第7話  その珍事件について


「最後にもう一度だけ確認するが」


 静真教諭が困ったよう教室を見渡したとき、学生の間でも同じように事態に困惑しているような空気が漂っていた。


「本当に誰も、何も盗られてないんだな?」


 クラス全員分の財布が消え、それが食堂で見つかった。

 皆、当然のごとくこれを『盗難事件』と捉えていたが、見つかった財布の中身は、財布が消える前と何も変わっていなかったのだ。


「どういうこっちゃ……」

 財布の中身を確認しながら、博樹も苦笑いする。

「いよいよわけわかんなくなってきたな……」

 

 教室内のざわめきを眺めつつ、静真は頭を掻く。

 そして、心底参ったように大きなため息をついて、黒板を手でバンバンと叩いた。

「お前ら、静かに!」

 生徒の視線が自分に集中したのを確認すると、静真は生徒を落ち着けるように声のトーンを落として、言った。

「めちゃくちゃ不気味な事件が起こった。正直言って、俺も状況がまったく分からんし、気持ち悪いと思う。が、とりあえず何も盗られてないなら幸いだ」

 そして、いつものクセで、剃り残しの顎鬚を指でいじくりながら、言葉を続ける。

「とりあえずこの事件については教師で預からせてもらう。あまり騒ぎ立てるんじゃないぞ。そんでとりあえず……」

 一度言葉を切って、静真はニッと微笑んで見せた。

「メシ、買って来い」




 静真の計らいで、予定されていた授業は1限分休みとなり、生徒には昼食をとる時間が与えられた。

 ぞろぞろと昼食を買いに教室を出ていくクラスメイトを横目に、結弦は難しい顔をしている。


「どした、メシ、買いに行かないのか」

「ああ……」

 博樹が結弦に声をかけるが、結弦はどこか上の空だった。

「……なんだ、なんか気になるのか?」

 結弦の顔色から何かを感じ取った博樹が、結弦の正面の席に座りなおす。 

「なにが気になってるわけ」

「いや……」

 結弦が言いかけて、口をつぐむと、博樹は少しむっとしたように結弦の頭を小突いた。

「今さら俺に遠慮か?」

「そういうわけじゃないんだけど……漠然としすぎて上手く言葉にできないというか……」

「いいよ、分かりづらくてもいいから言ってみろ」

 博樹はいたって真剣だった。

 結弦が何かに疑問を持つとき。それは、何かが起こる予兆。

 そういった経験則が、博樹の中にはあった。


「食堂」

 結弦が、ぽつりと言葉をこぼす。

「なぜ、食堂なんだろうって」

 結弦のその言葉に、博樹は眉をひそめた。

「なぜ……って言ってもなぁ。そもそもワープみたいなもんだし、場所はどうでも良かったんじゃないのか?」

「そこだよ。そこなんだ」

 博樹の言葉に対して、結弦は語気を強めた。

「ワープさせるなら、もっと見つかりにくい場所があったはずなんだ。今は使われていない倉庫とか、たくさんあるし。なのに……財布が見つかったのは食堂だった」

「食堂も、今日は閉鎖されていただろ? 生徒は出入りしない予定だった。そういうことじゃないのか」

「閉鎖されていたからといって、業者は出入りするんだろう。多分、財布を見つけたのも工事業者なんじゃないのかな」

 結弦は思考を巡らせるように机の一点を睨むように見つめる。

「業者が犯人って考えるのは簡単だ。でもそれなら、中身が一切盗られてないのは意味が分からない」

「まあそれは犯人が誰だろうが、意味わからないけどな」

「それに、うちのクラス全員分の財布をまるごと食堂に移動させるようなチカラを持ってるような人が……」

「工事業者なんてやってねえよなぁ……」

 すべてがチカラの性質によって決まる世の中だ。そのような強力なワープ能力を持った人材が、工事業者で力を振るっているとは考えづらい。


「……気になっている理由はもう一つ、あって」

 結弦は、胸の中の違和感を吐き出すように、ゆっくりと、言った。

「朝の、便箋だよ」

「ああ、ラブレターか?」

 結弦は何も答えず、沈黙した。

「あれは、やっぱりラブレターなんかじゃなかったんだと思う」

「どういうことだ?」

