第2話  その便箋について

 時刻は8時10分。

 ホームルームの始まる30分前には、結弦とまひるは二十二ノ木坂学園の昇降口へとたどり着いていた。 

 そして昇降口の前に立つと、結弦は独りごちずにはいられない。


「でかい……」


 あまりにも大きな昇降口。そしてその中には、おびただしい量の下駄箱がのぞいている。まるで国立図書館の本棚でも見ているかのような錯覚に陥りそうになる光景だった。


「いい加減慣れなよ。毎日毎日飽きもせず」

「こればっかりは慣れられる気がしない」


 何食わぬ顔で結弦の横を通り過ぎるまひる。

 結弦は自分のぽかんと開いた口に気付き、それをしっかりと閉めてから、自分の下駄箱へと向かう。


「にしてももう学校入ってから2か月かぁ」

「もうそんなに経ったんだな」

「2か月間毎日『でかい……』って言い続けてる人がいるんですけど」

「うるさいな……」


 まひるはくすくすと笑って、自分の下駄箱を開け、そこに外履きを放り込んだ。

 結弦もそれを横目に、自分の下駄箱を開ける。

 その時、結弦は下駄箱の中の様子が普段と違うことに気が付いた。


「……なんだこれ」


 下駄箱の中に、自分の上履きが収まっている。

 そこまでは、普段通り。

 しかし今日は、その上に白い便箋が乗っていた。


「ん、なになに?」


 結弦の下駄箱を覗き込んだまひるが、カチリと動きを止める。


「なにそれ」

「俺が訊きたい」

「手紙?」

「そう見える」

「誰から?」

「俺が訊きたい」


 結弦は困惑しつつ、おそるおそる便箋を手に取る。

 教師からか? いや、それならばホームルームで直接声をかけられるはず。

 果たし状? 身に覚えがない。

 

「ね、開けないの?」


 便箋を睨んだままなかなかそれを開けようとしない結弦にまひるがしびれを切らして声をかける。


「あ、ああ……」


 確かに、開けてしまった方が手っ取り早い。

 まひるに促されるがままに、結弦は便箋をあける。


 中には、可愛らしい桃色のポストカードが入っていた。

 そして、その中央には。



『放課後、食堂で貴方を待っています』



 と、それだけ書かれていた。


「…………果たし状か?」

「違うでしょ!! どう考えてもラブレターでしょこれ!!」


 まひるが結弦の背中をバシバシと叩く。


「裏に名前とか書いてないの!」

「書いてないな。この一文だけだ」

「もー! 誰! 誰だよ~!」

「なんで俺よりお前が慌ててるんだ」


 まひるは妙に落ち着かない様子で身体を左右に揺らした。


「そんなにモテる感じだったっけ? 結弦って」

「そんなにモテる感じではなかったと思う」

「だよね! おかしーよね!」


 失礼じゃない? という言葉を飲み込んで、結弦は便箋に再び目を落とす。

 ラブレター。

 そう呼ぶにしては、随分とお粗末な一文だと思った。

 もし自分が誰かに想いを伝えるとしたら。その相手に絶対にその場所に来てほしいと思ったら。もっと情報量を増やしたり、熱意を表現したり、いろいろと工夫をしたように思う。

 とすれば、ただのいたずらだろうか。

 そんなことを考えている間にも、まひるはそわそわとしながら便箋にチラチラと目をやっていた。


「字もさぁ、どう見ても女の子だし……ラブレターだよこれ絶対」

「ラブレターだと困るのか?」

「こま! ……るわけじゃないけど、なんていうか……」


 まひるの言葉の続きを、結弦がじっと待っていると、まひるはみるみる顔を赤くして、結弦の尻にキックをする。


「いてぇ」

「抜け駆けするからだろ! し、親友が突然モテ始めたらびっくりするだろ!」

「だからラブレターって決まったわけじゃ」

「絶対そうだもん!!」

「うるさい。声がでかい」


 どんどんと興奮していくまひるをなだめるように結弦はまひるの肩をつかみ、その身体の向きをぐいと変えてやる。


「ほら、教室行くぞ。せっかく早めに着いたのにぎりぎりになっちゃうだろ」

「うー……」


 不服そうにまひるは結弦の手を払い、自分で歩き出す。


「色気づきやがってよぉ……」

「俺はなんもしてないだろ」

「下駄箱開けただろぉ」

「そりゃ開けるっての。というかなんだその口調は」


 とぼとぼと歩くまひるの歩調に合わせて、結弦もその隣を歩く。

 目的地は3階にある、自分の教室だ。

 

 今結弦がいる『学問棟』には、計8つのフロアがある。

 1階が昇降口と、食堂、また、特別な機材を取りそろえた実習教室などがある階。

 2階と3階が1年生の教室の集まるフロア。

 4階と5階が2年生の教室の集まるフロア。

 6階が教務室のあるフロア。

 そして、7階と8階が3年生の教室が集まるフロアとなっている。

 

 結弦の属する1年F組は、3階に。

 そして、まひるの属する1年B組は2階に教室があった。

 必然的に、2階でまひるとは別れる形となる。


 階段を上り、2階へ上がったところで、まひるがぴたりと立ち止まった。


「で」


 じとりと結弦を睨むまひる。


「行くの?」


 行くな、という意図が露骨に言外ににじみ出た発言に、さすがに結弦も苦笑する。


「行かないわけにもいかないだろ」

「なんで」

「なんで、って……わざわざ手紙もらったのに無視するわけには」

「どこの誰かも分からないのに?」

「行けばわかるだろ」

「そりゃ……まあそうだけど!」


 言葉に詰まるまひるにトドメを刺すように、結弦が一言付け足す。


「それに、俺が行こうが行くまいがまひるには関係ないだろ」


 その言葉でまひるのそわそわとした動きが完全に止まる。

 あれ、何か失言をしただろうかと結弦が考え直した頃にはもう遅かった。


「あ、そう! 確かにウチには関係ないよね、そうだよね!」


 顔を真っ赤にして肩を震わせながらまひるが怒りの眼差しを結弦に向ける。


「彼女作るなりなんなり、勝手にしたら! この色ボケオタンコナス!」


 捨て台詞のように大声で言って、まひるは自分の教室へと駆けて行ってしまった。


「オタンコナスってお前……」


 使ってるのもうお前くらいだよ、と言おうにも、本人はもう遠く彼方であった。



「おー、相変わらず仲良しなこって」


 唐突に後ろから声をかけられて、結弦が振り向くと、そこにはクラスメイトの由多博樹ゆだひろきが立っていた。


「仲良しに見える?」

「見えるから言ってんの」


 だらりと着崩した制服に、間の抜けた欠伸を携えて、博樹は結弦の横に立った。


「なに、また怒らせたの」

「そうらしい」

「なんで」

「分からない」

「お前いつもそれだな」


 鼻から息を吐き出して、博樹は階段を指さす。


「まあとりあえず教室行こうや」


 結弦は頷いて、手に持ったままだった便箋を通学鞄の中に雑にしまった。

 

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