ハーフリングの湯 (中)

 番頭の、突然の宣言にハーフリング一行はそれぞれ首を傾げる。


「それなに?」「まなあ?」「こうざ?」「たべれる?」「うまい?」

「これはお客様に、銭湯のルールについてより深く学んで頂き、気持ちよく入浴して貰おうという企画でございます」


 それが彼女の目論見だった。

 ハーフリングたちを徹底的に教育し、一人前の客に仕立て上げるつもりなのである。


「よーするになに?」「ひとことでいってなに?」「にゅうよーくってなに?」「どこにあるの?」「たべれるの?」


 ただ彼らは未だに首を傾げており、明らかに趣旨を理解できていないようだ。


 決してハーフリングの知能が劣っているわけではない。

 彼らは好奇心をそそられる対象については貪るように知識を蓄える。

 だが同時に面白味のない物、都合の悪い事などは全く頭が働かない連中なのだ。


 要するに、今の彼らはマナー講座の話にはまるで興味を示していなかったのである。


「例えばそこの貴方」

「あい?」


 番頭はが指さしたのは、話そっのけでふらふらと女湯の暖簾に向かおうとしていたハーフリングだ。


「マナーその一。殿方は、女湯をご利用できません」


 彼女はそう言いながら何かを番頭台の上に置いた。

 ハーフリングらしきものが女湯に入ろうとしているらしい場面の上から大きくバッテンがつけられている紙芝居だ。


「なんで?」

「マナー違反だからです」

「のぞくだけは?」「ついうっかりは?」「ちょっとだけなら?」

「漏れなく、死刑です」


 番頭がこめかみのに血管を浮かせ、握り拳をごりごり鳴らしながら、この世のものとも思えぬ極上の笑みでそう告げた。


 ショックを受けたハーフリング一同はその場に膝を突き、この世の終わりと言った顔で打ちひしがれる。


「そんなばかな」「ひどい」「しんじられない」「なんのためのせんとうか」「つらい」「しんどい」「いきてはいけない」「しにたくなった」「いっそころせ」「いずれにしろしぬ」

「ええその通り。常識のない方々は、皆、死んで下さい。それでも入浴されたい方々にはこれよりマナー講座を始めます」

「「「ぶーぶー!!」」」


 そして予想通りハーフリングたちからブーイングが起きるのだった。


「はあ……一体何に不満が……紙芝居まで作ったのに……」


 番頭は愕然としていた。

 恐らく彼女のなかでは、ハーフリングたちは意欲的にマナー講座に参加して、計画通りにことが進んでいるはずだったのだろう。


 だがあれはダメこれはダメと注意を続けても、彼らには効果がない。

 そうでなければ十年前に祖父は彼らを『出禁』になどしなかっただろう。


「仕方がないねえ」


 助け船を出す頃だろう、と若旦那は判断した。


「番頭さん、相手に言う事を聞かすには鞭だけでなく飴も必要だよ」

「飴……ですか?」


 若旦那は、とぼとぼと暖簾に向かって引き返そうとしているハーフリングたちに向かって声を張り上げた。


「えー。今回のマナー講座に参加されますと、何と先着十名様に素敵な御褒美が贈られます」

「「「……なぬ!」」」


 ハーフリングたちが足とぴたりと止め、そして次の瞬間一斉に食いついてくる。


「まじか」「ごほうび?」「なんだろう?」「きょうみある」「たべもの?」「おもちゃ?」「おかね?」「なにかな?」「これはほしい」「ぜひてにいれたい」


 手応えがあった。

 これならいけると確信した若旦那は、更に駄目押しでとっておきのもう一言を投げつける。


「しかもマナーを守り、お行儀よく入浴された良い子の皆様には、超希少なお宝をプレゼントしちゃいまーす」

「「「お・た・か・ら!!」」」


 彼らの目が一斉に輝いた。

 ハーフリングは音楽と旅をこよなく愛するが、それ以上に贈り物を好むのだ。

 だから彼らを説得するにはこうやってもので釣るのが一番なのである。


「おぎょうぎはいいほうです」「ちかいます」「まなーをまもるます」「おんなゆとか、きょうみありません」「のぞきとか、はんざいだから」「まなーだいじ」「ないふはみぎて」「ふぉーくはひだりて」「おとしよりに、せきをゆずる」「わかものにもゆずる」


「そのような約束をしても宜しいのですか?」

「大したこたあねえ。ほら皆さんやる気みたいだ、番頭さんは自分の仕事をちゃっちゃとやって」

「わかりました。では皆様、マナー講座を始めたいと思います」

「「「いえーい」」」


 こうしてハーフリングたちの、マナー講座が始まったのであった。



 さて銭湯におけるマナーとは一体、如何なるものだろう。

 古くは鎌倉時代より存在するその歴史において、培われてきた文化は濃く深く、そこでのみ発生する風習や習慣は数多い。


 だが要は公衆浴場。

 こと松の湯において、客の半数は異世界人であり、現代の知識を持たない連中だ。

 故に難しく考えずにただ他の客に迷惑をかけないという当然のルールさえ守れば良い、というのが先代からの教えだった。

 即ち――。


「服は脱ぎ散らかしてはいけません!」

「ぐしゃぐしゃでは駄目ですよ? 綺麗に畳んでロッカーにしまって下さい!」

「脱衣所では走らないで下さい!」

「体重計の上では跳ねないで下さい!」

「扇風機に指を入れると怪我しますよ!」

「裸で表に出ないで下さい!」


 番頭は保育園の先生さながら、脱衣所のあちこちで好き勝手走り回るハーフリングを注意し、世話を焼き、マナーの何たるかを説いて回っていた。


「備え付けのドライヤーは盗まないで下さい!」

「他人のロッカーを開錠ピッキングしないで下さい!」

「未使用のロッカーを施錠するのも禁止です!」

「かえるは持ち込み禁止です。直ちにロッカーにしまって下さい!」


 注意している内容の殆どがマナー以前の問題だったりもするが、こちらの世界にとっては常識でも、異世界にとって常識ではないことは数多い。

 何より子供のような彼らなので一から教えていく必要があるだろう。


 無論、マナー講座は浴室に移動してからも続いた。

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