第14話 猫少女ニャーニャ

 猫が暴れてる。

 僕は薄目を開けて、部屋の明るさから時間を予想してみる。たぶん朝の七時とか、それぐらい。お腹を空かせてるのは判るけど、せっかくの土曜なんだから、ゆっくり寝かせてほしい。まあ別に、毎日ちゃんと登校してるわけじゃないけど。

 ソファの上で寝返りをうち、毛布を引き上げると、二匹の猫はその動きに反応して飛びついてくる。僕の上を遠慮なく踏んで歩き回り、あげくに鳴き声をあげて餌の催促。とうとう僕は根負けして起き上がり、キャットフードを手づかみで餌入れに投げ込み、自分が飲み残して気の抜けた炭酸水をボウルに注いだ。猫たちは押し合って食事を始め、僕はソファに戻って毛布をかぶる。

 これだから生き物は面倒くさくて嫌なのだ。なのに美蘭みらんの奴、いったんは返したサンドとウツボをまた預かってきて、強引に置き去りにしていった。もちろん僕だって抵抗したのだ。でも「儲け話なんだから、黙ってやりな」と言われたんじゃ仕方ない。僕も所詮は、金に弱い夜久野一族というわけ。

 それにしても最近、美蘭の話し方が玄蘭げんらんさんに似てきたような気がする。まあ、仕事の後を継ぐんだから当然かもしれないけど、この世にあんなのが二人もいるというのは嬉しくない話だ。でも、不思議なのは、長いこと玄蘭さんと平気な顔で暮らしている宗市そういちさん。ああいう、頭のてっぺんから足の先まで嫌味で固めたような人と一緒にいて、何が楽しいんだろう。

 僕の記憶にある限り、宗市さんが嫌味らしきものを口にした事はないし、不機嫌だったり意地悪だったりした事もなくて、いつも穏やかに接してくれる。小学校の頃、美蘭はそれを怪しんで、「宗市さんって、親が借金返せなくて、玄蘭さんに売られたんじゃないかな」と言っていた。

「だからさ、そのうち玄蘭さんの隙を狙って、花瓶かフライパンで殴り殺して逃げるよ。そしたら私たちも助かるんだけど」なんて話だったけれど、一向にその気配はなかった。すると美蘭は更に「あれ多分、ストックホルムシンドロームって奴だね。長いこと監禁されてると、人質は犯人に同情的になるんだってよ。逃げる気力、なくなっちゃうんだね」という分析をした。

 まあ僕らも今では、宗市さんは自分の意思で、玄蘭さんのところにいると理解しているけれど、やっぱり不思議ではあるのだ。あの人の、どこがいいわけ?って。そして、僕は自分自身について考える。もう十分美蘭にうんざりしてるのに、どうして出て行かないのか。

 言い訳に聞こえるかもしれないけど、僕はこれまで数えきれないほど、美蘭と縁を切ることを考えてきた。だいたい、うちの一族はお互いのことを嫌ってるし、滅多に顔を合わせることもないから、誰と誰がどういう関係なのか、さっぱり判らない。全体をちゃんと把握してるのは玄蘭さんぐらいで、それも「仕事」なので仕方なく、ってとこだろう。

 だから別に僕だって、美蘭と離れて暮らせばいいのだ。不動産の事故物件なんて山ほどあるし、お金の心配もない。なのに、最後の最後になると、やっぱりあの時の…


「邪魔!」

 いきなり誰かがすごい勢いで毛布を引っ張って、僕は床に転がり落ちた。見上げると、美蘭が小脇にサビ猫ウツボを抱え、仁王立ちで睨んでいる。何だか涼しいと思ったら、ベランダの窓が開け放たれていて、快晴の空が見えた。

