第15話 知れば起きる些細で大きな変化

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 コウに抱き締められて……やってきた睡魔に身を委ねて、気がつくと真っ暗闇のただ中にいた。


『余命がどれほどあるか、わかりません』


 最初の医者はそう言った。


 泣きはらすお母さんの背中を撫でながら、お父さんが言う。


『きっと、きっとなんとかしてくれる。世界は広いんだ、天才だってきっといる』


 私の手術をしてくれた先生が私のカルテを見るなり言った。


『高くつきますが、治せます……ええ、私なら。ここに来るまでに病状が進行しているので、手を打つなら早いほうがいいですが、どうなさいますか?』


 先生が提示した金額は、私の進学とか家の改築とか、そういう未来のための貯金をすべて食いつぶすのに十分すぎる金額だった。

 だけど、お父さんとお母さんは迷わず頷いた。


 そばにいる私の顔は……ああ、覚えている。


 それだけの価値が自分にあるなんて、思っていない顔。

 ……死にたくない、けど死んでも何も変わらないどころか、負担をかけずに済む。

 それならいっそ、と……考えている顔。


 だから、


『ばかをいわないで』


 お母さんにビンタされて泣いている。

 お父さんと二人がかりで抱き締められて、ばかみたいに泣いている。


 そんな私は病衣に着替えて、手術台に寝そべっていた。


『誰にも言わないなんて……寂しがり屋だね』

『強いとか言われるのかと思った』

『違う。私の見立てだと、きみは自分の人生すべてを持て余したか弱い女の子だ。だから、立ち向かえるように助けてしんぜよう』


 意地の悪い言い方をして笑う先生に文句を言って……なぜか笑えた。


『旅行いっちゃうとかなんだよ、急に』


 入院を終えた私を出迎えてくれたのはコウだった。


『せっかく中学も卒業したんだし、遊ぼうぜ。なんでもやろう! 千愛(ちあ)のやりたいことぜんぶ!』


 何も言ってないはずなのに、一番言って欲しいことを言ってくれた。

 なんとなく……好き。そこから、誰より好きになる……そんな瞬間だった。


 ◆


 目を開けると、真夜中で……コウの腕の中だった。

 畳の上で寝ていた。寝ちゃう前にコウが私に布団をかけて、敷き布団代わりに畳の上に寝そべっている。

 それじゃあんまりだ。重たいと思う。


「コウ……コウ」


 揺さぶってみたけど、気持ちよさそうに寝息を立てるだけだ。

 離れがたいけど、甘えていたいけど……腕の中から出て、お布団を敷いてコウを引っ張っていった。

 ちゃんとお布団をかけてひと息ついた。けどすぐに寝つけそうにもない。

 せっかく温泉があるのなら、入るのも悪くない。

 けど余計に目が冴えちゃいそうだ。

 今は諦めて、手洗いをしてからうがい。

 ひと息ついたので、コウのすぐそばに寝そべった。


 少し睫毛が長い。瞼を閉じているけど、開くと無邪気な瞳が見える。結構大きくて、いつもきらきら輝いている。

 唇は……どうかな。どちらかといえばやや薄いかな? くらい。

 鼻の脂が悩みみたいで、朝晩の洗顔は結構気をつけている様子です。


 運動は特別得意ってほどじゃないけど、放っておくとどんどん食が細くなるような人だから、あんまり無駄なお肉はついてない。

 うちのお父さんにたまに稽古に引きずられていくこともあるの。だから腕とか肩周りは意外とがっしりしてる。


「……んん。ふう……ちあ」


 あたしの名前を呼んでる。

 起きちゃったかな、と思って顔を見ると唇をむにむにさせていた。

 夢を見てるんだ。

 どんな夢だろう。あたしの夢なら、いい夢であって欲しいと思う。


「コウ」


 返事をしたら、コウが寝返りを打って私に身体を向けて……抱き締めてきた。


「……あれ」


 ぼんやりした顔で目を開けると、あたしの顔を見てほっとしたように笑って。


「……いっちゃったのかと思った」


 長く息を吐く。安心したみたいに。


「ここにいるよ?」

「んん……ん、ああ……」


 甘えるように首筋に顔を埋めてくる。

