第3話  待ち合わせ場所について


 教室はいつものごとく生徒の話し声でざわついていた。

 入学したての頃はクラスメイト同士の距離感がよそよそしいものであったこともあり、ホームルーム前は話し声もあまり聞こえず妙な緊張感があったものだが、入学後2か月も経った今では皆仲良さげにわいわいと雑談に花を咲かせていた。


「なるほどな、そりゃまひるのやつも怒るわけだ」

 例に漏れず、結弦と博樹もホームルーム開始までの時間を雑談に費やしていた。

「どういう意味だよ」

「なんで分かんないかねぇ」

 先刻の下駄箱前での一件を博樹に話すと、博樹は呆れたように肩をすくめるのだった。

「頭が良くても、こういうのが分からんってのは問題だな」

「分かるまで説明しない方が悪いと俺は思うんだけど?」

「なんでも説明されないと分かんないってのはどうかと思うぜ。察する能力も必要ってこと」

 博樹はあまり熱のこもらない声でそういうと、無言で結弦に対して何かを要求するように、掌を差し出した。


「……なんだよ?」

「俺にも見せてくれよ、その便箋」

「ああ……」


 博樹に促されて結弦は自分の通学鞄を開ける。

 そして中身をごそごそと漁って、


「……ん?」


 小さく声を上げた。


「どした?」

 博樹が少し身を乗り出して、鞄の中を覗いてくる。

「エロ本でも持ってきちまったか?」

「馬鹿、ちげぇよ」

 博樹の茶化しになんのひねりもない切り返しをしながら、結弦は通学鞄の中をごそごそと漁り続ける。

 しまったはずの便箋がない。

 確かに鞄に入れたはずだ。決して丁寧にしまったとは言い難いが、確実に鞄の中に入れ、鞄を閉め終わるところまで確認した覚えがある。

 こんなに短時間でなくしてしまうような小さなものでもない。

「おかしいな……」

「なくしたか?」

「見つからない」

「まひるに破られてたりしてな」

 それはありそうだな、と一瞬結弦の便箋を捜索する手が止まるが、すぐにそれはないと思いなおす。

「ありそうだけどそれはないな。俺が便箋をしまったの、まひるが走っていった後だったから」

「いや、冗談だから。真面目に返さなくていいから」

 お前ほんと冗談通じないよな、と博樹が独りごちた。


「まあ、見つからないならいいや」

 ついに鞄の中身をすべて取り出して机の上に広げ始めた結弦を、博樹が制止した。

「それより、その手紙には、本当に『食堂で』って書いてあったのか?」

 博樹の質問に、結弦は迷うことなく頷いた。

「あんなにシンプルな一文を忘れるはずがない。確かに食堂で、って書いてあった」

「そうか……じゃあ今日は無理だな」

「無理? 何が?」

「食堂で待ち合わせるのは無理ってことだ」

 博樹は言いながら、自分の鞄から一枚のプリントを取り出す。

「ほら、今週の頭に配られてただろこれ」

 博樹からプリントを受け取り、目を通すと、そこには今日の日付と、「食堂の一時立ち入り禁止」の旨が書かれていた。

「食堂内の全面清掃を夜からするっていうんで、今日は食堂の施設自体を誰も使うなって話になってるみたいでさ。立ち入りも禁止されてるわけ」

 博樹は結弦からプリントをひょいと取り上げ、目を通しながら言う。

「この学校の生徒ならみんな知ってるはずの情報だから、きっとその手紙をお前に寄越した相手も知ってると思うんだよな」

「……なるほどな」

「まあその手紙をくれた子がお前みたいにろくにプリント読まずに鞄にしまっちゃうような子だったら、話は別だけど」

「見透かすのはやめろ。その通りだけどなんか腹立つ」

 赤面しながら机の上に並べた教科書やらプリントやらを戻しつつ、結弦はもう一度慎重に確認をする。

 やはり、便箋は見つからない。どこかで落としたか?

