王と王

 ………辺りは、惨憺たる状態だった。


 手入れの行き届いた芝はあるところは抉られ、またあるところは陥没していた。掘り起こされた土が深緑を汚しているし、それとは違う赤い色が散らばり、下手くそなシェフがシナモンとケチャップを撒き散らしたような有り様だ。


「………………………」


 そんな芝生の真ん中で、言葉もなくクリンゲは立ち尽くしている。その黒い甲冑は、元の色がわからないほど赤く染まっていた。

 ポチャリ、と赤い滴が地面に垂れる。それを見て小さく息を漏らし、クリンゲは首を振った。


「………まぁ、この程度か」


 兜の隙間から、くぐもった声が零れた。聞き取り辛いが、その声からは呆れの色が確かに感じ取れる。

 やれやれとばかりに、黒い騎士はゆっくりと動き出す。甲冑にはへこみや欠けが目立つが、その動作には微塵の淀みもない。

 それもその筈、彼の騎士を彩る【赤色】は、


「どうにかなるとでも、思ったか?」


 言葉と共に、切っ先を向ける。その先には、荒い呼吸で肩を上下させている輝石の王ディアモンドがいた。


「お前とでは、相性が悪いからな」


 黒騎士の淡々とした口調には、余裕が感じられる。それを理解してなお、ディアモンドはなんの反論も出来なかった。

 【輝石の王】ディアモンド。その異名に反して、彼の全身はぼろぼろだった。赤いマントも、被った小さな王冠も、大小区分なく傷にまみれている。

 ディアモンドの身体中を染める【赤色】は、ペンキではない。彼の身体から流れ出た、赤よりもアカイ液体。

 ………全身を血にまみれさせて、ディアモンドは敗北しかけていた。







 必然の結果と言えた。


 ディアモンドの攻撃はクリンゲの鎧を通らず、クリンゲの攻撃はディアモンドを容易に切り裂く。いざ戦いとなれば、子供でも黒に賭けるだろう。

 多少の被害も気にせず突撃し続ける。それだけで、哀れなペンキ塗りは圧倒されていた。


「………お前は、魔力をその技に注いだ。盾も甲冑も身に纏うことなく」


 言葉を置き去りに、黒騎士は踏み込んだ。

 地面が陥没し、クリンゲが黒い砲弾と化して直進する。その先にいるのは勿論、ディアモンドだ。


「くっ!!」


 咄嗟に横に跳ぶ。その瞬間、ディアモンドの脳裏に浮かんだのは、かわしきれず斬り裂かれる自分の姿だ。

 それを単なる悪い予感だと思うほど、愚かではない。


 跳びながら、身体の前に剣を立てる。


 次の瞬間には、衝撃が両腕を襲っていた。すれ違いざまにクリンゲは剣を横薙ぎに払っていたのだろうが、全く見えなかった。偶然構えたところに相手の剣が当たったというだけの話だ。

 まだ身体が宙にあったのが幸いだった。クリンゲの剣はディアモンドをクリケットのように弾き飛ばしただけで、その本来の役割を果たすことはなかった。


「ううっ?!」


 ………なかったが、しかし、バットとしてでも充分な活躍だと言えた。ディアモンドの身体は十メートル以上も飛んでいたのだ。その後も数度地面をバウンドし、生えていた大木に打ち付けられて漸く止まる。


「ゲホッ、ゲホッ………」


 咳き込みながら、思わず愛剣マーレンを見る。直接的な斬り合いを想定した造りではない愛剣は、切れ味も頑強さも普通の剣より劣る。折れてはいないかと心配だったが、どうやら無事らしい。