「何だよいきなり、邪魔なのはそっちだろ」と言いながら起き上がると、ちょうど入ってきた桜丸さくらまると目があった。彼は大きなスーツケースを二つも運んでいる。

「おはよう、亜蘭。やっぱり寝てたよね。起こしてごめん」

「あの…何してるの?」

 僕の質問に答えようとする桜丸に、美蘭は「ほら、まずは馬鹿の巣を片づけて」と命令する。彼は申し訳なさそうな顔で、「今日は美蘭に雇われてるんだ」と笑ってみせた。そして彼女に言われるがままに、彼は僕が寝ていたソファやなんかを部屋の隅に寄せ、スーツケースから取り出した、淡いピンクの布地をテープで壁に貼ってゆく。日当いくらか知らないけど、そんなに頑張らなくていいのにと思いながら、僕は桜丸の働きぶりを眺めていた。

 普通ならここらで、「あんたもちょっと働けば?」と嫌味の一つでも言われるんだけど、美蘭も何やら忙しそうにスーツケースの中身を点検している。このまま見ていたって仕方ないし、外に何か食べに行こうかと思っていると、こんどはインターホンが鳴って、莉夢りむを連れた風香ふうかが現れた。

「美蘭、桜丸、おはよう!」

 莉夢は彼らにまた会えたのが心底嬉しいみたいで、飛び跳ねるようにして二人に挨拶した。それからソファの上に避難しているサンドとウツボをなでて「おはよう」と声をかけ、その後でようやく僕に気づくと、ワントーン低い声で「おはよう」と言った。まあよくあるパターンなので、僕は何とも思わない。要するに自分の影が薄いって事で、向こうに悪気があるわけじゃないから。

 それは風香も同じ事で、僕に向かって申し訳程度に「おはよ」と声をかけた後は、ずっと美蘭たちのそばにいて、「ねえ、一体何やるの?」なんてきいている。 美蘭は返事の代わりに、スーツケースから一抱えもある衣装らしきものを取り出すと、「莉夢、あっちの部屋で着替えよう」と、リビングを出ていった。


 しばらくして戻った莉夢は、黒い膝上丈のワンピースに黒いタイツ、そして黒いブーツという格好をしていた。ワンピースの襟元と袖口、そしてフレアになった裾にはフェイクファーがあしらわれていて、胸元に赤いリボンが結ばれている。そしてお尻のあたりには黒いフェイクファーで作られた、長い尻尾が揺れていた。

「うわ!どうしたの?すごい衣装!」と風香が声をあげると、美蘭は「ハロウィンの仮装用を、ちょっとバージョンアップ」と説明した。莉夢は頬を紅潮させ、眼を輝かせている。

「さて、後はメイクだね」と、美蘭はスーツケースから化粧道具を取り出した。莉夢は大急ぎで彼女のそばに駆け寄り、「お化粧していいの?」と尋ねている。

「うん、変身するからね」と言いながら、美蘭は床にぺたりと座った莉夢の顎を指先で軽く持ち上げた。

 眉を鋏で整え、ファンデーションを塗ってから、タトゥーシールを組み合わせて、目元にアラベスクの模様を入れてゆく。まるでレースの仮面でもつけてるようになったところで、赤いシャドウを仕上げに加える。それから頬紅をのせ、ブラシで顔全体に光沢のある粉をはたく。それからリップグロスを塗って、完成らしい。

「いい?莉夢は今から違う女の子になるの。特別な力のある女の子に」

「どんな力?」

「猫を思い通りに操れる」

「名前は?」

「そうね、猫少女ニャーニャってとこかな」

 あまりに安直な名前に、僕は失笑しそうになったけれど、反撃が怖いので噛み潰しておく。小さい頃からずっと、美蘭の名づけのセンスは最低なのだ。三年生の時、宗市さんにもらったヒヨコのぬいぐるみは「鳥肌」って名前だったし。でも本人はいたって真剣らしくて、ハゲハゲになった今もまだ大事にしている。

