからはまた気持ちを切り替えて、藤原さんと楽しむようにしなくちゃ。

 待ち合わせまではあと十分くらい。少しだけ早めに到着したけど、藤原さんの姿はパッと見まだ見えなかった。

 まあまだ待ち合わせ時間までは時間あるし、少し待ってたら来てくれると思う。何かあってこれなくなったら前回みたいに事前に連絡くれるだろうし。

 暇つぶしにスマホを取り出す。画面を見ると爽子と朱里さんからメッセージが届いていた。


『今日藤原さんとデートでしょ? がんばれ! 私は和樹を捕まえて暇つぶししてます』


 なんて、首根っこつかまれてる和樹と爽子が一緒に写ってる写真と一緒に送られてきていた。和樹……まあ、出不精になるよりはいいのかな? 爽子も楽しそうだし。


『大洋が妙にそわそわしてたから首根っこひっ捕まえて問いただしたら楓ちゃんと夏祭りデートっていうじゃん? 本人はデートじゃねえよなんて言ってたけど、二人きりで夏祭りなんてどう考えてもデートでしょ。大洋が迷惑かけるかもしれないけど、楓ちゃんよろしくね。むかついたらどついてやってもいいから』


 藤原さんも首根っこひっ捕まえられてたのか……。ていうか、朱里さんにばれてるし。他のメンバーにばれないようにってわざわざ電話してきてくれてたのに。

 でも、そっか……。朱里さんが不審に思うくらいには私とのこの約束にそわそわしてくれてたのか。それはなんていうか、うれしいな。

 そわそわがイコールで私のことを意識してるってことにはならないだろうけど、それでも何も感じてないわけじゃないんだなって思えるから。


『がんばる! 和樹にもよろしくって言っておいて』


 爽子にはそう返信する。すぐに『了解! がんばれ!』と返ってきた。


『朱里さんありがとうございます。でもどつくのはちょっと私にはハードルが高いかなーなんて……』


 朱里さんにそう返信するとこっちもすぐに返信が返ってきた。


『まあ本人に言いづらいこととかあったら私に教えてくれれば私の方から大洋にやっとくから。今日は楽しんでね!』


 それに『ありがとうございます』と返信する。

 相変わらず駅前は人が多い。騒がしい人の声やいろいろな街の雑踏。人の波が流れるようにある方向に動いているのが見える。

 人が多いのは嫌いじゃない。静かなところよりもどちらかと言うと騒がしいところの方が好きだ。

 騒がしければ人の本音が見えない。私の本音も誰かに悟られることもない。静かだと知りたくないものまで見えてしまいそうで、私はいやだ。

 なーんて、適当に益体もないことを考える。暇を持て余した子どもの考えることだから山も谷ももちろん落ちもない適当な戯言だ。

 ぼぅっと人波を眺める。いろんな人がいる。私と同じように浴衣を着て夏祭りに向かっている人。私服で何やらどつき合いながらも笑いあっている友人たち。こんな日なのにスーツを着てせわしなく歩き回っている大変そうな大人。お洒落はしているけれど、どこか沈み込んだ様子で歩く女の人とか。

 みんなそれぞれ何かしらの用とか出来事とか思いとかがあってここにいるんだろう。それは私も一緒だ。

 でも、人が多すぎて誰もその人たちのことを気にしない。人込みから人込みへ。スッと移動して、そのまま見えなくなっていく。

 名前なんてわからないし、顔だってすぐに忘れるだろう。その人の声なんて聞いたことないし、何を思っているかなんてわからない。でも、その人は必ず何かしらの思いを抱えているはずなのに、この雑踏はそれを覆い隠して誰にも悟らせないようにしてしまう。

 うーん、自分で考えてて何言ってんだって気分になってきた。哲学っぽい何かを考えてた気がする。

 もう一度時計を確認する。時刻は五時半ぴったりになった。まだ藤原さんの姿は見えない。

 ……もしかして急な用事が入って連絡する暇もないまま来れなくなっちゃったとか、そんなことはないよね? ね?

 私が不安に思っていると、背後から声がかかった。低い、すごく聞き覚えのある声だった。


「いやぁ、ごめんね。駅が混んでてさ。待っちゃった?」


 聞こえてきた声に振り替える。

 雑多な人込みに紛れて、その人はいた。他の人に埋もれたりなんかしていない。見えなくなったりなんかしない。

 黒い甚兵衛を着て、少しだけ申し訳なさそうな顔をした藤原さんがそこには立っていた。


「少しだけ。でも、時間ぴったりなので大丈夫ですよ」


 私はそう言って、高鳴る胸を抑えつつ精一杯の笑顔を藤原さんに向けた。

 そして、私と藤原さんの夏祭りが始まった。






 二人で連れ立って花火会場まで向かうように歩く。私と藤原さんの距離は腕一本分くらい。それ以上離れるのはいやだし他の人に迷惑がかかるし、でもこれ以上近づくには私の勇気が足りなかった。


「水着姿もかわいかったけど、浴衣も似合ってるね」


 そう言って藤原さんはお母さんが着せてくれた浴衣を褒めてくれた。素直にうれしかったし、ドキッともした。顔は、ギリギリ赤くならなかったと思う。でも、少しにやけちゃったかも。


「あ、ありがとうございます。藤原さんは、今日は甚兵衛なんですね」


 藤原さんは黒い甚兵衛を着ていて、すごくラフな格好だ。夏祭りだから他にも甚兵衛を着ている男性はいるけど、なんか藤原さんが着てくるイメージがなくて新鮮だった。


「どう? 似合ってる?」


 藤原さんはそう言って両手を広げた。中にはこれまた黒いシャツを着てるから体は見えないけど、ブイネックのシャツは首筋が強調されるように思えて、思わず目線を逸らしてしまった。だ、だって、鎖骨とか見えるし……。


