第4話  消えた財布について


「クラス全員分の財布が消えた……って、そんなアホな話あるか?」

 1年F組担任の伊藤静真は、眉をひそめて言った。

「普通に盗難事件ってことじゃねえのか? それはそれで大問題なんだけどな」

「教室移動もなかったのに全員分の財布を誰にも見つからずに盗み出せるはずがない」

 静真の言葉に結弦が反論すると、「漫画に出てくる大怪盗じゃあるまいし」と小声で博樹が付け足した。


「と、なると」

 静真は苦虫を噛み潰したような顔で教務室の椅子をギシリと鳴らした。

「“チカラ”、か?」

「そう考えるのが妥当かと」

 結弦の返答に、静真はさらに難しい表情を深くした。

「まあ……そろそろこういうこともあるんじゃないかと思ってはいた。しかし……そそれが俺のクラスで起こるとはなぁ」

 心底残念そうに言って、静真は椅子から立ち上がる。


「ま、とりあえず次の授業は中止。全員集めてホームルームだ」





「というわけで、やったやつ、挙手!」

 博樹の適当にもほどがある発言にクラスがざわつく。


「全員分なんてどうやって盗るってのよ」

「そもそも内部犯なんですかー」

「というかお腹すいた~」

「なんで今日食堂あいてねぇの」

「開いてても財布なかったら何も食えないけどな」


 生徒の私語でごった返す混沌とした状況に苦笑いをして、博樹は掌をパンパンと叩く。


「はいはい、とりあえず黙って黙って。状況を整理しようか」

 いつも気だるげでちゃらんぽらんな博樹だが、しっかりとした一面も持ち合わせており、そこを買われたのか、彼はF組のクラス委員長だった。


「朝のホームルーム前には財布はあった。これは間違いないな」

 博樹の確認に対して、数名が声を上げる。

「自販機にジュース買いに行ったから絶対あったはずだよ。それに、ホームルームが始まるまでお財布は机の上に置いてたからホームルーム前になくなってたってことは絶対ない」

「俺もホームルーム前には財布見てたぞ」

 数人の声を聞き、博樹が頷く。

「ということは、少なくともホームルーム前で『全員分の』財布がなくなってたってことはないわけだ」

 博樹があえて『全員分』という点を強調して言ったのを聞き、結弦は思案顔になった。

 今回の事の異常性は、『クラス全員分の』財布がなくなったことにある。

 数名分の財布を何回かに分けて、クラスメイトの目を盗んで盗難した、という犯行方法もないではないが、相当な難度であることには変わりないし、残念ながらその線は教務室での静真との会話で完全に消えてしまった。


「そんで、一応さっきイトセン呼びに行ったついでに、イトセンと一緒に“監視カメラ”を見てきたんだけど……休み時間中に他人の財布を盗んでるようなそぶりを見せたやつは誰もいなかった」

 と、いうことである。

 

 

 

 事が起こってすぐに、博樹は結弦を引き連れて教務室へと向かった。

 そして担任の静真に状況を説明したのち、静真立ち合いの元“監視カメラ”を見せてもらったのだった。

「そもそもこういう用途で設置されてるもんではないが……」

 静真のその発言を聞き、博樹はカメラ映像を見ながら苦笑する。

「俺たちの“チカラ”の監視のためについてるんでしょ、これ」

 高校生の時期は、個人個人のチカラの成長も振れ幅が大きく、突然の成長や変調が起こることも少なくはない。そういったチカラの変化を見逃さないために、この監視カメラはすべての教室に取り付けられていると言う。

「まあそうイヤな言い方をするなよ。お前らのためでもあるんだぞ?」

 静真はそう言いながら、カメラ映像を数時間前のものへと巻き戻してゆく。

 

 過去には、生徒のチカラの暴走事件というのも起こったことがあるらしい。

 その時、まだ高校には監視カメラの導入義務がなかったため、生徒のチカラがどのような条件下で、どのように暴走したのかが解析できず、暴走を鎮圧するのにとてつもなく苦労したという。

