ハーフリングの湯 (後)
「湯船に入る前に掛け湯をしましょう!」
「浴室では走らないで下さい!」
「桶で塔を作らないで下さい!」
「石鹸でキャッチボールはしないで下さい!」
「石鹸でスケートごっこをしないで下さい!」
「彫刻を彫るのも止めて下さい!」
「食べ物でもありません!」
「シャンプーは飲まないで下さい!」
「口を濯ぐのも禁止です!」
「かえるはしまえと言ったはずです!」
後ろで見ていて下さい、と言われていたので若旦那は手出しせずにいたが、かなりの激務であるようだ。
「ふ……なかなか教育しがいのある方々のようです」
番頭が額の汗を拭い、笑みを浮かべる。ここからが本番ですと言って、ハーフリングたちを浴槽へと連れ立った。
ややよろめいているように見えるのは気のせいに違いない。
「浴槽には泡は落としてから入りましょう!」
「湯に手拭いを浸すのはマナー違反です!」
「そこ飛び込まないで下さい!」
「泳がないで下さい!」
「お年寄りによじ登らないで下さい!」
「皺をひっぱって遊ばないで下さい!」
「飲酒は言語道断です!」
「お爺ちゃんもお酌されないで!」
「大声で歌わないで下さい!」
「か・え・る!」
どれだけ注意を受けてもハーフリングたちの暴走は止まることを知らず、寧ろ番頭に構われたいが為にやっているとしか思えないほど溌剌としていた。
屈強な戦士や、老練の魔術師ですら赤子同様に扱う彼女が、ここまで手こずるのを初めて目にした気がする。
ハーフリング恐るべし、と若旦那は思った。
「番頭さん、大丈夫かい?」
「……問題……ありません……」
番頭が肩で息をしている。
無尽蔵な体力を誇る彼女だが、やつれているように見えるのは精神的な疲れに依るものだろう。
入浴マナー原理主義者である彼女にとって、あまりにもそれを逸脱する行為をされることでストレスが嵩んだのだ。
「だが困ったねえ旦那方、ちーとも話を聞きやがらねえ」
「いえ意外とそうでもありません。ほら」
「ん? ……おやまあ」
番頭の努力の効果がようやく現れ始めていたハーフリングたちはいつのまにか大人しく湯船につかる素振りを見せている。単に遊び疲れたともいうが。
「やあハーフリングの旦那方、お湯加減は如何ですかい?」
「ここちいい」「たびのつかれ、いやされます」「このところはーどだった」「けんえきのせいな」「あれほんとこまる」「どこいっても、あしどめくらうし」「みんな、びょうきになるし」「なかまはしぬし」「うったえてやる」「だれを?」
彼らはお互いに大変だったと、頷き合っている。
どうやら脳天気に見える彼らの旅生活も御機嫌な生活ばかりを送っているわけではないようだ。
だが松の湯は十分に満足のいく休息となったらしい。
彼らは湯船のなかで心地よさそうに瞼を閉じ、湯加減を味わっていた。
「せんとうこれてよかった」「ねー」「まじいやされる」「まじたすかる」「いろいろはかどる」「おねえさんやさしいし」「かわいいし」「おもろいし」「まなあこうざ、わるくなかった」「べんきょうになった」「かしこくなった」
「「「ハアア、ゴクラクゴクラク」」」
番頭さんの口元をよく見ると、僅かにほころばせていた。
◆
「さあ皆さん、ばっちり入浴マナーを学べたでしょうか?」
「「「はーい!」」」
「ではおさらいしましょう。シャンプーは?」
「「「飲まない!」」」
「お年寄りには?」
「「「登らない!」」」
「かえるは?」
「「「持ち込まない!」」」
番頭さんはすっかり引率の先生が板についていた。
ハーフリングたちも大分、彼女に懐いたようで、言うことを結構きちんと聞いている。
これならば以前のように迷惑をかけたりすることは減るだろうし、『出禁』にすることもなくなるはず。
どうやら入浴マナー講座は概ね成功したようである。
「ならばあれの出番だね」
若旦那は約束の『御褒美』を振る舞うべく、浴室に行き水風呂に入れていた籠を引き上げ、彼らのいる脱衣所へと運んだ。
「さあ旦那方、お一人様、一本ずつだよ。もってけ泥棒」
「「「わー」」」
御褒美はよく冷えた瓶ラムネだった。
近所の量販店で安売りしていたのを個人的な趣味で仕入れてきたものだったが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
「よーし旦那方、最後にとっておきの銭湯マナーを御紹介しやしょう」
銭湯のマナーを学ぶのであれば他はともかくこれを外す手はあるまい。
若旦那はラムネ瓶を手に取ると、彼らの前で肩幅程度に足を開いてみせる。
「入浴後の飲み物は、こう腰に手を当て……こうだ!」
「「「おー‼︎」」」
ラムネ瓶をぐいっと煽って見せると、ハーフリングたちも各々真似をして腰に手を当てながら飲み始めた。
「んっぐ、んっぐ、んっぐ」「ぷはーっ」「くーっ」「ふろあがりにこのいっぱい」「たまりませんなあ」「このしゅわしゅわがすき」「……ひっく」「まなーって、おいしい」「まなー、さいこう」「まなーに、かんぱーい」
御褒美はハーフリングたちに好評頂いたようだ。
他の客にも試飲して貰ってもし人気が出れば夏の名物にでもしてみようか等と考えながら、若旦那は残りの一瓶を差し出した。
「番頭さんもお疲れさん」
「……」
番頭は受け取ると、腰に手を当て、白く細い喉を鳴らしながらくいっと一気に煽った。
喉が渇いてたようだ。
「……ふう」
「意外に良い飲みっぷりだねえ」
「ところで若旦那」
「何だい?」
「先程仰っていた『お宝』とは?」
「ああ、それなら既に渡してあるよ。御覧、ほらラムネ瓶のなか」
「これは……!」
番頭が驚いた顔をして、ラムネ瓶を覗き込んでいる。
その硝子瓶の、くびれのように狭まった上部分の構造ーー飲み口とくびれの間には透明の球が封入されていた。
いわゆるビー玉とかエー玉と呼ばれる硝子玉である。
それは研磨技術がそこまで発展していない異世界において、魔術造形された宝石ほどではないにしろ十分に希少なお宝である。
「ぐぎぎぎ」「ぐぬぬぬ」「うーっ」「なんでだよう」「ぜんぜんとれない」「ふってもとれない」「ちえのわ?」「きのえだを、つっこもう」「ばくちくつかう?」「ゆび、ぬけなくなった」
見ればハーフリングたちがお宝の回収に四苦八苦しているようだ。
飲み口のキャップを回せば取れるのだが、彼らはまだ構造に気づいていないのだ。
若旦那は苦笑しながら、彼らの為にもう一講座行う事にしたが、袖を掴まれ引き留められた。
「あの若旦那。今日はその……」
番頭が珍しくもじもじしている。
どうしたのだろうと思っていると「助けて頂きありがとうございました」と耳打ちしてきた。
「こちらこそ。番頭さんのおかげで新しい常連ができたみてえだ」
「はい」
番頭が目を細め、微笑んでくる。
若旦那にとって、それこそ何よりの御褒美だった。
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