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「昇降口で荒田くんたちと待ってるわ。みんなで遊園地にいく日取りを決めましょう」

 そう言って、風見も教室から去っていった。学校中の生徒が早足に帰宅しようとするなか、おれだけが校舎に取り残されたようで、よくわからない焦りを抱いた。

「それじゃあ行きましょう、凪野くん」

 白埼先生とともに教室をでる。最後のおれが電気を消した。揺れる二本の長い髪の束を追って、やってきたのは生徒準備室だった。

 普通の教室を半分にしたようなせまさで、数脚の椅子と机がある、シンプルな場所だった。わずかにあいたカーテンの隙間から陽がさしこんで、空気中のほこりを映写している。さっきまでの教室や廊下とくらべて、不思議な涼しさがここにはあった。

 白埼先生が座った席と、向かいの場所に座らされた。そういえば、一対一で話をするのははじめてだった。白埼先生に限らず、教師とこういう場所で向き合った経験がなく、少し緊張した。

「ここならめったにひとはやってこないから」

「なんの話ですか?」

「鍵もしめられるし」

「気でもふれたんですか!」

「冗談よ。想像した?」

 くすり、と白埼先生が笑った。なるほど、こういう冗談を味わって、クラスの男子は懐柔されているわけか。この教師はきっと、男子の思春期というものを熟知している。

「さて、テストの日時を決めましょうか。来週の火曜日とかどう?」

「いまのところは空いてます。ところでひとつ、質問してもいいですか?」

 なあに、と純粋な目で白埼先生が見てくる。いい機会だから、知りたいことがあった。

「風見夜子、うちのクラスにいる女子生徒ですが、本当に百点だったんですか?」

「ああ、きみの彼女さんなら、間違いなく百点だったけど」

「おかしいな。いま変な幻聴が」

「違うの? 遊園地のチケットをあげたとき、『これで凪野くんを連れていける』って喜んでたけど」

「違いますよ」

「じゃあわたしが奪っちゃおうかな。風見さんを」

「冗談ですよね。想像しませんよ」

 白埼先生がまた笑う。

「テストを無断で抜けだす生徒よりも、百点を取る生徒のほうが好感を持てるのは確かだけどね」

「理由があったんです」

「どんな理由が? どうせ寝坊でしょう?」

 ぐ、と黙ってしまう。話せるわけもなかった。未来の死体が関わる話は、相手を選ぶ。少なくとも、夏休み直前にテストの再試で呼びだしてきた教師は、適任ではない。クラスで人望のある教師も、問題外だ。それならおれは、黙って寝坊をしておこう。

「とにかく、遊園地には風見だけじゃなく、ほかの仲間とも行く予定です。決して恋人ではありません」

「別のクラスの子たちね。中庭であなたたち四人がいるのを見かけたことがある」

 白埼先生は続けて、思い出したように言う。

「確か桐谷さんがいなかった? あの子の父親、警察官だったのね。驚いちゃった」

 桐谷と話したのだろうか。いや違うな。桐谷のことをあいまいに思い出しながらも、父親のことだけはしっかりと把握している。ということは、

「この前の焼却炉の事件ですか?」

 一瞬、白埼先生が固まる。そのあとすぐに、弁解するような口調で応えてきた。

「よくわかったわね。そう、事情聴取っていうのかなあれ。そのときに挨拶されて、知ったの」

「どんなことを聞かれました?」

「べらべらしゃべっちゃっていいのかな」

「ここならめったにひともこないし、鍵もかけられますよ」

 おれの冗談に免じたのか、白埼先生は続けてくれた。

「科学室で盗まれた薬品はなかったかって、聞かれた。実際にはなかったけどね」

 警察は爆弾の線で捜査をしている。校舎内で盗まれた薬品はなかった。だから外部の人物の犯行、と断定するのは早いかもしれない。ここは学校という社会のなかでも限られた、閉鎖的な場所だ。そう簡単にしのびこめるだろうか。

「そういえば、ほかに科学に詳しい人はいないかって聞かれたから、国語の荻原先生を紹介したわ」

「荻原先生?」

「あのひとは花火を趣味にしていらっしゃるから。ああいう爆発の関係にもお詳しいかと思って」

 国語の荻原先生。最近、たまに耳にする先生だ。趣味である花火の話題で、白埼先生と意気投合したという噂がある。

「荻原先生は花火の爆発の仕組みとか、一瞬で散る魅力、打ちあげる技術に、多彩なバリエーションのことまで、語ってくれた」

 と、白埼先生の言葉を聞く限り、意気投合というよりは、一方的に話しただけなのかもしれない。

「それと、高藤先生についても聞かれたわ」

「数学の? どうして?」

「蜂の巣に関わったから。そもそもわたしも、その件で桐谷さんの父親から話が聞きたいと言われていたの」

 爆薬は蜂の巣に流し込まれた。だから蜂の巣に関わっている人物が怪しい。そこで浮かびあがったのが、蜂の巣を発見した白埼先生と、駆除を頼まれた高藤先生。

「蜂の巣を最初に見つけたとき、何か不審なところはあったんですか?」

 おれの質問に、白埼先生が笑いだした。思わずペースをくずされて、こちらも複雑な気持ちになる。自分のなかの熱が冷めていくような感覚だった。

「凪野くん、探偵さんみたいね」

「…………」

 それでようやく我に返った。考えてみれば、焼却炉の事件は未来の死体に関連したものじゃない。風見が遭遇していたわけじゃないし、簡単に言えば、それはおれにとっての管轄外を意味している。関わるべきじゃないし、関われるものじゃない。そもそも素人のおれが考えるようなことは、とっくに警察も対応している。