 問題は、赤かった筈の刀身が、硝子のように透き通っていることだ。


「どうやら、打ち止めらしいな」


 さらに悪いことに、クリンゲもその事に気が付いたらしい。単なる猪武者でないのが、こいつの厭らしい所だ。


「さて、どうかな」

「惚けるな」


 あっさりと看破しつつ、黒騎士は自らの剣でディアモンドのそれを指し示した。


「最初に赤かったのは、そこにペンキが詰まっていたからだろう? 透明になったのは、使いきったからだな?」


 舌打ちする。彼の予想は完全にその通りだったからだ。


 愛剣【染剣マーレン】の刀身は、実は空洞になっている。液体をそこに吸い込んで溜め、放つのだ。

 イメージとしては万年筆に近い………その形も機能も。

 その刀身が透明ということは、詰まりそういうことだ。


「さて、どうする?そのペンで、俺と殴りあってみるか?」


 笑みさえ含んだクリンゲの言葉に、ディアモンドは身体を起こす。あちこち軋んで悲鳴をあげる手足は、まるで自分のものでは無いみたいだ。

 勝ち目はない。自分が【マーレン】に力を注ぎ込んだように、クリンゲはその武装に魔力を注いでいる。近接戦闘においては相手に軍配が上がると云うものだ。


「………………………」

「ほう」


 そこまでわかっていても、なお、ディアモンドは剣を構えた。それを見て、クリンゲが兜の奥で目を細める。

 それ以上何を言うこともなく、クリンゲも剣を構える。

 是非もなし、というわけだ。当たり前だ、騎士同士が剣を抜き合ったら、その仕舞う先は相手の心臓以外には無い。


「………………………」


 予想される結末は、クリンゲの勝利、そしてディアモンドの敗北だ。だがしかし、ただでやられるつもりもない。

 ギシリと音を立てて、ディアモンドは柄を握り締める。

 奴に思い知らせることは可能だ。ディアモンド自身を、犠牲にすればだが。






 言葉もなく、両者が踏み込んだ。


 爆発的な推進力がクリンゲの身体を運び、一瞬で間合いがゼロになる。

 黒い剣が振るわれる。対するディアモンドは、剣を振るわなかった。

 反応すらできなかったか、それとも何かの策か。疑問を挟む間は無い。どちらであれ斬れば同じだと、クリンゲはそのまま剣を振り下ろした。


 あらゆるものを一刀両断せんとする気迫の籠った一閃は、真っ直ぐにディアモンドの脳天へと吸い込まれていき、


「………?!」


 突如として目の前に現れた何かが、その軌道を遮った。

 勿論、遮るだけだ。剣の進行を止めることは出来ず、その半分まで剣は沈み込んだ。

 


「ダイヤの………3………だと?」

「………【分離ヘイレイト】」


 ニヤリと、カードの上で顔が笑う。

 剣は、彼の身体を半ばほどまで切断し、なおそこに留まっている。その痛みは想像を絶するだろうし、自分の目で己の身体が引き裂かれるのを見るのは余計に苦しいはずだ。


 だが、笑う。


 何故だ、と問うよりも早く、気が付く。

 これだけの重傷なのに、血が、一滴も、


「………【補充ハイラート】」


 囁くような呟きが、カードの影からきこえた。その意味を理解するよりも早く、赤い光が視界を焼く。


「ウ………」


 【マーレン・ローズ】。ディアモンドの切り札たる赤光。


「ウオ………」


 その赤い光が、真っ直ぐに迫ってくる。これまでの弧を描く軌道ではない。細く鋭い、針のような一撃。


「ウオオオオオオオオ?!」


 カードを貫いて、赤光がクリンゲの鎧を撃ち抜いた。








「………………………ドライ」


 ポツリと、言葉が漏れた。

 倒れていたダイヤの3は、緩慢な動作で目を開く。

 自身と同じ高さに転がる黒い甲冑がまず目に入った。そして、その心臓付近が粉々に打ち砕かれているのを見て、そっと笑う。


 良かった、と素直に思う。


 良かった、これで良かったのだ。

 自分が言い出した。恩を返そうと、してもらったことに報いようと。

 危険は承知だった。少なくはない犠牲を払う必要があることも、間違いなく承知していた。


 だから、これで良い。


 支払われるなら、自分の命であるべきなのだから。


「………あとは、任せて」


 その言葉に、そっと視線をあげる。そこにいた人影に、ダイヤの3は笑みを深くした。

 これ以上はない。あとを任せられる誰かがいるだけで、それ以上望むべくもない。満足の色を浮かべて、ダイヤの3はそっと瞳を閉じた。


「………」


 祈るように目を閉じて、はダイヤの3の傍らにしゃがみこんだ。彼の瞳は閉ざされ、二度と開くことはない。

 クリンゲは倒れた。そのためにダイヤの3も犠牲になった。

 では、祈る【彼女】は誰か。


「………………………」


 その髪は黄金に輝き、腰にまで届いている。

 その上には小さな王冠。ディアモンドのものよりも丸みを帯びたフォルムではあるが、同じ意匠のものだ。

 白いシャツには、ダイヤの紋章。

 赤いマントに、赤いブーツ。

 腰には、万年筆を思わせる独特なデザインの剣を下げている。誰かはそれを、マーレンと呼んでいた。


「………あとは任せて下さい。ディアモンドの行く道は、私の道でもあります」


 彼女は立ち上がる。その瞳には凛とした決意が満ちていた。


「【輝石の女王ダイヤのクイーン】ディア。参ります」


 颯爽と歩き出す。後ろで眠る仲間のことは、振り返らずに。

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