第42話 健全な関係

「泊まっていたって……。美樹と八坂は付き合っていたのか?」

 八坂は今、小さくため息をついた。

「ち、違うよ。付き合ってなんていないよ。そんなんじゃないから……」

 美樹が慌てて否定する。

「あれ、私、隣に八坂君が住んでいること言ってなかったっけ?」

 俺は結菜に首を横に振る。

「付き合っていないのに、どうして美樹が八坂の部屋に泊まっているんだよ?」

「それは、私と落合も一緒でしょ」

「まあ、そうだけど……。昨日、あんなにドンドンしていたのは……」

「私と八坂君は、そういう関係なの」

「えっ?」

「言葉にはしたくなかったけど、セフレなのよ」

 美樹にはっきり言わせてしまい、結菜に頭を叩かれる。

「セ、セフレって、ふざけんなよ八坂! お前、何のつもりだ! 遊びで美樹に手を出すなよ!」

「俺、行くわ」

 八坂は俺を無視して、美樹を置いて、1階へ下りて行く。

「何で美樹は一緒に行かないんだよ!」

「行けないよ……エヘヘッ」

 美樹は一瞬だけ寂しそうな表情を見せたが、すぐに笑みを浮かべた。

「ゆ、結菜はこれでいいのかよ!」

「美樹が望んだことだから仕方ないでしょ。恋愛にはそれぞれの形があるんだから。大体どうして落合が怒っているわけ? 美樹、こんなお子ちゃまは置いといて、先に行こう」

「うん……」

 結菜と美樹が、八坂に追いつかないようにゆっくりと1階に下りて行く。

 美樹は友達だ。『杉山見習い部』のメンバーだ。セフレにされるなんて、怒って当然ではないか。それに、八坂のあの態度はなんだ? イケメンだったら普通に許されることなのか? 俺は心の中の大切な部分を犯された気持ちになっていた。


 佐藤に相談しようとしたが、『南かぜ風』に姿を見せず、しばらく待っていると、『悪い。今日は休む』とlineにメッセージが届いた。


 イライラしながら学校に着くと、八坂の奴は平然と美樹の隣の席に座っていた。

 俺が八坂に怒ったりしないように、美樹が目で訴えてくる。

 俺が何も言わないで通り過ぎようとすると、八坂の奴が薄ら笑いを浮かべやがった。

「八坂、てめえ……」

 俺がブチ切れそうになると、結菜と三上がやって来て、俺を引っ張って席まで連れて行く。

「離せよ!」

「落合が怒れば怒るほど美樹が迷惑するの! いい加減にして!」

 なぜだか俺が結菜に注意される。

「三上も知っていたのか?」

「美樹が衝動的に金髪にしたとは思えなかったから、理由を聞いたら教えてくれたわ」

 金髪にしたのも八坂のためだったのか?

「学級委員として、あんな関係、許していいのかよ!」

「落合、さっきから声が大きい。黙らないと窓から投げ飛ばすわよ」

「落合君と田中さんの同棲と同じことじゃない」

 三上はそう言うと、自分の席に戻って行った。

 俺と結菜の同棲と同じだって? こっちは必死に性欲を抑えているんだぞ! 健全だ。俺と結菜の関係は健全だ。一緒にされてたまるか。


 俺がそう思っていると、杉山が教室に入って来る。

「起立。礼。着席」

 三上が号令をかける。

 今日もスカートコーデの杉山を見て、俺はどちらが健全なのかとわからなくなった。貞操を守っている俺と結菜。ちゃんとセックスをしている美樹と八坂。わからない。どちらも健全なような気もしてきた。なんでこんな時に限って、佐藤は休んでいるんだよ。ああ、もう考えてもわからないから、とにかく今日は帰ったら、一人でやることにしよう。幸い、俺は休みで、結菜はバイトだから3回はやってやろう。



 帰宅すると、結菜と冷やしそうめんを食べた。

 珍しく俺のほうが先に食べ終えていた。結菜が麺をすするところを見るのは、今の俺には刺激が強かったので、ひたすらクーラーと睨めっこしていた。

「今日、バイトって何時からだっけ?」

「3時からだけど」

「そっか」

 あと2時間もある。時間が進むのが異常に遅く感じた。

「ありがとね、落合」

「えっ?」

「正直言って、落合が八坂君に怒ってくれて嬉しかった。今日の落合、かっこよかったよ」

 結菜はそう言うと、食器をキッチンに片付ける。俺は自分のことが恥ずかしくなった。一人でやることばかり考えていて、結菜と一緒に居られる時間を長いと感じていた。

「でもさ、やっぱり否定しきれないよね」

 結菜は部屋に戻って来ると、俺の隣に体をくっつけて座った。

「私たち、間違っているのかな」

「俺にもわからない」

「本当は私、今、落合とキスしたい」

「俺も」

「何が邪魔をしているのかな」

「俺、すごく好きになった人がいて、でもその人より結菜のことを好きになって……。自信がないんだ。また別の人を好きになるかもしれないって……。でも、結婚をしたいと思うのは、結菜しかいない。それは、はっきりとわかるんだ」

