Ep.4 スイッチ

 ミュンヘン。ヒトラーのアパート。目の前にとまる一台の車。停車直後、ドアを開け飛び出すヒトラー。


「ゲリは、ゲリはどこだ?」

「これは、ヒューラー。落ち着いてください」

「ポリツィスト(警察官)、ゲリはどこだね?」

「ヒューラー。ご遺体はすでに運び出しております」

「ゲリは……死んでいたのか?」

「はい。残念ながら……」

「そうか……。いや、確認するまでは信じられん」

「お気持ちはわかりますが……」

「いいから案内せよ。早く案内したまへ」

「はい。ご案内いたします。ですから、まずは落ち着いてください」

「私は気が短い。急ぎたまへ」


 焦燥を見せるヒトラー。警察官に案内させ、霊安所へと足を運ぶ。


「ゲリ……」


 ゲリの死に顔を凝視するヒトラー。


「ホフマン……すまないが、ゲリと私のふたりだけにしてくれないか」


 彼は、ゲリの遺体に突っ伏し身動きをしない。


「ああ、わかった。ポリツィスト。済まないが君も外してくれないか」

「はい」


 ホフマンと警察官が部屋を後にし、重い扉が閉められる。

 暗い室内には静かに眠るゲリと、そこに顔を伏せるヒトラー。


「……クク。………ククク」


 突如、ヒトラーが声を漏らす。


「ふふ……ふはははは」


 霊安室に響く笑い声。


「あの男の言った通りだったわね」


 ゲリに語りかけるようにつぶやくヒトラーの独白。


「オスカルとかいうあの芸術家かぶれの男。東洋の魔術とか言ってたけど、まさか本当に言っていた通りになるとはね」


 ヒトラーが、握られたゲリの手を開く。すると、4枚に破かれたヒトラーの写真。


「相手を表すなにかを、死を表す4つに分ける。そして、カミへと祈りを捧げれば、相手の身体から魂が抜けだし、その身体へと入り込む事ができる」


 ヒトラー、いや、その姿を借りた何者かが、ゲリから奪ったその写真をさらに細かく破り捨てる。


「アドルフ。抜け出した貴方の魂は、私の身体に入るはずだった」


 ヒトラーの手が、ゲリの頬を優しくなでる。


「でもね、私の身体にあなたが入るのなんて御免だわ。たとえ上手くいかず、私だけが死ぬことになっても、あなたのものにだけは為りたくないの」


 ヒトラーは、その手で愛おしそうにゲリの顎を支え、口づけを躱す。


「ゲリ。もうこのラム肉くさいアドルフおじさまのキスともお別れね。さよなら、ゲリ。さよなら、おじさま」


 ヒトラーが霊安室を出ると、閉まる扉の音だけが室内に大きく響いた。彼が以降、ベジタリアンとなった本当の経緯を知る者はおそらくいない。

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