第14話 熱の意味を知るために

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 思いつきで行動するもんじゃない。

 千愛(ちあ)の考えていることくらいお見通しだ。


 なにせ、俺の小遣いで二人分、一泊二日が余裕な宿なんてそうそうない。

 親父は母さんの分までしっかりしないと、と思っているみたいで、二ヶ月あわせてやっと小遣い一万円だ。なかには俺よりもらってないヤツもいるし、俺の何倍ももらっているヤツがいるからな。

 小遣いってのはほんと、不公平。


 親父が言えに置いていった金を使えばそりゃあ泊まれそうなんだけど……これは純度100%、俺のわがままだった。

 だから、


「いくらもってんだい」


 少し寂れた旅館の女将さんのその言葉に巡り会えたのはマジで幸運だった。


「……出来れば、二人で二万くらいで。飯も食べれると嬉しいんですけど」

「はあ……ひどい時代だね」


 の、かな? あれ。門前払いじゃないだけマシだけど、意味ありげに横目で見てくるのなんなの。


「コウ……やっぱりお金もうちょっと出すよ」

「いいって。俺のわがままなんだから、俺が出さなきゃ筋が通らない」


 小声で千愛と言い合っていると「はっ」と笑い声が聞こえた。

 女将さんは俺と千愛をじっと見つめて、少しだけ笑った。


「駆け落ちかい」

「「ちがいます!」」


 声を揃える俺たちに大声をあげて笑う女将さん。

 妙齢……っていうのか? 女盛りって感じの人だ。


「いつもならこの時期うまってる部屋が、ちょうどたまたま空いてるんだ」

「マジっすか」

「一人、一泊二日飯つきで一万九千八百円なり」

「さ、さびれてんのにいい値だ――いててて!」

「さびれてるは余計だよ。部屋数しぼって高級志向でやってんの、演出だ」


 笑顔で俺の耳を鋭利な爪で摘まみ、容赦なく引っ張り上げる。

 千愛にされたどんな仕返しよりも手痛い一撃だった。


「わかったら、復唱しな。ここは素敵な旅館なので、ぜひ泊まりたいです」

「こ、ここは素敵な旅館なので、ぜひ泊まりたいです」


「こ、コウ」とおろおろする千愛を一瞥で黙らせると、女将さんは凄く悪い笑顔で言うんだ。


「お手伝いしてでも泊まりたいので、二日間僕たちを置いてください。ほら、いいな」

「お、お手伝いしてでも泊まりたいので、二日間おいてください……いたたたたた!」

「お嬢ちゃん、文句は?」

「え、あっ、え、あ」


 千愛があると言おうとした時、女将さんの目つきが鋭くなった。

 俺は耳の痛みでそれどころじゃなかったけど、千愛も女将さんの何かに負けたらしい。


「……ない、です」

「よしきた。洗い物は出来るかい?」

「家事は一通り出来ます」

「ならアンタは厨房」


 さくさく話が進行しているところ悪いんだけども。


「それより俺の耳早く離してもらえます!?」

「おお、そうだったね。あんたは風呂場に行って、湯番をやってるだめ亭主の面倒みてきな」

「えええ……ま、マジで俺ら働かされるの?」

「何も四六時中こき使おうってんじゃないよ。いいから行った、ほら行った。廊下を進んで突き当たりを右だよ!」


 ぺしぺしぺしと額を叩かれる。

 耳と違って痛くはない。

 ただ……困った。これじゃ千愛とちゃんと過ごすどころじゃないぞ。


 ◆


 夕方になってやっと解放された……。


 事情説明したら、風呂場にいた熊みたいなオッサンは「家内がすまんな」と言う。

 その足にギプスがはまっていて、にも関わらず無理して掃除をしようとしていた。

 そんなの見て放っておけるわけないだろ。


 で、働こうとするオッサンを止めながら、言われるまま必死で掃除して……湯を張った。

 家族風呂、露天風呂。言葉にするとたった二つなのに、いざ掃除するとなるとこれがマジで大変だった。

 しかもオッサンが部屋に泊まっている宿泊客に案内をしに行くと言って聞かないので、オッサンの移動を手伝うことになり……気がつけば夜。


 台所で女将さんと働きまくる千愛の指示に従って、交代でお風呂を済ませるお客さんの部屋にご飯を運ぶ。


 最後のお客さんに食事を運び終える頃には、最初のお客さんがご飯を食べ終えていて、食器をさげるのでてんてこ舞いだ。


 すべてが終わってやっと解放された頃には精根尽き果てていた。

 けど文句を言う気も起きなかった。


 この宿のスタッフはオッサンと女将さんただ二人だけ。

 見てくれは確かに寂れちゃいるが、女将さんが言うように部屋も通路にも、そこかしこに可愛い置物や絵が飾ってある。照明はなんだかあったかい感じで、しかも間接照明っていうの? で、小洒落た感じがぷんぷんだ。

