ハーフリングの湯 (前)

(御入浴における注意事項)


・魔術師、エルフ、ドワーフなど様々なお客様が来店します。

文化や生活習慣の違いによるトラブルがあるかもしれません。

・入浴マナーは守りましょう。番頭さんを怒らせると大変なことになります。

・当銭湯では、かえるの持ち込みを固く禁じております。



「ハーフリングがやってくるかもしれねえ」


 若旦那が思い切って番頭に相談したのは、その日の昼。

 炊き付けが終わり、そろそろ開店準備をしようかという時だ。


「何か問題があるのですか?」


 番頭が手拭いを折りたたみながら、尋ねてくる。


 ハーフリングとは異世界の住人で、人間子供程度の背丈しかない種族だ。

 音楽と旅をこよなく愛する、陽気で気のいい連中である。

 村に住む者もいたが、多くのものは村から村、都市から都市へと渡り歩き、根無し草の生活だ。


「番頭さん、そいつが大いにあるんだ」


 こと銭湯の客としての彼らは非常に迷惑な存在トラブルメーカーなのだ。


「キレたじいさんが、連中を『出禁』にしたのが十年前だ」

「彼らはどんなマナー違反を?」

「色々あるけど覘きと無銭飲食だな」


 番頭が手拭いを畳んでいた手を止め、顔を上げた。

 何か言うのかと思いきや無言だった。

 代わりににっこりと微笑んでいる。

 普段表情のない分、余計に恐ろしい。


「番頭さん、平静に、平静に、な?」


 若旦那は背筋が寒くなるのを感じた。


 彼女は非常に仕事熱心であるのだが、入浴マナーに関してはうるさいところがあり、迷惑な客には実力行使に出る事もしばしばだ。


 若旦那は心のなかでは彼女を、入浴マナー原理主義者と呼んでいた。

 勿論、内緒の話だ。


「『出禁』にしたのであればもう店の敷居をまたげないのでは?」

「有効期限が十年なんだよ」

「成る程」


 この情報は昨日、先代である祖父から告げられたものだ。

 彼は隠居後、温泉巡りの旅にいそしんでおり、ふらりと戻ってきては土産代わりに厄介事を持ち込んでくるのである。


「そういうわけで連中が使いそうな魔法陣ポータル封鎖してくるから留守、宜しく」


 若旦那が番頭台から降りようとすると、番頭が袖を掴んで引き留めてくる。


「若旦那」

「ん、どうしたい?」

「もし御来店なさるのであれば歓迎すべきかと存じます」


 意外な発言だ。


「だがよ番頭さん。前科のあるお客さんだぜ? 何かと面倒が起きるんじゃねえの……かな」

「勿論、承知しています」


 若旦那は首をひねる。

 彼女の考えが分からない。

 どういうつもりで異世界の問題児たちを持て成そうと言うのだろう。


「ここでのモットーは『来るもの拒まず』です。異世界人であれ、誰であれ入浴できるというその思想はとても尊いです」

「……」

「何よりここの湯を二度と味わえないのはあまりにも不憫」


『来るもの拒まず』には、深い考えがあるわけではない。

 あまりにも店の閑古鳥が鳴いていた時期、異世界人相手に商売を始めた際、先代が口にした方便だ。


 ただそれでも番頭がここを価値のある場所だと評価してくれるのは嬉しいことだった。


「そこまで言うのなら何か考えがあるんでしょうね?」

「勿論、策はあります」


 番頭は力強く頷く。


「やれやれ番頭さんがそう言うんじゃしようがねえ」


 ならばもう何も言うまい。

 若旦那は、自信ありげに頷いた番頭に託すことにした。



 果たしてその日の午後に、ハーフリングたちはやってきた。

 先祖代々伝わる『異世界の暖簾』をくぐってわらわらと玄関に集まりだした子供と同じ身の丈の、子供よりも性質の悪い連中。

 それが全員で十名ほどだった。


「こんちゃー」「たのもー」「ここどこ?」「しっちるきがする」「おふろやさん?」「なつかしい」「なにするとこ?」「なんだっけ?」「とりあえずあそぼう」「おにごっこしちゃう?」


 児童のような形をした彼らは、その行動も児童のごとくあれというように、手近にあった壷をいじったり、番頭台によじ登ろうとしたり、鬼ごっこを始めたりしている。


 その統率感の無さというかカオスっぷりを目の当たりにした、番頭の口元が引き攣っていた。

 だが持ち前のプロ根性で、すぐに持ち直したようだ。


「い、いらっしゃいませ。松の湯にようこそ」

「おねえさんだれ?」「おじいちゃんは?」「おじいちゃんどこ」「ごりんじゅう?」「おねえさんがおじいちゃん?」「おじいちゃんはおねえさん?」


 番頭台に一斉に群がってくるハーフリングたち。

 彼らは以前にここを利用したことがある者たちで、どうやら祖父のことを覚えているようだ。


「先代は引退されました。皆様は御利用でよろしかったですか?」

「そーおふろはいるの」「ごりようするの」「するします」「はーふりんぐです」「じゅうめいさまです」


 ハーフリングたちは次々にチョッキのポケットからせっせと何かをかき集めると、番頭台によじ登り置いていく。

 小銭のようだが、団栗やら干からびた蜥蜴やら、珍しい形の小石やらに混じっている。

 ひとつひとつ数えてみると、丁度、人数分の入館料だった。


「では皆様。御案内――」

「ごあんない」「どうぞどうぞ」「どうもどうも」「わーい」「たのしみ」

「させて頂く前に、マナー講座を実施させて頂きたいと思います」

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