3.良い予感

何てことだ……。

 僕はその声がこちらに近づいていることがわかると、それに比例して機嫌を悪くしていった。

 何が気に食わないか……?

 「幸福な静寂」が失われていくことも嫌だったが、しゃべっている言葉が聞きたくなくても聞こえてしまうことが、この上なく不愉快であった。まるで盗み聞きをしているような罪悪感さえ伴う、複雑な不快感が僕の胸に去来していた。

 「さくらさーん、見てくださいよー!」

 声の主は二人で、そのうちの一人が言った。喜びと興奮に声も大きくなっているようだ。

 「ええと……その…………」

 もう一人のほうは、これまた声が大きめで

はきはきとした声をしていて、だけどその声には非常な戸惑いの色を感じられた。

 「ええと…」

 「…これみてくださいよ! まさにっ! まさに人が作ったアートと自然からの恩恵との融合なのですよ! あ? もう感動で声が出ない感じでしょう?」

 人が作ったアートと自然からの恩恵と融合……。何か僕と似たようなことを考えているな……と思った。そして声が聞こえるほうに目を向けると、意外と二人は僕の近くに立っていて、十メートルほどそばの距離に立っていて、少しびっくりしてしまった。

 一人の方は、ニコニコと楽しそうに森林鉄道の廃線を指差し明るくしゃべっている。身長は一六〇センチくらいだろうか。歳は高校いや、大学生くらいで、髪の長さは肩にかかるくらいの長さで、色は薄く茶色に染められ少しソバージュがかかっている。服装は白いブラウスに黄色いカーディガンを羽織っていて、ブルーのデニムパンツをはいている。

 顔は目がたれ目でくっきりしていて、まぶたは二重であり、鼻の高さは高すぎもなく低すぎもなく、唇の色は薄ピンク色だ。印象的には明るく優しそうだが、どこか少し頼りない印象を受ける。

 あとでわかるのだが、話の都合上先に言わせていただくと、この娘の名前は川村絵里と言うらしい。大学生で都心の某M大学文学部に通っているらしい。

 この子を見ていると、いつの間にかさっきまでの不快な心が和らいでいるのに気がついた。

 もう一人の方は、さっき話しに出た川村絵里より低い。一五五センチくらいだろうか?

歳は高校生いや中学生? と思わせるようなほどの童顔なのだが、さっき川村絵里はこの子の事を「さくらさん」と呼んでいたので、まさか先輩なのだろうか……。あの呼びかけがなかったら、中学……良くて高校生だろうと言う推測をするのだが……。眼は普通の大きさだが顔も小さい。口は笑うと良くモデルや芸能人が見せる、いわれる「アヒル口」になる。この子も印象的には悪い印象はないが、今は少し笑顔の中にも不満そうな色が見え隠れしている。ちょっと仕草を見ていると左手と右手の人差し指の先同士を軽くぶつけあったり、髪の先を弄る仕草がいちいち動きが妙に可愛らしい。驚いた様子を見せるときはゆっくり手を広げて見せてみたり、ちょっと大げさなところ、声は高めで可愛らしく同世代の男子にはモテそうだが、同姓には嫌われるかも……、という印象を受けていた。服装は黒のカーディ版の下にベージュのリボンがついたブラウスと黒いロングスカートをはいている。

 この子の名前も先に言っておくと、潮崎さくら。やはり川村絵里と同じ大学の一つ先輩なのだった。

 僕は二人から目を背けて、再び線路に目をやった。自分の時間を取り戻するために、さっき話しに出た「人の造形物」と「自然が織り成す融合」を楽しむために……

 「これ? ちょっと本当に言っているの?」

 潮崎さくらの声が大きくなった。顔は笑っているが、やはりどこか驚きと不満で引きつっているようだった。

 「ええと……高速バスで三時間乗ったよね? それでまたバスで一時間くらい乗って……。ぜひ見せたいって言われて……。」

 ここまで潮崎さくらはどうやら一呼吸置いたらしい。目の前の現実と状況の整理に追われている様子だった。

 相手の川村絵里は話に相槌をうっているらしかった。

 「……それって、このえーと、錆びた線路なのー!?」

 少し引き気味に、そしてだんだん声を大きくして潮崎さくらが尋ねる。

 「そのとおり!」

 満足げに川村絵里は答えると、潮崎さくらのため息が聞こえた。それから二、三嫌味を言っていたが、川村絵里は楽しそうに対応していた。

 僕はだんだんと二人の会話が気にならなくなりつつあったが、不意に

 「あの…………大丈夫……ですか……?」

と頭上から不安げな声が降り注いできた。

 僕は驚いて、

 「え?」

 と聞き返し、目を上げるのが精一杯だった。僕の頭上に川村絵里の心配げに覗き込んでいたのだ。

 「……ご気分でも悪いのですか?」

 と尋ねる

 「……いえ、別に……」

 僕はなるべく動揺を悟られまいとそっけなく答えた。

 川村絵里はとたんにパーっと笑顔になった。

 「良かったです。すいません! 余計なときに声をかけちゃいました? 顔色悪くて辛そうに見えたので、つい……。」

 と言って、次の言葉への接ぎ穂を失い、少しあたふたしているようである。

 「ええ、よく言われるんです。何か色が白いので、体調悪いのか?とか、陽にあたっているのか?とか……。」

 と僕はそっけなく答えた。本当は感謝の意を何かしらの形で伝えるべきだったかと思うが、なぜだかそういう気分に素直にはなれなかった。

 僕はもう一人の潮崎さくらにちらっと目を向けた。川村絵里が声をかけている間、近くには来てくれていたはずだが、彼女からの反応がいまいち感じ取れなかったのが、正直少し気になった。