 結弦の言葉に、博樹は首を傾げた。

 結弦は、机を見つめていた視線を上げて、博樹の目をじっと見た。

「覚えてるだろ? あの手紙にも、『食堂』って書いてあった」

 結弦の言葉に、ハッとしたように博樹が目を見開く。

「つまり……あの手紙はこの事件のことを示唆してたってことか?」

「そこまでは分からない。でも……俺にはどうしても、あの便箋がこの事件と無関係とは思えないんだ。だって……」

 一度言葉を区切り、結弦はごくりと唾を飲んだ。

 妙に、緊張していた。

 自分の発言は、この事件の核心に迫っているのではないか、という妙な確信が、結弦の中にはあった。

「財布と、同じだよ」

「……同じ?」

 結弦は頷いて、言う。


「あの手紙も、財布と同じように、消えたから」


 博樹も、結弦の言葉に、思わず喉を鳴らした。

 確かに、しまったはずの手紙が消えた、と結弦が言っていたのを思い出す。

 朝の段階では、彼の言葉は信じられず、どうせどこかに落としてきたのだろうと思っていた。

 しかし、これほど奇妙なことが立て続けに起こったあとでは、手紙が消えた、ということにも納得できてしまう。


「そして、多分、食堂に行けば、分かることがあるはずだ」

 結弦は妙な確信を持って、そう言った。

「なぜ、そう思う?」

 博樹は、半ば結弦の回答を予想したうえで、質問を投げる。

 目を閉じ、ゆっくりと息を吸って、結弦は答えた。


「『放課後、食堂で貴方を待っています』、そう書いてあったから」





「お前ら、食堂なんか見てどうするんだよ。別にいいけどよ……」

 放課後。

 静真が渋々と言った様子で食堂の鍵をチャリチャリ鳴らしながら廊下を歩く。

 その後ろに続くのは、結弦と博樹、そして、まひる。

「なんでお前までいんの」

「なに、ダメ? なんかやましいことがあるわけ」

「ないけど……」

「じゃあいいよねついていっても!」

 邪魔だなぁ、という言葉を結弦は飲み込んだ。

 言ったらまひるが怒り出すことくらい容易に想像がついた。

「ラブレター出したの、どんな子だか見とかないと……」

 まひるの小さなつぶやきを耳ざとく聞き取って、

「愛しの彼がとられちゃうのは嫌だもんなぁ」

 と博樹が小声でまひるを茶化すと、まひるは無言で博樹の腿を蹴り飛ばした。


「ほら着いたぞ。あんまり長時間は開けてやらんからな」

 食堂の扉の前にたどり着き、静真がガチャガチャと音を立てながらそれを開錠する。

「事件があったっつっても、ただの食堂だぞ。……ほら、入れ」

 扉を開けながら、面倒くさそうに頭を掻く静真。

 ついてきた3人は食堂の中に入り、辺りを見回す。


「机、全部運びだしたんだな」

「ここに財布が……」

「あれ、女の子いないじゃん」


 3人が同時に、別々のことを口走る。

「いや、女の子はいないって」

「え、なんで! 呼ばれたからここに来たんでしょ?」

「そうだけど、そうじゃないんだって」

「どーゆーこと!!」

 じたばたと身体を揺らして説明を求めるまひるを苦笑いで受け流して、結弦は視線を食堂に戻す。

 いつも食事用の机と椅子がずらりと並んでいるスペースが、今はそれらが除去され、がらんとしている。

 ふと頭上を見やると、部屋の角となるあたりの天井に、監視カメラが取り付けてあった。

「あれに、映像って残ってないんすか」

 結弦が口を開くよりも先に、博樹が監視カメラを指さして、静真に質問した。

「ああ、あれな……」

 静真は苦い顔をして、首を横に振る。

「今回の工事であれも取っ換えるってんで、今日はもう電源切っちゃってたんだよ」

「使えねぇなぁイトセン……」

「おい、俺のせいみたいな言い方やめろよ」

 博樹の露骨な悪態に静真はムキになるように言った。

「むしろこれをやったやつは、その辺も知っててここに財布を飛ばしたのかもしれないだろ」

「……そんな情報を知ってるのって、教師くらいなんじゃないっすかね」

 静真の言葉に博樹が静かに返した。


「あえて今まで訊いてなかったんすけど……教師が犯人って線は、ないんすかね」

 