 とはいえ部屋は六部屋。到底オッサンが怪我をした状態で回しきれるとは思えない。


「すまんな」

「いいっす。なりゆきだけど、放ってはおけないんで」


 湯をしみこませたタオルで身体を拭くオッサンと俺は温泉に入っていた。

 ……本当だったら千愛とカップルで、みたいなことを考えていた時期が俺にもありました。

 ま、まあ明日があるし? だからそれはそれとして。


「他に働く人いないんすか?」

「難しい時代だからな……うちのお客さまを見たか?」

「え? そりゃあ、まあ。飯運ぶ時とかに」

「言ってみろ」


 背中の筋肉の盛り上がり方がやばい。

 千愛の親父さんもなかなかだけど、このオッサンもかなり強そうだ。


「どうした」


 ふり返って見てくるので思い出してみる。


「……ええと。家族連れ。不倫かよって感じの中年と綺麗なお姉さん。んで大学生カップルに、外国人が二組」

「いつもくるようなお客さまだと思えるのは、このうち……誰だ?」

「えええ?」


 難しい質問だ。そんなこと考えたこともねえし。

 でもオッサンは俺の答えを待ってくれている。

 だから……少しくらい、考えてみてもいいかもしれない。


 その一、家族連れ。これはまずないな。子供が休みじゃなきゃ来れないから、いつもくるとは思えない。

 その二、中年とお姉さん。これは微妙。部屋に入った時、中年の言うことにお姉さんはしずしずと従っていたから(浴衣姿で超セクシーだった)、中年次第かも。なら、確実じゃないだけ微妙だ。平日は仕事があるだろうし。

 その三、大学生カップル。高校生の俺には大学生の財布事情なんてわからないけど、出来てアルバイトだろ? ちょいちょいくるには贅沢だと思うからこれもなし。

 と、なると……


「外国人?」

「なぜ、そう思う」

「や……なんか」


 言いにくいけど、とりあえず言ってみよう。


「親父が好きなテレビで見たんです。海外から日本に来て、俺らにとって何気ないことや面倒なこととか、ちょっとしたことに喜んでる人たちの番組。だから、その……」


 いいのかな、と思いながらオッサンを見たら、頷かれた。先を話していいってことかな……なんか落ち着かないけど。


「そもそも日本に遊びに来てる時点で彼らは観光してんだから、あとは選択肢に入ればいい、っつーか」

「……なるほど」


 そう言うと、オッサンは前を向いて再びタオルで身体を擦り始めた。


「え、答えは」

「……売り上げをあげるための努力の道は明らかにあっても、お金や人がいなければ出来ないこともある。借金をしても、時に好ましくないお客さまを迎え入れているように見えても……この宿は、今の状態が女将にとっての理想なんだ」

「は……はあ」

「付き合える人間はそう多くない、ということだ。今日は一日、よく働いてくれた」


 そう言うと、オッサンはビニールで覆ったギプスに構わず立ち上がろうとする。

 あわてて風呂から出て駆け寄ると、オッサンは壁に手を突いて歩き出そうとした。


「……明日はゆっくりするといい」

「と言われても」


 放っておけるかよ、と言おうとして……ふと浮かんだ疑問を代わりにぶつけることにする。


「オッサンは、なんで女将さんに付き合ってんの。なんで……女将さんと結婚して、今もそばにいんの」


 疑問にふり返ったオッサンは、俺が見た大人の中で誰よりも深い笑顔で言った。


「惚れている。他に理由が必要か?」


 ◆


 オッサンを女将さんの待つ部屋に送り届けた時、女将さんが「見込んだ通り、骨があるね」と言ってきた。

 目線が逸らされていたし、心なしか頬も赤く見える。「あ、ありがと……」

 なんだかそれは、らしくなくて。今日会ったばかりの俺でもわかるほどに、不器用で。


 身体を支えていたオッサンが俺から離れる時、小声で「可愛いだろ」と自慢げに言ったのが……なんだか、刺さったんだ。


 部屋に戻ると、千愛も風呂を済ませて浴衣で待っていた。

 備えつきのウチワで顔をゆっくりと扇ぎながら窓際を眺めている。

 窓から入ってくる風は涼しく、窓際に置かれた風鈴を鳴らすのに程よい強さで。


「……なんだか。夢を見ているみたいなの」


 扉を閉めて座布団に座った時、千愛は窓の向こうを見つめながら言うんだ。


「ついこないだまで、普通に夏休みをしていたはずなのに……不思議だよね」


 遠く感じるのが嫌で、そばに寄る。

 触れた指先は冷たく、俺を見た顔には涙のあとがある。


「山がね。夜が……寒いなあって、急に怖くなっちゃった。コウ」


 俺の腕の中にゆっくりと降りてきて、しがみついてくる。


「……遠いね。すっごく、遠い今日だね」

「新幹線……バスでこれる場所だよ」

「でも……なんだか遠く感じるの」


 たまになる不安定な心を受け止めるように、千愛の背中を強く抱き締めた。


 俺は俺さえ見えてなくて。

 けど誰よりも見たい、見なきゃいけない存在が腕の中にいるんだ。


 オッサンのように言える。

 可愛いんだ。千愛は。


 けどオッサンのように言えたことがない。

 惚れている。それで十分だ。


 ……十分なんだ。




 つづく。

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