第9話 ガールズトーク

 美蘭みらんがうちに来た。

 俺がママと晩ごはん食べてる最中にいきなり電話してきて、「しばらく泊めてくれない?」なんて普通の調子で言う。もちろん大歓迎だし、運よくパパは出張中だけど、さすがに連泊となるとママにどう説明すればいいんだろう。でも美蘭はぬかりなく、「うちのお風呂が故障して、特注品でイタリアから部品取り寄せだから、修理に十日ほどかかるって話にしといて。まあそんなに長居はしないつもりだけどさ」と、口実も用意してくれた。

亜蘭あらんと喧嘩でもした?」と聞いてみると、「あいつとは三六五日戦闘状態よ」という答えだった。

 そして彼女は九時を少し回った頃、制服姿で現れた。着替えや何かを買ったのか、大きなショッピングバッグを肩にかけて。夕食は済ませたらしいけど、ママは前に美蘭が来た時のガールズトークがよっぽど楽しかったらしくて、お茶や焼き菓子を用意して、今や遅しと待ち構えていた。

「もう、一週間でも十日でも泊まっていってね。ほら、風香ふうかって何きいてもそっけないし、パパも似たような性格でしょ?いつも話し相手がいなくって寂しい思いしてるのよね」

 まるで飼い主を出迎える犬みたいにまとわりついてるんだけど、美蘭は愛想よく笑顔を浮かべて、「うちの弟なんか、そっけないどころかほとんど口をきかなくて、本当に退屈。だからやっぱり、友香ともかさんみたいなママのいるお家がいいな。それで、二人で洋服取り替えっこしたり、スイーツの食べ歩きしたり」なんて言ってる。

 俺が彼女をすごいと思うのは、こういう時だ。一瞬で相手の好きそうなキャラに化けて、適当に話を盛り上げるんだから。

「そうよね、女同士だったらやっぱりそういう事したいわよね。風香ったら、いくら誘っても、ママの友達と行けば?なんて、つれないの。でも美蘭ちゃんとお洋服の替えっこはちょっと無理ね、あなたスレンダーすぎるもの」

 ママは自虐的に、二の腕の振袖をつまんでみせた。たしかにママはかなり太目なんだけど、別に見苦しいってほどじゃなくて、賑やかなキャラによく合った体型だと思う。美蘭は「私、もしかしたら、お腹に寄生虫がいるかもしれない。だからいくら食べても太らないのかも」なんて言ってて、ママは「だったら何匹か分けてもらわなきゃ」と大笑いしている。

 二人のやりとりに時々口をはさみながら、俺はふだん、自分がどれだけママをがっかりさせているかを考えていた。友達の噂だとか学校であった事だとか、とりとめのない話を次から次へと続けるという、女の子に当然のように備わった才能が俺にはない。

 何か愚痴っぽいことを相談されれば、「じゃあこうすれば」なんて、解決策を提案してしまうんだけど、ママはただ話を聞いてほしいだけだったりする。俺からすれば、そんなのまるで意味ないし、結局のところママとの会話なんて、ママの独り言と変わらないと思ってしまう。

「そうだ、明日ね、着つけのお稽古の帰りにアフタヌーンティーの約束してるんだけど、よかったら美蘭ちゃんも来ない?いつも娘さんと一緒の人もいるし、おばさんばっかりってわけじゃないから、安心して」

 もちろん美蘭は「じゃあ、参加しちゃっていいですか?」なんて調子を合わせている。俺も何度かその手の集まりに誘われた事はあるけど、無理な雰囲気に決まってるので、断り続けているのだ。これもママを失望させてるに違いない。

 

 ママの弾丸トークは郡山のおばさんからの電話で中断し、俺たちはようやく解放されて部屋に引き上げた。本音を言えば、今夜は美蘭と一緒にお風呂に入りたいところだけれど、ママがいるので自粛だ。俺はたいがいシャワーで、しかもすごく早いから先に入って、普段は長風呂派だという美蘭も今夜はシャワーで済ませてしまった。

「ちょっと保守的な感じでいこうと思って、こういうの選んだの。ワゴンセールだけどね」と、湯上りの美蘭は買ったばかりのパジャマを着ていた。ミントグリーンに白い水玉という、らしくもない色と柄。