 おそらく、その質問は、静真も予想していたことなのだろう。

 ため息を一つついて、静真は答えた。

「それは、万に一つもない。断言しといてやる」

「なぜ、そう言い切れるんですか」

 結弦が問う。

 静真はまた無意識に顎鬚をいじりながら言葉を返し始めた。

「教師は、チカラの使用を禁止されてる。オトナってのは、自分の能力はきっちり管理できるもんなんだ。その前提があったうえで、さらに、これだ」

 静真は着ているワイシャツの第2ボタンまで開けて、襟を引っ張って見せた。

 すると、鎖骨の少し上のあたりに、金属のような何かが埋め込まれているのが見える。

「なんですか、それ」

「これはチカラのセンサーみたいなもんでな。俺たちがチカラを使った瞬間、これが、『上の奴ら』にそれを報告する。まあ、緊急時にやむを得ずチカラを使ったってパターンもあるから一概には言えないが……職務中にチカラを使えば、たいていの教師がクビだ」

 分かったか? というように、静真は肩をすくめて見せて、はずした第2ボタンを片手で留めなおした。

「つまり、俺たちがチカラを使ってたら、今頃犯人はバレてるってことだな」

「なるほど……」

 静真の言葉に、納得せざるを得なくなった結弦と博樹は、視線をうろうろとさせた。

「疑って、すんません」

 そして、博樹は少し照れたように、もごもごと謝罪をする。

「あー、いいって。今回の事件は本当に奇妙だからな。教師を疑いたくなるのも分からんでもない」

 博樹に歩み寄り、肩をぽんと叩く静真。

「それに、今回みたいなのは……俺も初めてだ」

 そう呟いた静真の目に、少し熱のこもった何かがゆらめくのを、結弦は横目に見ていた。




「さ、満足したか?」

 結弦と博樹が一通り食堂の中を見終わると、静真は欠伸をしながら言った。

「いい時間だからよ、お前らそろそろ帰れ」

「……そうします」

 思っていたような成果を得られなかった脱力感を感じながら、結弦は頷く。

 博樹も同じように、少しつまらなそうな顔をしていた。

 その二人の様子を見て、静真は少し表情を硬くして、言った。


「なあ、お前ら。もうこの件について考えるのは、やめとけ」

 静真の言葉に、結弦と博樹は首を傾げた。

「なぜ?」

「犯人は分からんが、実害はなかったわけだろ。これ以上考えてなんになる」

「でも……」

「いいから!」

 引き下がろうとする結弦に、静真はさらに語気を強めた。

「もうこの件には関わるな。お前らは余計なことは考えず、楽しく学園生活を送ればいい。わかったか?」

 半ば返事を強制するような口調で、静真が言う。

 結弦と博樹は、返事をしなかった。

 その様子を見て、静真は溜息をつく。

「好奇心旺盛なのも、こういう時には困り者だな。俺はお前らのために言ってんだってのに」

 静真は呆れたように言って、二人の肩にぽんと手を置いた。

「考えても分からないことってのはある。いい勉強になったんじゃねえの」

 それでも沈黙を続ける二人に、静真は失笑して歩き出す。

「ま、とりあえず今日のところは帰るぞ。白河のやつも随分退屈してるようだしな」

「ほんとだよ! ウチのことほっぽって二人で盛り上がっちゃってさー!」

 まひるも加勢して、いよいよ帰らざるを得ない空気を感じ、2人は静真の後に続いて部屋を出た。





「結局、何も分からず仕舞いだったな」

「そうだな……」

「いいじゃん、女の子もいなかったしさ!」


 静真は教員室に戻ってゆき、3人は下駄箱へ向かって歩いていた。

 意気消沈している結弦と博樹とは対照的に、まひるは妙に元気だった。

「お前は気楽そうでいいよな」

「何言ってんの! 結弦のせいで今日は散々だったっての!」

「どういうことだよ、それは……」

 軽口を叩き合いながら、下駄箱にたどり着き、3人は各々の下駄箱を開ける。



「あ」



 結弦は、小さな声を上げて、その場で固まった。

 下駄箱の中に、便箋が、入っていた。


「どうした?」

「なになに」


