6-2

 杉本のタイムリミットまで、ぎりぎりだった。途中のコンビニで殺虫剤とゴミ袋を買った。高藤先生と同じ装備だった。

 電車を降りて、駅をでてすぐまた走る。自然公園のなかへと突き進む。遊歩道を横断して、木々の間をぬう。途中で木の幹につまずきかながらも、転ぶことはなかった。

 目印の小さな池が見えて、ようやく現場にたどりつく。そこに杉本が倒れている、ということはなく、まだタイムリミットにはなっていなかったようで、ひとまずホッとした。

 次におれのするべきこと。死因の排除。

 近くに杉本を襲う蜂がいるはずだ。もしくは複数かもしれない。巣はどこだ。

 手近な木によって、巣がつくられていないかを確認する。それらしいものはない。そもそもどういう場所を好むんだ。調べている時間はない。手あたり次第に探すんだ。必ずある。杉本はここで蜂に襲われるのだ。

 十分探し回り、ようやく、探していない唯一の場所があることに気づいた。近くの休憩小屋だ。駆けより、なかを見渡す。いくらか朽ち果てたベンチに、穴のあいた床。特に屋根の部分を重点的に見ていった。そして、

「……見つけた」

 屋根の角、壁との間に、ボール状の巣があった。

 安心したのは一瞬で、すぐに絶望した。巣が大きすぎたのだ。見かければすぐに逃げだすのが正解だと判断できるような、そんなサイズ。殺虫剤なんかでは太刀打ちできないと、直感した。

 くそ、見通しが甘すぎた。考えてみれば高藤先生と同じ装備をしたら、おれだって先生と同じように刺されるということじゃないか。

 ぶうううん。と、耳元で不吉な音がした。思わず身を縮ませて、小屋の陰に隠れる。体の太い蜂がいた。動きが簡単には予測できないような飛び方をして、いまにも襲いかかってきそうなそぶりを見せたかと思えば遠くにいき、最後には巣へと戻っていく。

 ゴミ袋で巣をおおって取り外すか? だめだ、高すぎる。ひとりでどうにかできるレベルじゃない。どうすればいい。

 迷っているうちに、視界の隅に影が見えた。

 こちらに向かって走ってくる、杉本だった。

 タイムリミットが迫ってくる。巣のなかからは、たくさんの蜂の動きまわる音がしていた。いまにも飛だして、杉本を襲いだすのだろう。

 迷っている暇はなかった。遊歩道まででて、大声で杉本を呼びとめるべきだと思った。

「杉本さ……」

 駆けようとした、その瞬間だった。

 何かで木を叩きつけたような、ものすごい音が背後からした。おれの真横を何かが転がっていく。それはさっきまで、とてつもない威圧感とともに頭上にそびえていた、あの巨大な巣だった。

 振り向くと、風見夜子がいた。

 手には振りかぶったばかりの金属バットが握られていた。我が目を疑う。だけどその長い黒髪も、金属バットも、確かに見慣れていたものだった。

「風見!?」

 おれの驚く声を無視して、風見がバットを放り、巣へと駆けていく。巣は転がり、ちょうど遊歩道のところでとまっていた。まさに杉本のコース上にある。

 風見は遊歩道に飛びだし、そのまま巣を思いっきり蹴りあげた。スローモーションの世界がやってくる。宙に浮いた巣が無残に形を失いながらも回転する。

 ばしゃああん、と水の跳ねる音。巣のその着地地点には、池があった。おれが風見のあとを追い、遊歩道にたどりついたときにはすでに、巣はぶくぶくと酸素を吐きながら、池のなかに沈んでいた。

「見事なシュートだな」

「言ったでしょ、将来の夢はサッカー選手だって」

 冗談を交わした直後、風見が指をさして叫ぶ。見ると池から一ぴきだけ、飛び立っていく蜂がいた。巣から命からがら脱出したのだろう。

 急いであとを追い、狙いをすまし、持っていた殺虫剤を吹きかけた。

 蜂は太い体を揺らしながら、草影のなかに消えていった。それっきり飛んではこなかった。最後の一匹を始末する。これで死因は、排除したはずだ。そんなことよりおれには気にかかることがあった。

「風見、お前テストは!」

「科学のテストだけは、なんとか」

「ちゃんとできたのか?」

 風見はうなずく。飛びだしてきたのはショックだったが、テストはちゃんと受けることができたのならと、とりあえず心を落ち着けた。

「ごめんなさい。凪野くんを信じていなかったわけじゃないのだけど、どうしても気になって」

「……いいや、助かったよ」

「ひとりでできることって、限界があるでしょ」

 あ、と息をつく。

 そうだ。

 風見はそれを知っていた。

 小学校のころからいままで、知りすぎていた。

 自分ひとりの力では救えなかった命がたくさんあったことを、知っていた。だから駆けつけてきてくれた。

 風見に普通の生活を送らせようと奮闘したおれがいて。それを心配した風見はテストを半分投げだして、ここまでやってきた。噛みあっていないようで、噛みあっている。おれたちの関係は、まさにそんな感じだ。

 杉本がやってくる。おれたちに気づいたのか、それとも休憩のためか、足をとめた。いつもと違ったのは、ぜいぜいと荒い息を吐き、体もどこか揺れていた。

「いつになったらおれの前から姿を消してくれるんだ」

 怒声にも勢いがない。

「くそ、頭がクラクラする。いつも通り走っているのに調子が悪い。熱中症なのか? ちゃんと水は飲んでいるぞ」

 そうつぶやいたあと、杉本は急に正気に戻り、おれたちを睨んできた。

「さっきごちゃごちゃと何か動いていたな。遠くで見ていたぞ」

「少し、蜂退治をしていました」おれが言った。

「暇なことだな。不良め。学校はどうした?」

 本人にはわからないこととはいえ、仮にも自分の命を救った恩人がいるというのに、暇人や不良扱いだった。何か言いたくなる気持ちをおさえて、ひかえめに返事をした。

「近くに大きな巣があったんですよ。放っておけば誰かが刺されていました」

「蜂の刺される痛みも危険もおれは知らないが、その退治とやらは、高校生の男女が学校をさぼってまで、躍起になるほどのことか?」

「とにかくもう、あなたの邪魔はしません。約束します。すみませんでした」

「そうしてくれ」

 これでもうお互い、人生で関わることはないだろう。事件は解決。おれたちは、また次の死体のもとへ向かうだろう。

「…………いや」

 待て。

 なにかおかしい。

 違う。

 杉本はいま、なんと言っていた? 会話の断片を思い出したところで、ぞっとする考えが浮かんだ。おれはおそるおそる口にする。

「蜂に刺されたことが、ないんですか?」

 杉本はふらつきながらも、こう答えた。

「一度もない」

 体温が一気に下がるのがわかった。夏の日差しの暑ささえも、かすんで消えていた。

 アナフィラキシーショックは、毒に対する二度目の免疫が異常に働き、アレルギー症状を起こすものだ。初めての毒に対して起こる症状ではない。

 数百匹や数十匹という単位でならまだしも、数匹の蜂に刺された程度でひとは死なない。杉本がもし大量の蜂に刺されていれば、風見がそれに気づいているはずだ。だからおれは、アナフィラキシーが死因だと思った。だけど。

「凪野くん!」

 茫然としているおれの横で、風見が叫んだ。とっくに去っていると思っていた杉本のもまだそこにいて、膝に手をついたまま、いっこうに動こうとしない。顔も青白くなり、汗が吹きだしていて、明らかにおかしかった。

 そして風見は決定的な一言を口にした。

「未来の死体が、消えていないわ」

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