「ほんと、堅気の女子高生みたいだな」

「友香さんに気に入っていただきたくてね」

「ママの趣味に合わせるんだったら、ピンクのひらひらしたのとか、リボンのついてる奴にしなきゃ」

「そんなパジャマ着て寝たら、うなされる」と言いながら、美蘭は俺のベッドの隣に敷いた、客用の布団に足を投げ出した。俺もママの趣味は理解できないけど、沙耶さやにはそういうの、似合いそうに思う。でも、大事なのはその中。理想を言うなら、脱がせるためだけに存在するような下着、なんてのが望ましい。

 で、今夜の美蘭はどんな感じだろう。俺はベッドから腕を伸ばして、彼女の上着の裾をつまんでみた。途端に美蘭は身体を遠ざけ「今回はそういう事、しないつもり」と言った。

「つもり、って事は、気が変わる可能性もある?」

「多分、ないわ」

 いきなり泊めてくれって現れておいて、それはない。少なくとも、俺はかなり期待していたのに。でも美蘭の性格を考えると、しつこいのは逆効果なので「そっか、残念」とだけ言って、俺は天井の明かりを消した。暗くなれば彼女の気分も変わるかもしれないから。

 枕元に置いたスタンドの柔らかい明かりだけが美蘭の横顔を照らしていて、少しゆったりとしたパジャマの襟元が、彼女の首の長さを強調している。ただ座っているだけなのに、肩から背中にかけての曲線や、足の崩し方がすごくさまになっている。

「美蘭ってさ、本当に綺麗だよな。お前が着るとワゴンセールのパジャマだってブランド品に見えるよ。亜蘭より、自分がモデルやればいいのに」

 口説いてるように聞こえるかもしれないけれど、これは俺の本心だ。美蘭は可愛いとかそういうレベルじゃなく、紛れもない美人で、顔だけじゃなく全身、美蘭という存在じたいがそう感じさせるのだ。でも彼女は俺の言葉に笑みひとつ浮かべず、顔を光のあたらない方へとそらせた。

「そういうこと、言わないでくれる?」

「本気でそう思うんだから、いいじゃん」

「言われると、苦しくなるのよ」

「なんで?」

「わかんない。とにかく、消えたくなる」

「それ、変だよ。綺麗って、誉めてるんだし」

「私だって変だと思うんだけど、実際そう感じるんだから仕方ないじゃない。頭が痛くなったりするんだもの」

 それだけ言うと、美蘭は布団にもぐりこんだ。彼女と一緒に寝るなら今しかない、そうは思ったんだけど、どうもうまく行きそうにない雰囲気。

「美蘭、なんか怒ってる?」

「ううん」

「そういえば昨日さ、あれからどこまでいった?江藤えとうさんと」

 彼女が泊まりに来ると言った時から、ずっと聞きたかった事を、ようやく口にしてみる。

「どこも行かないわよ。まっすぐ家に帰っただけ」

「じゃなくてさ、どこまで、だよ」

 美蘭の奴、わざとはぐらかしてる。

「あんたが想像してるような事、何もないわ。それよりさ、このごろ沙耶ちゃんと会ったりしてないの?」

 こうあからさまに話題を変えられては仕方ない。それに、俺は沙耶の事だと舞い上がるので、すんなり乗せられてしまった。

「向こうは本格的な受験生だからな。毎日ラインはするけど、実際会うのは週一も難しいし、しつこく会いたがって、変だと思われたくないし。写真とかいっぱい送ってほしいけど、そういうのも我慢してるよ」

「彼女、法学部希望だっけ」

「そう。沙耶に言わせると、あそこの生徒は受験サイボーグなんだってよ。人間らしい生活はお預けなんだ。うちみたいな推薦頼みの学校とはわけが違うから。でもさ、お前は大学どうすんだよ。推薦とろうにも、出席日数でアウトだろ」

「裏口入学するから大丈夫」

 冗談とは思うけど、美蘭が言うと何だか真実味がある。

「亜蘭は?」

「知らない。ねえ、沙耶ちゃんは都内の学校狙ってる?」

「ああ。もし地方に行くなら、追っかけるつもりだったけど」

「その方がいいのかもね。知らない土地で下宿生どうしだったら、距離も縮まるし、うまくすれば一緒に住めるかもしれないし」

「まあ、しょせん夢だな」

 正直なところ、俺は自分の将来についてかなり悲観的だ。男に戻るための手術費用は一体何年で貯まるのか?パパとママにはどう説明するのか?それまでどうやって沙耶をつなぎとめるか?彼女が大学で彼氏をつくったら?