 結弦の様子を見て集まってきた二人も、下駄箱の中の便箋に気付いて、動きを止める。


「結弦……それって」


 博樹がごくりと喉を鳴らす音が、はっきりと結弦の耳に聞こえた。

 結弦は無言で便箋を下駄箱から取り出す。

 そして、おそるおそる、それを開封した。

 中には、朝と同じく、かわいらしい桃色のポストカードが。

 文面に、目を通す。





『  貴方は、その謎を解くべき。

 

   いま、たくさんのヒトが、この世界の中で泣いている。


   「チカラ」と「ヒト」が、ぐちゃぐちゃになって、一緒になっている。


   その謎の先に、貴方は「チカラ」と「ヒト」を見つけるでしょう。


   泣いている「ヒト」を、見つけて。

  

   貴方にはそれができる。


   そして、いつか……                        』




 読み進めるうちに、結弦には、この文章が何なのか、分かってきた。

 文章自体の意味は、よく分からない。 

 しかし、これが、どういう意味をもったものなのか、本能的に、理解していた。

 手にじわりと汗をかくのを感じる。

 鼓動が、高鳴る。

 そして、最後の一文を目にしたとき、





『いつか……私を、見つけて。』





 結弦は、この手紙の差出人を、理解した。






「なんだこれ、どういう意味だろう」

「なんか恥ずかしくない? 自作ポエムって感じするよ……」

 手紙を覗き込みながら、博樹とまひるがつぶやく。

「ね、これ絶対変な人が…………え、なに結弦、どしたの」

 結弦のほうに目をやったまひるが、ぎょっとしたように尋ねた。

 結弦の目からは、次々と大粒の涙が零れていた。

「お、おぉ……? 結弦、どうした」

 博樹も困惑気味に結弦を見て、制服のポケットに手を突っ込んだ。

 ごそごそとやってのちに、ハンカチを取り出して、結弦に手渡す。

「ほら、涙拭けって。どうした急に」

「ああ……えっと……」

 ハンカチを手渡されたことに気付き、ようやく結弦の時間が動き出す。

 ハンカチを受け取り、目元をごしごしと拭いた。

「ごめん、びっくりしたよな」

「びっくりどころじゃないって……どしたのほんとに。結弦が泣いたとこなんて初めて見たよ」

 まひるは心配そうに結弦の顔を覗き込む。

「ごめん、ごめん」

 結弦は自らを落ち着けるように、深呼吸をした。

 しかし、胸の中は、嬉しさや、言いようもない高揚でいっぱいだった。

 胸から心臓が出てしまうのではないかと思うくらい、自分の心臓が跳ねているのを感じた。


 いなくなったと思っていた。

 もう二度と会えないと、思っていた。

 彼女の足跡が、ようやく、見えた。


 ばしん、と自分の頬を両手で叩き、結弦は自分を落ち着けた。

 その行為に、二人は再び困惑する。


「ど、どうした! ほんとに!」

「ほんと変だよ、大丈夫?」

 結弦の両脇であわあわとする二人をよそに、結弦は便箋を自分の鞄にしまって、下駄箱から外履きを取り出す。

 手早く靴を履くと、結弦はぐい、と立ち上がった。


「博樹、まひる」

 結弦は二人の目を交互に見る。

「やっぱり俺、あの事件の犯人を捜すよ」

 結弦の言葉に、まひるが眉をひそめた。

「どしたの急に。その手紙に触発されちゃったの?」

 結弦は首を縦に振る。

「そうだな……最初からあの事件は引っかかってたんだ。でも、この手紙を読んで、確信した。これを解決することは、俺にとって必要なことなんだって」

 結弦が言うと、博樹は失笑して、結弦に問う。

「なんでそう思ったんだよ」

「それは……」

 結弦は一瞬ためらって、しかしすぐに覚悟したかのように一人頷き、言葉を発した。




「この手紙の差出人が、俺の初恋の人だから。会いたいんだ……どうしても」




 それは小さな、しかし心からの、願いだった。

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