 チカラを暴走させた生徒は、その後身体機能に異常をきたし、そのまま死亡した。

 そしてその生徒のいたクラスの負傷者は片手では数えきれない数となった。

 その事件をきっかけに、すべての高校に監視カメラの導入が義務付けられた、ということだった。


「んで、これがホームルーム前だな」

 静真がホームルーム前の教室の映像を映す。

 生徒同士が談笑している様子がよく見える。

「……あやしい動きをしているやつはいないな」

「あとほら、やっぱり俺の財布このときはまだあるぞ」

 カメラ映像の中の結弦は、自分の鞄の中からすべての荷物を机の上に出しているところだった。

「本当だな」

「ホームルーム前にはやっぱり財布はあったんだ」

「この時点で、特に怪しい動きもない」

 真剣な面持ちでカメラ映像を凝視する3人。

「で、ここでイトセンが入ってくる、と……」

 博樹がここまで言って、肩をすくめる。

「こりゃ、本当に普通の盗難事件じゃなさそうだな」

 嫌な沈黙が3人の間に流れた。

「ま、とりあえず休み時間の映像も見せてもらっていいっすか」


 結局、カメラ映像からは何も分からなかった。

 怪しい動きをする生徒は一人もおらず、それどころか1限、2限の休み時間においてはほとんどの生徒が着席したままであった。





「まあそういうわけで、多分これは“チカラ”を使った犯行ってことになる」

 教壇の上で、博樹がきっぱりと言い放つと、再び教室内はざわめきに包まれる。

 今までこういったいわゆる『チカラの悪用』がなされたことはなかった。

 生徒の混乱も無理はない。


「つまりそれって」

 ここで、先ほどまで黙って話を聞いていた一人の生徒が手を挙げる。

 黒田明彦くろだあきひこだ。

 黒髪に赤渕のメガネ。いかにも優等生といった雰囲気で、実際かなり成績の良い生徒だった。

 学期の始めにクラス委員長に立候補したが、推薦で名の上がった博樹に投票で負けてしまい、悔しくも委員長の座を逃してしまった。それからか、博樹の進行するホームルームでは反抗的な意見を言うことが多かった。もちろん、本人がそのことに自覚的であるかは別の話だが。


「クラス全員分の財布を消し去って、どこかに移動させるチカラってことですか」

 明彦のその言葉に、クラス全体がしんとなる。

 逆に、結弦は思わず失笑してしまった。

 結弦が噴き出したのを横目に見て、明彦は眉をひそめる。

「何か?」

「いや、すまん」

 結弦はしまった、と思いつつも、思ったことを口にする。


「そんなチカラを持ってるやつがいるんだとしたら、多分そいつはこの学校には通ってないと思って」

 結弦の言葉に、クラスメイトが無言になった。その無言は、同意を意味するもので間違いない。

 教室全体に影響を及ぼし、しかも視認できていない特定のものをどこか別の場所に移動させるチカラ。

 こうして文章に起こすだけでも、規格外なチカラだということが誰にでも理解できる。


「一ノ木坂にもそんなチカラ使えるやついないんじゃねえの」

 誰かがそう零した。

 一ノ木坂学園。最も強力なチカラを持った高校生たちが集められるエリート高校である。その一ノ木坂学園の生徒でもこんなことができるかどうかは怪しい。


「まあ、今重要なのはそこじゃないんだよね」

 ざわつくクラスメイト達に、博樹はぴしゃりと言い放つ。


「不可能だろうがなんだろうが、起こったことは起こったんだよ」

 博樹は、確信を持って、言った。


「起こったってことは、つまり可能ってこと。今それをどうこう言ってもしょーがないんだな。今重要なのはどうやってやったかってことよりも」

 博樹はそこで一瞬、言いづらそうに間をあけた。

 それだけで、結弦には次に彼が何を言おうとしているのかが分かった。おそらく、他のクラスメイトも同様だったと思う。


「誰がやったかってこと」

 博樹が言うと、即座に明彦がピンと挙手をした。


「はい、黒田君」

「このクラスでそんなことをできるやつは絶対にいない。さっき露崎もそう言ったろ」

「つまり、外部犯ってこと?」

「そう考えるのが妥当だと、僕は思うが」

 明彦の言葉に、博樹はううんと首を捻って、うつむいた。

 そして、すぐに頭を上げて、高らかに言い放つ。


「じゃあ、とりあえずこのクラス全員の疑いを晴らそうか」

 博樹が言うと、生徒が困惑の色を浮かべた。

 全員の気持ちを代弁するように、明彦が挙手をする。


「どうやって?」

「簡単さ」


 博樹はそう言って、じっと結弦を見た。

 やはりそうなるのか、と結弦は露骨に不満げな顔をする。

 結弦の態度にお構いなく、博樹は続ける。


「結弦、お前のチカラで全員の疑いを晴らせるだろ?」

 

 クラス全員の視線が結弦に刺さるのを、結弦は全身で感じた。

 居心地悪そうに、もじと身体をよじって、自信なく頷く。


「まあ、多分」


 

 

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