「大丈夫、勇斗ゆうとはいい男だし、沙耶ちゃんも本当は判ってると思うよ」

「そうかな?」

「女って、男が思ってるよりずっと敏感だもの。知らないふりしてるだけよ、あんたのために」

「嬉しいこと言ってくれるじゃん」

 すっかり嬉しくなった俺は、勢いづいて美蘭の方に向き直った。それを察したのか、彼女は「ごめん、なんかすごく眠い」と言うなり、背を向けてしまった。


 美蘭は次の日もまた次の日も自分のマンションに戻らず、うちから学校に通った。亜蘭の奴が時々何か言いたそうに様子を伺ってたけど、たとえ廊下ですれ違っても、彼女は完全無視を決め込んでいた。

 この調子なら美蘭は週末もうちにいてくれるだろう。つまり、ママが法事で郡山に行ってる間も。ひい爺ちゃんの、そのまた兄さんの五十回忌、なんて言われてもピンと来ないけど、水瀬みなせ家としては重要なイベントらしい。パパが出張だからって欠席は許されないらしくて、しかも泊まりだから、ママは日に日に機嫌が悪くなってる。

 それとは反対に、俺の期待は高まる一方。二人きりなら、美蘭も気が変わって、俺のこと受け入れてくれるかもしれない。今度はどういう風に彼女を攻めようか、暇さえあればそんな事ばっかり考えてしまう。

「風香」

 教室を出ようとしたところで、誰かが俺を呼び止めた。秀矢ひでやだ。

「美蘭、どこ行った?」

 相変わらずガキっぽさの残る声。こいつは何だか線が細くて、下手するとまだ一年生ぐらいに見えるし、やる事全てがどこか子供めいている。

「さあ知らない。探してみれば?」

 本当の事を言えば、彼女は一足先に帰っていた。ママが法事に持っていく手土産を買うのにつきあってるのだ。パパは代役のギャラとしてバッグをプレゼントするらしくて、ついでにそれも選ぶらしい。

「でも美蘭って今、風香の家に泊まってるんだろ?」

「そうだけど」と、俺は思いきり「お前には関係ない」感をこめて答えた。

「亜蘭からの伝言、お願いしていいかな」

「何?直接言えばいいじゃない。電話でもラインでも」

「俺にそれ言われても困るよ。頼まれただけだし。あのさ、クリーニング代出すから、スカート貸してって。伝言はそれだけ」

「は?スカート?何それ」

「だからさ、亜蘭が何考えてんのか、俺にはわかんないし。ちゃんと伝えといてくれよ」

 一方的にそう言うと、秀矢は走って逃げた。あいつ、男子にはいつもじゃれついてるけど、女子、特にキレイ系の連中には距離をおいてる。美蘭なんかもう論外だけど、俺はその点、まだ声がかけやすいらしい。

 しかし、スカート貸せってのは一体何だ。まあ、美蘭と亜蘭はちょっと変わってるし、あいつらの間では判る話なんだろう。俺はそのまま学校を出ると、駅の近くにあるファストフードの店に入り、レモンソーダを注文して壁際の二人席に陣取ると、スマホを取り出した。この時間は学校の自習室にいる沙耶とラインのやりとりができる、貴重な機会なのだ。


 もし、沙耶と同じ学校、同じクラスで、毎日好きなだけ一緒にいられたら、俺の抱えてる不安や焦りはもう少し落ち着くんだろうか。いつも通り彼女の「さあ勉強だあ。またね」というメッセージを受け取ると、俺は魔法が解けたような気分で自分の周囲、現実の世界を見回す。

 半分ほど残っている、薄まったレモンソーダ。いつも流れてる、変わりばえしない音楽。向かい合ってうつむいたまま、スマホをいじってるカップル。わけもなく楽しそうな中学生たち。ネクタイを緩めたサラリーマンと、小さな子供を連れた母親。そして制服姿の女子高生である、俺。

 ななめ向かいの席にいる学生らしき男が、妙にちらちらとこっちを見てるのが鬱陶しい。この世界は俺にとって牢獄だ。自分自身でいることを禁じられ、中身とは違うラベルを貼られて、窮屈な独房に押し込められる。でも結局のところ、俺が一番苛立つのは自分自身に対してだった。本当の事を知られるのが怖くて、牢獄から逃げもせずにうずくまってるんだから。

