第16話 一番大事が一番忘れがち

 16...




 扉を叩く音に目覚めて真っ先に感じた。

 身体バッキバキだ。

 オッサンと一緒に働いたせいもあるし……まあ。


「ん……」


 隣で寝ている千愛(ちあ)が、昨日はいつもと違っていたから……ついがんばり過ぎちゃった。


 まあ。ほら。

 ……すぐにちょっと後悔しましたよ。


 ノックしてたのはオッサンで、話を聞けば朝の準備があるらしい。

 女将さんが呼んでいるそうなので千愛を起こして、俺はオッサンと一緒に風呂場へ。

 またしても掃除。お湯を張るオッサンの足が足だ。張り切ってかなきゃならないんだが、正直……すごい眠い。


「ふ、あ――……」

「気合いが入らないなら、せめて顔を洗え」

「すみません」


 オッサンの申し出を断る理由もない。

 木製の桶に水を注いで、顔にかける。

 手を付けただけでわかるのは、普段とはまるで違う冷たさだ。

 山の上だからかな。

 一発で眠気が吹き飛ぶ洗顔でしたよ。


「起きたか」

「おかげさまで」


 朝着替えたばかりのTシャツで顔を拭い、デッキブラシに手を伸ばす。

 腰を入れないとちゃんと洗えないのに、正直痛い。


「ててて……」


 背筋を伸ばして腰を叩いていたら「ふ……」と妙に渋い感じでオッサンに笑われた。


「若いな」

「な、なんすか」

「羨ましいと思ってな」


 何が? なんて聞くまでもないよな。

 昨夜はお楽しみでしたね的なところだ。

 むしろオッサンからそういう話題を振られることが意外。


「オッサンだって、女将さんがいるじゃんか」

「……大人には色々あるんだ。さあ、手を動かせ」


 なんだよ、それ。

 呟いてみはしたものの返事はなし。

 やれやれ……。


 ◆


 食事を運んで、女将さんとオッサン、千愛と四人で昼前にたつお客さん達を見送る。時間にして十一時過ぎになった頃、最後に不倫カップルっぽい二人が腕を組んで出て行った。


「……ふう。なんとか乗り切ったね」

「ああ」


 肩を回す女将さんに頷くと、オッサンは俺たちに深々と頭を下げた。


「え――」

「二人のおかげで助かった。心よりお礼を言う。本当にありがとう」

「あたしからもお礼を言わせてくれ。無茶を言ったのに、よく付き合ってくれた。ありがとう」


 続いて女将さんまで。

 思わず千愛と顔を見合わせた。

 こんなの全然予想してなかった。


「い、いいって。そんな……そもそも、女将さんにのせられたのは、俺なわけで。だから自己責任っつうか」

「そうですよ。本当に嫌なら手伝ってないし、それに……楽しかった」


 よね? と千愛に目で訴えられて、素直に頷く。


「めちゃめちゃ疲れたけど、バイトとかしたことなかったから新鮮だったし」

「じゃあこれをあげないとね」


 女将さんが茶封筒を差し出してきた。俺と千愛に、それぞれ一つずつ。


「バイト代だ」

「ま、待ってください。私たち、そんなつもりじゃ! 泊めていただく代わりだったはずです」

「労働の対価は支払われるべきだ。いいからもらっとくれ」


 千愛の言葉なんて想定済みなんだろう。

 笑顔の強さに負けて、俺たちは大人しく封筒を受け取る。


「一日と半日、働いてくれた礼だ。しっかりくつろいでいきな」

「え、で、でも……お客さん来たら大変なんじゃ」

「今日はもう、予約客はないからな。ギプスも病院へ行って取ってもらう日だ。飛び込みでもこない限りはゆっくりできるから、気兼ねするな」


 思わず女将さんに突っ込んだ俺の肩を、でかくてごつい手で叩かれる。


「それじゃあ俺は留守にする」

「ああ。気をつけていってきな」


 杖を手にしてよたよたと出て行くオッサンを見かねて、俺は後を追いかけようとしたんだけど。


「おい坊主。見誤るんじゃないよ、彼女はいいのかい?」

「いやでも、放っておけないだろ」

「あの人は大丈夫さ」

「で、でも」

「近くの旅館で働く馴染みに車を出してもらうことになってる。あんたが首を突っ込むまでもないさ」

「そんな言い方っ」


 女将さんの言葉がちょっと冷たい気がして言い返そうとしたら、千愛が手を握ってきた。


「落ち着いて……追いかけたいなら行ってきて」


 柔らかく包み込むような熱、わかってくれてる笑顔。

 振り払うことなんて出来なかったし、俺にとって何が大事なのかを思い出してしまった。


「……わかった」

「ん」


 短く頷く千愛を見て一度、深呼吸。

 勝手に熱くなってた……かも。


「すみません、女将さん」

「いいよ。そんなにうちの亭主が気に入ったってんなら、帰ってきたあの人の掃除を手伝ってくれりゃいいさ。ただし、今度は何もあげないけどね? 完全ボランティアでよければだ」

「ちゃっかりしてますね」


 半目で睨んだら、女将さんは意地悪く唇の端をつり上げた。


「面の皮が厚くなきゃ二人でなんてやってられないよ」




 つづく。

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