 くすぐったい。唇で何度も肌を啄んできた。

 ……寝起きなのにもう元気。


「ちあ……このまま、いい?」

「……キスして」

「ん」


 顔を寄せてくるけど、その顔に手を当てた。


「でもだめ。口くさい。歯、ちゃんと磨いてから」

「ええ? ……んー……いい気分だから後で」

「だぁめ」

「はああ……しょうがねえなあ……じゃあ代わりに」


 首筋を強く吸い上げてくる。

 痕、つけるのが好きなの。


「そこ、見えちゃう……コウ、おねがい」

「……注文がおおい」


 ぶすっとした声で、でもコウは唇の位置をもっとずっと肩寄りにしてくれた。

 見えるところにつけたら怒るようにしている。

 気を抜くと「私は昨日えっちしました!」と主張して回るような位置にばかりたくさん痕をつけられちゃうから、最初の一度しか許してない。


「いってくる。喉かわいてるか?」


 少し意識がはっきりしてきたのか、そう聞くコウに大丈夫と応えておいた。

 のそのそと手洗いに移動したコウを見送ってから……


 口臭チェック。問題なし。

 浴衣を見下ろす。着崩れた浴衣から見える下着は……アウト。

 昨日の今日でするまいと油断していたから着替えなきゃ。


 慌てず騒がず、物音もなるべくたてずに急いで準備。

 ついでに匂いもつけておこう。アトマイザー、アトマイザー……あった。


「ちあー。明日も手伝いとか言われてたけど、大丈夫そうー?」


 手洗いから聞こえる声に大丈夫だと答える。

 浴衣を着直して、ばれない程度に髪も整える。

 窓は閉めておかなきゃ。


「寒くなっちゃうかもだから、窓しめるね」

「んー」


 ほんとは声が丸聞こえなの困るからなんですけどね。

 コウはそのへんもう少し気を遣ってくれていいと思う。


 あとは……ゴムとティッシュ、備えOK。

 これでもう大丈夫、かな。

 照明を微かな光量に設定。

 布団の中に潜って待つ。


 ……なんか準備しすぎだ。

 部屋に戻ってきたコウが少しだけ笑っていた。


「な、なに?」

「いや……千愛も期待してくれてんだな、って。可愛いなって思ってただけ」

「……ばか」


 肯定も否定もするだけ痛いから、その一言でごまかしちゃう。

 なのにコウはそれで十分やる気になったみたい。


 お布団に入ってくるなり、


「キスしても?」


 なんて聞いてくる。

 ほんとは気にならない程度の匂いでしかなかった。

 今は歯磨き粉の匂いつき。

 ロマンチックとは思わないけど、でもいい。


「どうぞ」


 いそいそと近づいてきて、腰を抱き寄せられて。

 コウからキスをもらう。

 何度も何度も啄むように。

 たまにたっぷりと……時間をかけて。

 コウの手が背中を撫でてくる。

 髪も。


 普段の脳天気さからは想像も出来ないくらい、優しい手つき。

 いつもに比べることの出来ないくらい、大事にしてくれていると感じる。

 どうしたんだろう、と一瞬思ったけど。


「ちあ」


 名前を呼んですぐ、好きだって言ってくれたから吹き飛んだ。

 なんだか……いい。

 すごく、いい。

 もっと……欲しい。


「ん――……」


 唇を重ねて、少し開いてみせる。

 それだけでコウが入ってきた。

 粘膜を重ね合わせて、それでもコウは激情に任せるこれまでと違って、ひたすらに私を優しく愛してくれる。


 こんなの、初めてだった。


 どうしよう。

 すごく……満たされてる。


 触れてくるのも、キスをされるのも。

 これまでと明らかに違う何かが、コウにはあった。

 嬉しい変化だったから……今日だけは、全部欲しくなっちゃった。


「待って、今つけるから」


 そう言ってゴムに手を伸ばそうとするコウの背中に抱きついて言う。


「……今日は、いい。大丈夫、だから」


 はやく、きて、なんて……恥ずかしいことを言っちゃう日が来るなんて思わなかった。


 それまでも……それからも。

 眠りにつくまでの時間は間違いなく……人生で最高だった。




 つづく。

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