「さ、これをつけたらニャーニャに変身完了」と、美蘭は少し赤みのある黒髪のウィッグをスーツケースから取り出した。髪型はストレートボブで、大きな三角の猫耳が生えている。風香は「うわあ、完璧」と驚きの声を上げたけれど、猫耳ウィッグをつけた莉夢は人間に化けた子猫のようで、濃いめに描いたアイラインが更にその印象を強めていた。桜丸も「可愛い黒猫だね。今日は猫が三匹だ」と笑っている。

 美蘭は更に先端にきらきらと輝く星のついた、天気予報の指示棒みたいなものを莉夢に手渡すと「はい、これが魔法の杖って奴ね。ニャーニャがこれを振れば、猫は何だって命令をきくから」と言った。

「本当?」

「本当よ。そのために今日はサンドとウツボもいるんだし」と、美蘭は部屋の隅に寄せたソファの上で、こちらの様子をうかがっている猫たちに視線を向けた。しかし、と僕は思う。猫は人の命令なんか絶対に聞かない。奴らは自分のしたい事しかしないのだ。もし命令通りに動く猫がいるとしたらそれは…

「さて、じゃあ撮影に入るか。桜丸、カメラとライトの準備できてる?風香はこっちで時間計って」

 美蘭はてきぱきと指示をしてから、ちらりと僕を見て「あんたは引っ込んでな」と言った。その時にはもう、僕は自分が嵌められた事を悟って、大人しく自分の部屋へ引き上げるしかなかった。


 ベッドに腰を下ろし、まずはウツボに意識を飛ばしてみる。もうカメラのテストも終わり、美蘭は莉夢の立ち位置をチェックしている。そして「最初は簡単に、輪くぐりからやってみようか」と、鮮やかな色のテープを巻いた輪っかを差し出す。

「はい、じゃあウツボを呼んでごらん」

 言われて莉夢は「ウツボ、おいで!」と「魔法の杖」で手招きする。僕は観念し、ウツボを促してソファから飛び降りると、猫少女ニャーニャのもとへ駆け寄った。

 そこから先はまあ一言で表すと難行苦行の連続だ。ウツボとサンドは交代で休めるけれど、僕はずっと出ずっぱりで、輪くぐりに始まって、投げられたボールを拾ってきたり、回ってみたり、莉夢の肩にのったり、トランプのカードをひいたり、サッカーしたり、およそ芸と名のつきそうな事は一通り全部こなした。

 おまけに撮影は一発でOKというわけでもなく、角度を変えたり、タイミングを変えたり、壊れた道具を修理したり、けっこう時間がかかるのだった。時々桜丸が水を飲ませてくれたけれど、飽きっぽい猫たちは段々と言う事をきかなくなるし、そこを無理して操るのだから本当に楽じゃない。最後に莉夢と縄跳びをする頃には、僕はへとへとに疲れ果てていた。

「まあ、こんなもんでいいか」という美蘭の一言を合図に、僕はサンドを解放してベッドに倒れ込んだ。


「亜蘭、具合でも悪いの?」

 心配そうな桜丸の声に、僕は目を開いた。何故だかリビングに置いてきたはずの毛布がかけられていて、部屋は真っ暗。

「ちょっと昼寝してただけだよ」と、起き上がると、桜丸は「さっきもそう言ってたけど、長すぎるんじゃない?」と言いながら、明かりをつけた。

「さっき?」

「そう。みんなで晩ごはん行くからって誘いに来たら、昼寝するからいいって断ったじゃないか」

「ふうん。憶えてない」

 だからって別に驚きもしない。僕は寝ぼけていると、意識がなくても会話ぐらいできるのだ。桜丸もそれを知ってるので、仕方ないな、という感じで笑うと「君のごはん、あるよ」と言った。

