Ep.8 突撃隊

 エルンスト・レーム。ゲーリング同様、第一次世界大戦(1914年)で活躍し、陸軍大尉まで昇進した勇者の一人である。戦後、バイエルンでの革命で興ったレーテ共和国を打倒する為の義勇軍に参加。この頃からアドルフ・ヒトラーとの親交が始まる。

 ミュンヘン一揆(1923年)が鎮圧され、逮捕されたヒトラーが獄中にいる間、このレームが突撃隊を任されていた。その後、南米の情勢を調査する為に党を離れ(表向きは、隊の方針でヒトラーと意見を分かち、離党した事となっている)、ボリビア政府の軍事顧問として活動を行っていたが、1930年、突撃隊幹部の反乱などにより隊が崩壊しかけると、ヒトラーの呼びかけにより再び突撃隊幕僚長として彼の元へと帰ってきていた。


「つまりだ、レーム。私はヒンデンブルクの暗殺を阻止し、ヒトラーに権力が集中するのを防ぎたいのだ」

「わかりました、ヒューラー。いや、ヴォルフ殿」


 アドルフ・ヒトラーの古くからの友人、レームは、ゲーリングからの手紙に目を通し、ヴォルフの姿をしばし目を細めて窺うと、なにを疑うこともなく、その存在を認めていた。


「精鋭をヒンデンブルクの近辺に配備いたしましょう」

「そうしてくれるか」

「はい。それと、ヴォルフ殿には2名程でいかがですか?」

「察しがいいな」

「決死隊の中から2名。あえて、政治的関心の薄い、つまりは、ヒトラーを崇拝しているわけでもなく、嫌悪しているわけでもない。ただ、死に場所を探している者をあてがいます」

「打倒だな」


 エルンスト・レーム。この男は、ヒトラーであったヴォルフを目の前にして、ヒトラーを嫌悪している人間も少なからずいる事実を、臆面もなく口にする。それほど、この二人の信頼関係は厚いものであった事がうかがえる。


 レームが付けた決死隊の2名は非常に優秀であった。名は、ビックスとウェッジ。二人はヴォルフに何かを詮索するでもなく、短期的な目的だけを確認し、淡々と任務をこなす。ほとんど感情は見せない。唯一見せる感情といえば、命の危険が伴う任務を命じた時に見せる目の輝き。これのみである。

 この二人の諜報、情報調達などの活躍によりヴォルフは、ひと月の後にはヒトラーの全ての行動予定を把握していた。


「ヴォルフ様、いつでも」


 5月某日。アドルフ・ヒトラー邸・裏。壁の内側からかすかに聞こえる、風のような音を聞き分け、ビックスはヴォルフに屋敷への侵入の準備が整った事を告げる。この日、ヴォルフはエヴァの奪回(状況的には誘拐になろうか)と、ヒトラーへの挨拶を目論んでいた。


「ではいこうか」


 ヴォルフの返答を受け、ビックスは口をとがらせ、息を吐く。

 ……。

 なにか音がしたであろうか。いや、常人の耳には聞こえない。そんなかすかな音を発する。すると、塀の上からスルスルとロープが降りてくる。


「君たちがあまりにも優秀なので少しつまらんな……」


 言うと、ヴォルフはロープを掴むこともなく、その場で飛び上がり、ビックスの肩を踏み台にして軽々と塀を乗り越える。飛び越えた先には、待機するウェッジ。


「ヴォルフ様……」


 握っていたロープになんの感触もなく、塀の上から飛び降りてきたヴォルフに驚きを見せるウェッジ。


「身体をなまらせたくはないのでな」

「……失礼いたしました」

「かまわん」

「……。」

「何を考えておる?」

「多少、無茶をしても構いませんか?」

「かまわん。最短ルートでいこう」


 ウェッジは、返事をする代わりに目を輝かせる。


「急ごう」

「はい」


 ウェッジは答えると同時にヒトラー邸の庭を壁沿いに駆け抜ける。続く、ヴォルフ。

静寂に包まれた月夜のもとを、二つの影が駆け抜ける。そして、屋敷の壁に到達すると、壁を蹴り、三角とびに隣接して建つ倉庫の屋根へと降り立つ。着地地点から横へ転がるウェッジ。そして、ウェッジが着地した箇所と寸分たがわぬ位置にヴォルフが着地する。驚きの目でヴォルフを見るヴェッジ。ヴォルフがニヤリ、と、わずかな笑みで応える。