「な、なんか新鮮な感じがします。ライブとかでもいっつもシャツにジーンズみたいな恰好でしたから」


 似合ってるってそのまま言うのが気恥ずかしくて、少しだけずれた答えを言ってしまう。間違ったことは言っていないと思う反面、素直に思ったことを口にできない自分が恨めしい。

 でも藤原さんはそんな私の回答でも満足したのか、両手を元の位置に戻した。


「夏祭りって言ったら甚兵衛かなーって。もちろん俺も浴衣は考えたんだけどね。浴衣着たらここまで来る移動手段ねえわってことに気付いて諦めました」


 そんな風におどけて言う藤原さん。


「どうやってここまで来たんですか?」

「バイクだよ。浴衣着てバイク乗るわけにもいかないでしょ?」

「それは、確かに」


 浴衣を着てバイクにまたがる藤原さんを想像しかけて、少しだけ笑いそうになったからあわてて想像するのをやめた。風で捲れそうになる浴衣の裾を必死でどうにかしようとする藤原さんとか、ちょっとシュールすぎる。

「今日他のメンバーの人はどうしてるんですか?」


 少しだけ気になったことを聞く。

 なんだかんだ他の人にはばれたくないって思ってたみたいだし、何かあるのかなーって少しだけ気になっていた。


「他の奴らは……どうだろ。何してるかわかんない。案外誰かの家に集まって酒でも飲んでるのかもね」


 その表情は本当に知らないんだろうなって感じの表情だった。

 どうしても聞きたい話題ではなかったので、それ以上は聞かなかった。

 それからしばらく歩いていると、お祭りの出店がぽつぽつと見え始めた。メインとなる会場まで近づいてきたらしい。

 この出店が並んでいる通りをまっすぐ行くと広場があって、そこに特設ステージが組まれている。そのステージ上ではいろいろな催しがやっていて、お祭りの観客を賑わせている。といってもお祭りはまだまだ始まったばかりなのであんまり派手なものはやっていない。


「おー、出店が見え始めたなぁ。何か食べたいものとかある?」

「さっそく食べ物の話ですか……でも、どれにするか迷うなぁ」


 広い道の両側に出店がびっしりと並んでいるエリアまで歩く。

 ここまで来るともう人が多いなんてものじゃなくて、この地域ではこの時しか見れない歩行者天国の端から端までが人で埋まっていた。


「ベビーカステラに、りんご飴。綿菓子に冷やしパインにかき氷。いろいろあってすっごく迷っちゃいます」

「見事に甘いものしか目に入ってないな」

「だって、お祭りじゃないですか!」

「お祭りと甘いものとの関係ってなんだよ」


 そう言って笑う藤原さん。

 そういえば藤原さんって全く変装とかしてないけど、全然ばれる気配がない。ばれるというか騒がれる気配が。私が思ってるよりも世間に顔が知られてないのだろうか。私はどうしてもファン目線が入っちゃって、もっといろんな人が藤原さんの顔を知ってると思っちゃうから。

 笑顔の藤原さんの横顔をぼーっと眺める。相変わらずかっこいい。アイドルみたいな爽やかイケメン顔ってわけじゃないけど、もっと落ち着いた雰囲気のある男性って感じだ。まあ、酔っ払っちゃうとその雰囲気も形無しなんだけど。


「きゃっ」

「あ、すいません」


 人込みの中でぼーっとしていたせいか、前から歩いてきた人にぶつかってしまう。


「いえ、こちらこそよそ見しててすみません。大丈夫ですか?」

「はい、幸い何も持ってなかったので」


 そうやって謝りあって別れる。ぶつかってきた人はそのまままた人ごみに紛れて見えなくなってしまった。


「楓ちゃん、大丈夫?」


 私が人とぶつかったのに気づいた藤原さんがそう声をかけてくれる。


「大丈夫です。ちょっとよそ見しちゃってて」

「……? 何か気になるものでもあった?」


 不思議そうに首を傾ける藤原さん。

 何にもないです! あなたの顔に見とれてました! でもそんなこと口に出せません!


「な、何にもないですよ?」

「そう? それならいいけど。――ほら」


 そう言って藤原さんは私に右手を差し出してきた。思わず差し出された手を凝視してしまう。


「あの、これは……?」

「手だけど?」

「そ、そんなことはわかってますっ! そういうことじゃなくて――」


 にやにやとしている藤原さんに言い返そうとすると、藤原さんの右手がスッと動いた。そしてその手はそのまま私の左手を掴んだ。


「これなら楓ちゃんがよそ見してても、ぶつからずに済むでしょ?」


 わ、わ、わた、私の手を藤原さんが――!?

 ボッっと爆発したように顔が熱くなる。心臓がすっごい音をたててる。

 うれしいとか、恥ずかしいとか、叫び出したい気持ちだとか、そういうのがぐちゃぐちゃの混ざってうまく言葉が紡げない。「あ……あう……」みたいな意味の分からない声だけが漏れる。


「どうした? 嫌だった?」

「そ、そんなことっ! ない、です……」


 叫びかけて、恥ずかしくなってしりすぼみに声が小さくなっていってしまう。

 そんな私にお構いなく藤原さんは手を掴んだ状態から普通に握りなおした。


「それじゃ、いこっか」


 手をつないだまま歩き出す。心臓はさっきからずっとバクバクいっていて、収まる気配がない。

 手汗とか、かいたらどうしよう? 藤原さんが握ってくれた手を離したくない。でもあせぐっしょりの手を握られたくもない!

 こんなんで私大丈夫なの? まだ夏祭りは始まったばっかだよ? 終わるまで私の心と体は持ちますか?

 あぁー! どうしよー――!

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