 何せ最近、色々と物騒なことが続いているし、怪しい男、アブナイ男と思われていないだろうか?

 彼女の表情はなんとも推測しがたい表情をしていた。一見、少し不安げそして安堵したように見えるのだが……。やはり、何か表情の色が薄いのだ。それは自分の表情を出さず、心配をしてくれていると推測も出来るし、

すっかり警戒をされ、自分の本当の表情を出さず、警戒心から遠巻きにされているようにも感じた。

 そう思っていると、川村絵里は再び「廃線興奮モード」に復帰した。

 「さくらさーん、チョットしゃがんでみてくださいよ??」

 渋々言うとおりに潮崎さくらはしゃがんでみた。

 「見てくださいよー!! 都心近辺では絶対に味わえないですよー!」

 と川村絵里ははしゃいだ調子で言うと、

 「……絵里ちゃんって……。何かこういう廃線とか廃墟とか本当に好きだよね? 前にも何か本やらネットやらで見せられたような……。」

 と潮崎さくらは半ばあきれた調子で言った。

 「そうなんです!! 人の手によって創られた造形物と自然との融合……。痺れますよねえ。びびびっと! 」

 川村絵里は本当に楽しそうで幸せそうだ。だんだん僕にも彼女を見ていると、親近感と言うと少しなれなれしいかもしれないが、当初抱いていた印象とだいぶ違うものになっていた。

 潮崎さくらはあきらめ半分の苦笑い……という感じで

 「……ごめん……。わからなーい。」

 しかし川村絵里には、その声が届いていないのか、

 「今度はもっとすごいところ行きましょうよ! 九州のほうなのですけど、島がまるまる廃墟なんですよ! 今度もさくらさん気に入ってくれると思いますよ!!」

 その言葉を聴いて、潮崎さくらはあわてた調子で

 「ちょっと! 今の言い方可愛くないよ! 今度もって何? この場所を気に入った素振りをした覚えがないんだけど?」

 さっきも似たようなことを書いたが、僕の「それまでやかましい二人組」という印象から、はっきりと僕の中で印象が変わり始めているのを感じていた。

 少なくとも、この廃墟廃線好きの女の子、川村絵里にはまったく異なった感情、言葉で表現するにはちょっと複雑だが、哀れみと言う表現が一番近いだろうか?

 この廃墟・廃線好きの趣味を他の人と共有が難しくわかってもらえない時の歯がゆい気持ち……。彼女は笑っているが、少し寂しい気持ちも抱いているのでは? と考えるのは無用な詮索だろうか?

 昔、僕も似たような寂しいと言うか、このような疎外感はよく抱いたものだった。今はもう慣れた……と言うか他の人に理解してもらうというのは、もうあきらめているので、今はどうも感じないが……。

 「すいません……あの……。」

 僕は彼女達に一歩歩み出て、カバンの中からある本を取り出した。廃墟・廃線の名所についての見所が出ている本である。そしてその本のあるページを指し示した

 「あ! 盗み聴きするつもりは全然なかったのですけど……。今言った島が丸まる廃墟の場所って……。ここのことですよね?」

 それを見たとたん、川村絵里の顔からは歓喜の笑顔がこぼれた。

 「おお! すごい! これです、これ!!」

 僕は今素直に自覚した。彼女の笑顔……。少し頼りないけど、人格の良さがにじみ出たような笑顔だ。まるで、世の中の、人の嫌なものに触れたことがないような……と言うべきか。こんな笑顔ならいつまでも見ていたい。いつまでも守って行きたい。「見返り」と言うものを忘れさせる……。献身的な思いを抱かせる……。

 僕はそのような思いを抱いていたと同時に、飛躍的と言うべきか、浅ましいと言うべきかに我ながら少しあきれてしまっていた。

 「いやあ、運命感じちゃいますね! って、ごめんなさい! 少し図々しい事いっちゃいました?」

 と川村絵里は人懐っこい笑みに、心配げな表情を混ぜた表情をしている。

 「……いや……いいと……思いますよ。類は友を呼ぶ……。それが実現されたのかもしれませんね……。」

 僕はなるべき表情を表に出さないよう、冷静に言葉をつづった。そして続けて

 「……ああ、そうだ……。良かったらこれ見てもらえます?」

 僕は自分のカバンから本を取り出した。表情には出さぬにしていたしていたが、僕は何かしら期待……良い予感が頭をよぎっているのを感じていた。

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