 促されてリビングに行くと、ソファやなんかは元の位置に戻されていて、猫たちは一足先に食事を始めていた。コーヒーテーブルには白い袋が二つ置いてある。

「美蘭のおごりで、みんなで近くの中華料理食べに行ったんだ。あそこ、すごくおいしいね。風香と莉夢はもう帰って、美蘭も…ホテルに戻ったけど、僕は猫の餌お願いって言われたから、帰ってきた。あと、君にこれ、渡しておいてってさ。本当はこれが一番大事な任務だ」

 そう言いながら、桜丸は袋の中身をテーブルに並べてゆく。ローストダックにセロリと烏賊の炒め物に揚げ春巻きに白いご飯。卵ととうもろこしのスープもあって、まだ十分に暖かかった。

「残り物じゃないから安心して。美蘭がちゃんと注文しておいたんだよ。きみが寝てるの、心配してたんだね。照れ屋だから口に出さないだけ」

 桜丸は手放しで美蘭のことを誉めるけど、僕はそこまで単純じゃない。あれだけこき使われて、ギャラがこの程度じゃ全然割に合わないし。まあそれでも空腹なのは確かで、一気に平らげてひと息ついていると、桜丸はキッチンでコーヒーを淹れてきた。トレイには最近コンビニで品切れ続出という、プレミアムチョコプリンものっている。

「はい、こっちは僕からおみやげ。美蘭が日当を現金払いしてくれたから」

「ありがとう」と、僕は遠慮なくサファイヤブルーの高級ぶったカップを開けて、スプーンを突っ込んだ。なるほどチョコの味が濃くて、甘いだけじゃなくてちゃんと苦さもある。でもやっぱり桜丸のお母さんが飲ませてくれた、ホットチョコレートの方がおいしいかな、なんて偉そうなことを考えるうちに、カップは空になってしまった。

「亜蘭、もしかして朝から何も食べてない?」

 そう尋ねる桜丸は、まだ半分ぐらいしかチョコプリンを食べていない。僕は自分の記憶を呼び戻し、「そんな気がする」と答えておいた。あんまり長いこと猫とつながっていると、記憶がごちゃまぜになって、朝ごはんがキャットフードだったように思える時があるのだ。

「いつもそんな感じ?ちゃんと食べなきゃ。それにまだソファで寝てるだろ?毛布置いてたから判ったよ。ずっと美蘭のこと待ってるんだろうけど、ベッドで寝ないと身体によくないよ」

「美蘭なんて待ってないよ。部屋に戻るのが面倒だからだ」

「まあ理由は何でもいいけどさ」と軽く肩をすくめて、桜丸はチョコプリンを食べ終え、コーヒーを飲んだ。気がつくと、食事をすませた猫達が彼の膝を独占しようと無言の争いをしている。彼はサンドより小柄なウツボを抱き上げると、「はい、亜蘭の担当」と差し出した。本音を言えば今日はもう猫なんか見たくもないんだけど、仕方ないから受け取っておく。

「それにしてもさ、この猫たち本当にすごかったんだよ。何を命令されてもちゃんときくんだ。縄跳びとか、撃たれて死んだふりとか。美蘭にきいても企業秘密って教えてくれないけど、どんな訓練したんだろう」

「さあね。でもそんなの撮影してどうするつもりかな」

「なんかさ、動画サイトにアップして広告収入がどうのこうのって。これから大急ぎで編集するらしいよ」

 なるほど、それで儲け話ってわけか。まあ動物の出てくる動画は人気があるし、ルネさんって女が流してた莉夢の動画も、見てた奴はかなりいるみたいだし、使わない手はないと美蘭も思ったんだろう。

「さて、僕はそろそろ行かなきゃ」

 桜丸は腕時計を見ると、テーブルの上を片付け始めた。

「今から青龍軒?」

「いや、人探し」と答えてから、彼はちょっと考えるような顔つきになって、「つきあってもらっていい?」と言った。僕はどうせ暇だし、昼寝も食事も十分にすませている。

「いいけど、誰を探すの?」という僕の問いに、彼は「お父様」と答えて、膝からサンドを下ろした。


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