 本気でやろうと思えば家だって出られるし、沙耶にだってちゃんと告白できるはずなのに、俺は怖気づいている。何もかも無理に違いないと、心のどこかで諦めているのだ。


「バッグ選ぶのにすごく迷っちゃってね。美蘭ちゃん勧め上手だから、本気で二つ買おうかと思ったのよ」

 ママはまだ興奮が醒めない様子でキッチンに立ち、デパ地下の惣菜を盛りつけている。美蘭もそれを手伝いながら「だって、ああいうのって、後でやっぱり欲しくなって見に行くと、絶対売れてるのよ」と笑った。

「そういうこと言われると、また欲しくなってくるじゃない!」

 俺はテーブルに頬杖をついて、二人の様子を見ていた。ママは日頃の欲求不満をすっかり解消できたみたいで、これなら機嫌よく法事に行ってくれそうだ。でも、美蘭はママのことどう思ってるんだろう。本気で楽しんであちこちつきあってくれてるのか、泊めてもらうための交換条件と割り切ってるのか。お金に不自由してないし、これまでも亜蘭と喧嘩したとかって、時々ホテルに泊まってたんだから、わざわざうちに来て窮屈な思いする必要もないのに。

「はい、風香お待たせ。すっかり遊び過ぎちゃったから、今晩はこれで許してね」

「別に気にしなくていいじゃん。私はデパ地下、好きだよ」

 俺も立ち上がって、料理やなんかを運ぶ。メインは煮込みハンバーグで、付け合せにベイクドポテト。それからブロッコリときのこの和風サラダに、ベトナム風生春巻き。俺の好きなちくわの礒辺揚げもある。いつも通り、和洋とりまぜて統一感のない食事だけど、このごった煮感がママの特色とも言える。

「友香さん明日早いんでしょ?後片付けは私たちがやるから、お風呂とか先にどうぞ」

 本当なら俺が言うべき台詞なんだけど、美蘭はさらりと口にすると、食事の後で流しに立った。ママは「サンキュー!郡山でおみやげ買ってくるから、楽しみにしててね」と美蘭をハグすると、鼻歌混じりでお風呂場に消えていった。

「おっかしいよねえ、自分ちじゃまともにこんな事しないのに」と言いながらも、美蘭は手馴れた感じでお皿やなんかを食洗機に放り込み、ダスターを濯いだ。俺はただ傍に立って、それはこっち、なんて置き場所を教えてるだけ。

「でも、ちょっとは料理するんだろ?」

「ちょっとは、ね」

「亜蘭に作ってやったり?」

「まさか」

 美蘭は冗談じゃない、という顔つきをすると水を止め、ダスターを固く絞ってハンガーに干した。

「そういえばさ、亜蘭からの伝言預かってるよ。秀矢が伝書鳩になってお前を探してたけど、もう帰った後だったから」

「いいよ、言わなくて。亜蘭の話なんか全然聞きたくないし」と遮って、美蘭は洗い桶の水を捨てた。

「でも一応、聞いちゃったんだから伝えとくよ。クリーニング代出すから、スカート貸して、だってさ。それだけ」

 その瞬間、美蘭はまるで一時停止のスイッチを押されたみたいに動かなくなった。それからすぐに「あの野郎」と唸って、すごい勢いでリビングに突進し、ソファに置いていた鞄からスマートフォンを取り出した。

「コウジさん?もしかして今日、亜蘭が来なかった?」

 誰に電話してるんだろう。図らずも俺は、彼女の言葉を盗み聞きしていた。

「もう切っちゃった?なんでそういう事するわけ?そりゃコウジさんには仕事だけどさ、一言私に相談してくれたっていいじゃない。そうだよ、すっごく困る。コウジさんが上手だから余計に困るのよ。もう、しょうがないけどさ」

 美蘭は一方的に早口でまくしたてると電話を切った。そしてキッチンを覗き、「ちょっと出かけてくる」と言った。

「出かけるって、どこ行くんだよ。もう八時半なのに」

 俺の質問には答えず、美蘭は「お母さまには内緒ね。戸締りして、勇斗の部屋の窓だけ開けといて」と言い残して出ていった。


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