 しかし、しっかりと閉めた鞄から落ちてしまうようなサイズの物ではないはずだ。

 普段ならば気に留めないような些細なことだが、なぜか今の結弦は便箋の行方が気になって仕方がなかった。


「まあ、今日は残念だったってことで。ほんとにお前に告白する気があるなら、また後日にでももう一回ラブレター来るんじゃねえの」

「だから、ラブレターと決まったわけじゃ」


 結弦の言葉を遮るように、大音量で始業を告げるチャイムが鳴った。

 自席を立って、談笑していた生徒はみな自分の机にいそいそと戻ってゆく。

 結弦の一つ前の席に座る博樹も、結弦に向けていた身体を前に戻し、担任教官が教室に現れるのを待った。


 ガラッと教室のドアが開き、担任教官の伊藤静真いとうしずまが教室に入ってくる。


「よっしゃお前ら、ホームルーム始めるぞ~」

 気の抜ける声で静真が言うと、号令係の生徒が起立、と声を上げた。






 午前の授業が終わり、皆が昼食のことを気にかけ始める。

 普段であれば弁当を持ってきていない学生は食堂で昼食をとることができるが、今日に限ってはそうもいかない。

 学校から少し歩いたところにあるコンビニエンスストアで昼食を買って済ますしかない。

 幸い学校付近には3つのコンビニエンスストアがある。一つのコンビニエンスストアに生徒が集中して品切れ、そのせいで好きなものが食べられない、といったことにはならなくて済みそうだ。


「結弦、メシ買いに行こうぜ」

 博樹も結弦も普段から弁当を用意する習慣がない。今日も弁当など持ってきているはずがなく、必然的に買いに出る必要があった。


「おう、今日は混みそうだし急ぐか」


 結弦が頷き、財布を取り出すべく鞄を開けたところで、あることに気付く。

 結弦は反射的に、自分のズボンのポケットを上から手で触る。

 そして、脂汗が顔からじとりとにじむのを感じた。


「なんだ、どした?」

 結弦の様子を見て訝しげに博樹が首をかしげる。


「……ない」

「ん?」

「……財布が、ない」

「は?」


 結弦は自分の鞄をむんずと掴み、思い切りさかさまにして中身をすべて机の上にぶちまけた。

 しかし、愛用している黒い革の財布は見当たらない。


「おいおい……便箋だけじゃなくて財布もなくすとかお前今日どうした」

「いや、なくしたとか、そういうんじゃない」

「ないってことはなくしたんだろうよ」


 博樹が断定気味にそう言うが、結弦は必死で食い下がる。


「お前も見てただろ! ホームルームの前! 便箋を探すのに鞄から全部中身を出した時に、確かに財布もあったんだよ」

「ああ……そういえば確かにあったな」

「そのあとはずっと授業受けてたし、休み時間も俺は教室にいたぞ」


 妙な焦りが結弦の胃のあたりをじんわりと締め付けるのを感じた。

 博樹も事態の異質さに気付いたのか、少し気味が悪そうに笑った。


「つまり……財布が消えた、ってことか?」

「……そうなる」

「んなバカな」


 事態が飲み込めず、二人は沈黙する。

 居心地の悪い沈黙を破るように、博樹がぽつりと言った。


「とりあえず……貸してやるから、メシ、買いに行くか」

「……そうだな、すぐに考えても解決しないこともあるし」

「そう、そう。とりあえずメシを食いながら考え…………」


 博樹が気を取り直したように自分の鞄を漁り、そして、再び沈黙した。

 そして、ひきつった笑いを、結弦に向ける。




「やばい、俺の財布も……なくなってる」


 


 それとほぼ同時に、教室の中でも不穏なざわめきが起こり始めた。



 

 その昼、1年F組の生徒全員の財布が、忽然と姿を消していた。




 

 

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