 風見と一緒にいて、常にぶっそうなことに首をつっこんできたせいか、妙な癖がついてしまったらしい。探偵役に酔っていたのかと言われれば、その通りかもしれない。

「遠くから見ていたから、蜂の巣に怪しいところがあったかは、正直わからない。これでどう?」白埼先生が言った。

「ありがとうございます。すみません」

「荻原先生も高藤先生も、しばらく警察の質問に追われているでしょうから、事情聴取をするならタイミングを計ってね」

「もうしませんよ」

「あら残念、凪野くんがあの二人を相手してくれていたら、私も解放されるのに」

 このひと。

 自分に向けられている好意に、とっくに気づいていたのか。そのうえで遠まわしにうっとうしいとも言っている。二人の教師の恋は、どうやらどちらも結ばれないらしい。

「僕なんかさしむけなくても、誘われたら自分で断ったらいいじゃないですか」

 白埼先生はウィンクをひとつ、こう答えた。

「念には念を、よ」



 校門で風見たちが待っていた。荒田と桐谷が大人しく待っていたのに対して、風見だけは校門の上にたって、バランスを取るゲームをしていた。

 それからおれのいない間に、遊園地の日時も決まっていた。

「来週の火曜日よ。大丈夫?」風見が言った。

「別にどの日でもいいよ。暇だし」

「待って凪野くん、その日は確か全裸で町を徘徊する日」

「どの日にもねえよそんな予定」

「せっかく手帳にも書いておいたのに」

「ふざけんな! うわほんとに書いてある!」

 あわててカバンからだした手帳には、確かに『全裸』とあった。芸が細かい。

 そんなやり取りをはさみ、帰路につく。風見と交代するように、横に荒田がやってきた。彼がそばに立つと、たいてい面倒くさい。そのポテンシャルは風見をも凌駕する。

「白埼先生から何か聞けたかい?」

「何かって?」

「この前の焼却炉の爆破事件のことだよ。たぶん、事情聴取を受けているはずだ。科学の教師だしね。盗まれた薬品がなかったかどうかとか、そんなことを聞かれていたんじゃないかな」

「お前のほうがよっぽど探偵役に適任だな」

 白埼先生から話は聞いているが、荒田には明かさないことにした。余計なことに首をつっこみますと全身に書かれていたからだ。案の定、彼はこんなことを言ってくる。

「こんな面白いことを放っておけるか。ねえ、僕は犯人が生徒の誰かじゃないかと思っている。そうだな、意外なところをついて、最近関東大会に出場を果たしたディベート部の部員なんてどうだろう? 大会で自分たちの意見主張がうまくできなかった腹いせに、大きな爆発を起こしたくなった」

「どうでもいいけど、おれを巻きこむなよ」

「それはどうだろう。そもそも僕は、『巻きこまれる』とかいう言葉を信じていない。自分は悪くないのにどうしてこんな目にとか、責任を放りだして、悲観にくれるやつが大嫌いだ。人間は無意識のなかでも能動的で、気づかないところで、自分から足を突っ込んでいるんだよ」

 どっぷりとね、と、荒田がおれの耳元でささやいてきた。気持ちが悪かったので思わず殴ろうとした。

 ひらりとよけた荒田はそのまま道を踏み外し、側溝にたまった泥にどっぷりと足を突っ込んだ。



 人間は無意識のなかでも能動的で、気づかないところで自分から足を突っ込んでいる。荒田のこの言葉が証明されたのは、帰宅して一時間も経たないうちだった。

「親子丼大盛りと、今夜寝泊まりする住居をひとつ」

 やってきた風見は、全身がすすにまみれていて、真っ黒だった。

 頬や腕、足、着ている制服までも、すべてが汚れていた。あっけに取られ、店内の数人の客も風見を凝視していた。

 さらには何か、妙なにおいもしていた。定食屋の店内にはふさわしくないにおいで、風見の髪が焦げたことによる異臭だとようやく気づき、あわてて彼女を家の奥まで通した。よく見ると、すすだらけの制服はいくらかやぶけていて、木の枝が引っ掛かっている。少し前まで一緒に帰宅していた彼女に、何があったのか。

「家が燃えたの」

 目が合うと同時、彼女は言ってきた。すすだらけになり、傷も多く、ぼろぼろになりながらも、風見の深い青の瞳だけは、色を失っていなかった。

「部屋が爆破されて、あとかたもなくなった」

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