「私も同じ……。結婚は落合としたいけれど、その間に誰かを好きになってしまいそうで怖い……。ねえ、落合、キスだけしてよ」

「でも、そういうのは付き合ってからにしようって……」

「今は特別。お願い、繋ぎとめてよ」

 結菜が目を閉じる。俺がキスをしようとすると、急に八坂が住んでいるほうとは反対側の部屋が騒がしくなる。

「なんだろう?」

「変ね。こっち側の部屋には誰も住んでいないのに。誰か引越して来たのかしら」

 俺と結菜が怪訝に思っていると、チャイムが鳴る。

「隣の部屋に引っ越して来た者です」

 聞き覚えのある声がした。

 俺はため息をついた。結菜は笑っていた。


 玄関のドアを開くと、佐藤と三上が立っていた。

「引越しのご挨拶に伺いました」

 佐藤はそう言うと、菓子折りを結菜に渡す。

「引越して来たって、どうしてここに?」

「夏季講習が終わった後も、集中して勉強できるように部屋を借りたんだよ。そしたら、友里も勉強部屋として使わせてほしいって言うからさ。よろしくな」

「よろしくお願いします」

 三上がお辞儀をする。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 結菜もお辞儀をしたので、俺も頭を下げた。

 するとそこに、コンビニの買い物袋を持った美樹と、自分の鞄しか持っていない八坂がやって来た。

「おっ、美樹、八坂、ちょうどよかった。これからよろしくな!」

 佐藤は、美樹と八坂の関係を受け入れているようだった。

 八坂は返事をしないで、部屋に入って行く。美樹が申し訳なさそうに、俺たちに手を振ると、後に続いて部屋に入って行った。しっかりと鍵を閉める音がする。

「それじゃ、正、ゆいぴー、引越しの続きがあるから、また後でな」

「しばらくうるさいと思うけど、ごめんなさい」

「いいのよ、気にしないで」

 結菜がそう言うと、佐藤と三上は隣の部屋に戻って行く。

「結菜、ちょっと近くの公園にでも行かない? パニックだよパニック」

「フフフッ。いいわよ」

 鍵をかけると、サンダルのまま結菜と公園に出かけた。



 暑い。あまりに暑過ぎて、公園には誰もいなかった。それでも、結菜とシーソーに乗りながら、少しずつ冷静になることができた。

「楽しくなりそうだね」

「でも、俺、八坂の部屋がうるさくなったら、黙っていられないかも」

「美樹の邪魔をしたら私が許さないわよ」

「邪魔って……クソッ!」

「キャッ! もう急に下ろさないでよね」

「三上、嬉しそうだったなあ」

「うん。カブト虫も見つかるといんだけど」

「それは、難しいだろ」

「あっ……」

「なんだよ」

「あの木……」

「えっ?」

 結菜が指さすほうを振り向くと、セミが木にとまっていた。

「なんだ、セミじゃないか。驚かすなよ」

「落合のくせにセミをバカにしないで! セミは夏のピアニストなんだから」

 俺はセミ以下の存在なのか。でも、確かにその鳴き声は、俺たちに儚くて切なく、鮮やかな時間を与えてくれる。

「うるさいと感じるか、美しいと感じるか、落合次第よ。キャッ! もう、なんで急に下ろすのよ! パンツが見えたらどうするのよ!」

「さっき見えたから、もう一度やってみた」

「バカ! せっかく私が真面目に話してあげたのに!」

「結菜、俺たちはこのままで良いと思う」

「えっ?」

「こういう時間を大切にしたい」

「うん」

「あとさ、結菜やっぱり太ったよね。もっと軽く上がると思ってた」

「落合の大バカ!」

 結菜が力一杯シーソーを下ろす。俺はその反動で浮かび上がり、地面に尻もちをつく。

「イタタタタ……」

 結菜は俺を置いて、公園から帰って行く。多分、背中を向けて笑っているに違いない。だから俺も笑うことができる。

 今は結菜のパンツを見られるだけで、十分に幸せだ。今はそれでいい。今はそれがいい。

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