 火がついたウェッジは方向を変えると、屋根の上で助走を付け、レンガ造りの屋敷の壁へと向かい飛ぶ。その距離、3メートル。しかも、そこに着地すべきスペースなどなく、壁。レンガとレンガのわずかな隙間に指先とつま先を挟み、まるでカエルのように吸い付く。常人であれば、当然のごとく壁にはじかれ、取り付くことなど不可能である。

ウェッジは、得意げな表情で後ろを振り返る。はなから、ヴォルフが自分と同じ芸当ができるなどとは思っていない。別のルートをしっかりと用意はしているのだ。


「よっ」


 ウェッジが唖然とする。ヴォルフは、助走をつけることもなく3メートルの隙間を飛び越え、壁面へと貼りつく。


「本当にすごいな、この身体は」

「身体?」

「いや、なんでもない。よい運動になる。さぁ、先を急ぎたまへ」


 ウェッジは驚きを隠せないまま、壁面を横へ上へと移動する。己がこの芸当を会得するまでにどれだけの歳月をかけた事か……。それを軽々とマネされ、ウェッジの意気は消沈していた。ウェッジは3階のバルコニーへ飛び降り、窓の隙間にナイフを入れ、鍵を外す。表情は暗いままである。


『ガチャ』

「まて、ウェッジ」


 ヴォルフの呼び止める声に振り返りながらも、すでに手は窓を開けている。


「キャっ」


 暗い部屋の中から小さな叫び声が聞こえる。


「なんだ、貴様ら」


 人影はふたつ。男女のようだ。男が窓際へと歩み寄る。刹那――。


「ぐっ」


 ウェッジの背後から窓の中へと飛び込んだヴォルフが、男の口をふさぎながら押し倒す。ヴォルフの手には、何時の間に奪ったのか、ウェッジが鍵を外すのに使ったナイフ。


『ドッ……』


 躊躇なきひとつき。


「キャ、あ……」


 腰を抜かす女。ヴォルフはすかさず彼女にのしかかり、口を塞ぎ、首に手を当て、頸動脈に力を入れて気を失わせる。


「ウェッジ、何をしている?」

「申し訳ございません、ヴォルフ様……」

「……まあいい。この部屋は使用されていない部屋。物置代わりとなっている。昔はな。今もそうなのであろう?」

「はい。このひと月、この時間に使用されていた事はありませんでした」

「この女は、この家の使用人。気立てのよい、働き者だ」

「はっ……」

「そしてこの男。私も知らぬ顔だが、おそらくSS(親衛隊)であろう。主を守る為に詰めているはずが、この体たらく。主人の顔を早く見てみたいものだな……」


 ヴォルフが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。どうやら二人は、人けのないこの部屋で情事に及んでいたらしい。ヴォルフは、メイドの股に手を当て、何かを確かめる。


「ウェッジ、こやつら、行為は終えて、身支度をしていた所らしい」


 つまり、この二人が屋敷から姿を消して一定の時間が経過しているということだ。

 二人とも、着衣はしっかりと着られている。

 ヴォルフは、SSの男の腹部に突き立ったナイフを抜き、男の上着で血のりを拭い取ると、ウェッジへ投げてよこす。


「こやつらが戻らなければいずれ騒ぎになる。急ぐぞ」

「はっ」


 ナイフを腰に収めたウェッジは、慎重に廊下へのドアを開き、様子をうかがう。


「親衛隊のメンツも総入れ替えか……」


 ヴォルフは、SSの腰から拳銃を抜き取ると、ウェッジの後へと続いて廊下へと足を進めた。

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