第8話 赤ちゃん

○十日後 午後 大黒屋 店の中

  

  慌ただしく走り回る丁稚達。手代頭の菊次郎が常連の初老女性の話し相手になっている。哲治郎が店に出ると、常連の女性客が菊次郎を押しのけて、哲治郎を呼び止める。


女性客「ちょいと、テツジのダンナ。あたしの着物、見立てておくれよ」

哲治郎「そうして差し上げたいのは山々ですが、私の見立ては今ひとつと評判で」

女性客「お前さん、同心の頃から、顔はよくても着物はヒドかったからねえ。よく、呉服屋に婿入りしたもんだね」

哲治郎「面目ない」

龍之介「女将さん、代わりに俺がお見立てしましょうか。女将さん好みの反物、お取

り置きしてますねんで。見てってんか」


  龍之介が、女性客にお茶とせんべいを差し出す。

  程なく、りさが外からのれんをくぐって店の中に入ってくる。


りさ「テツジさん! テツジさん、聞いて! あのね、あのね!」

哲治郎「りさ! お客様の前だぞ、落ち着け!」


  りさ、哲治郎を引っ張って、店の奥に急ぐ。

  顔を見合わせる女性客と龍之介。


女性客「……龍ちゃん。こっそり聞いて、報告しな」

龍之介「へ、へい!」

 

  店の奥に急ぐ龍之介。


× × ×


○店の奥

  

  抱きしめあうりさと哲治郎。


哲治郎「本当か!? 本当に、赤子が出来たのか!?」

りさ「うん」

哲治郎「いつ頃、生まれるって?」

りさ「えーと。紅葉のころ」

龍之介(声)「赤ん坊やと!?」


  龍之介を振り返るりさと哲治郎。

  呆然と、その場に立ち尽くす龍之介。


龍之介「赤ん坊て……」

りさ「龍ちゃん、聞いてたの? おとっちゃんには、まだナイショにしててね。あ、あの女将さんにも内緒だよ。あの女将さんもおとっちゃんも、口が軽いんだもん」

哲治郎「客はともかく、父上にまで内緒には出来ねえだろう」

りさ「いいのいいの。いまは、赤ちゃんはまだ、あたしのお腹の中が自分のおうちだって分かってなくて、何かの間違いでお空に帰っちゃうこともあるんだって。犬帯を巻く頃になって、ようやくあたしのお腹が自分のおうちだって分かって落ち着くそうよ。だから、おとっちゃんにはその頃に言おうよ」

哲治郎「そういうもんか。(りさの前にしゃがみ込む)おい、ちび、俺がお前の父上だぞ」


  微笑みあうりさと哲治郎。

  その様子を眺め、静かに踵を返して走り去る龍之介。

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