ロボットが最も美しく輝くのは

 《グレートラガン》の脳にあたる制御基板など諸々は、ドリルの内部に埋め込まれていた。

 つまり《グレートラガン》にとって、ドリルは最も強力な矛であると同時に、あらゆる攻撃を通さない最強の鎧だったのだ。

 《四喰》にあの堅牢なドリルを破壊する手立ては存在しない。《四喰》は設計の段階で既に《グレートラガン》に負けていた。

 大会を終え、ヨハンは藤堂の車で再び美浜町へと戻る。

 そして藤堂の家に帰宅すると、開口一番こう言った。

「随分と稼いだみたいじゃのう、アニキ選手?」

「あんたのおかげだよ、ウォッカ選手」

 丸めがねの藤堂が、暗闇の中レンズだけを光らせている。

「それにしてもお前にサングラスは似合わんかったのう」

「うるせぇよ、ほっといてくれ」

 お互いに気遣いも敬意も何もない、砕けた空気が流れる。

 ヨハンはまるで息子の成長を見守る父親のような視線を藤堂へと送っていた。そして藤堂もここに来て、ヨハンの正体について気づき始めていた。

「お前が金に困っておるじゃろうことは検討が付いておったよ。日本に帰国してから、お前は藤堂製鉄所の営業を開始したらしいな」

「……そこまで知ってるってことは、あんた、やっぱりそうなんだな。そこまで知っときながら、じゃああんたは何のために日本に来たんだよ……イゴール社長」

 ロシアの超高度AI《ベスム2066》が生み出した人類未踏産物レッドボックスの中に、人格をデータ転記する技術が存在する。人間の人格をコンピュータに転記することで永遠に生きることを可能にした存在を《オーバーマン》と呼び、現在『ヨハン』と呼ばれていたこの個体は、イゴール・アシモフのデータ化された人格を持つオーバーマンだった。

 イゴールの孫がヨハン・アシモフであることは間違いのない事実だ。本物のヨハンは今もロシアで平穏な毎日を過ごしている。そして今この日本にいる『ヨハン』の体は、本物のヨハン・アシモフの《かたち》を忠実に再現したロボットで、その意識だけがイゴール・アシモフの人格を転記したAIによって構築されている。

「お前に会うためじゃよ、藤堂。まさかワシがそのまま日本に来るわけにもいかなかったんでな。孫の《かたち》をしているだけで、随分と動きやすくなるものじゃ」

「オーバーマン……だっけ? あんたのロボット好きはそりゃ知ってたけどよ。まさか自分自身がロボットになっちまうなんてな……あんたらしいっちゃ、あんたらしいけどよ」

 オーバーマンは人間ではない。

 リスボン会議があった2071年の同年、インドのデリーにおける国際会議である重要な条約が締結された。

 それが人間知能を完全コンピュータ化することを禁止した国際条約――デリー条約である。

 オーバーマンはあくまで人間ではなくAIであり、しかも論理的な制約を持って設計されたAIに比べて非常に危険な存在であると判断された。これにより既存のオーバーマンは拘束、廃棄されることが宿命づけられており、ロシアにおいてもオーバーマンは国際人工知性機構IAIAによって苛烈な取り締まりを受ける対象となっている。

 つまり、今藤堂の目の前にいる『ヨハン』の姿をしたイゴールは、国際条約を破っている犯罪者――否、人ではないのだから、取り締まり対象物なのだ。

 しかし藤堂がイゴールを前に萎縮することは特になかった。藤堂にとっては、イゴールは前に自分が勤めていた会社の社長以外の何者でもなかったのだろう。

「今更俺に何の用なんだ。まさかあんた、自分がやった事を悔やんでるとか?」

「ワシがそのような反省をする男に見えるか?」

「いや……違うな。ああ、分かってたさ、そんなことくらい」

「ワシはただお前と遊びたかっただけじゃよ。昔のようにな」

「……あんたって人は、本当に」

 藤堂はもう取り戻せない過去を懐かしむように、少しの嬉しさと切なさが入り混じったような顔をした。埃にまみれた丸メガネを一度服でこすり、もう一度かける。

「俺があんたに見捨てられてから、どんな人生を送ったと思ってやがる」

 責めるような口調だが、怒りはそれほど感じられない。ただ徒労感と諦めだけが藤堂からは発せられている。

「三年前、俺はあんたのもとで高速度鋼成形のための折り返し鍛造と粉末治金の併用技術について研究を続けていた。そこで職人としての腕も磨き続けて、入社から十年経ってようやく、ようやく高速度鋼内の結晶構造をナノオーダーにまで小さくすることに成功したんだ! その技術を俺がどれだけの苦労で成功させたと思ってやがる! それを――それをあんたは!」

 藤堂はイゴールの襟元を掴むと持ち上げる。子供の《かたち》しか持たないイゴールは、大人の力に抵抗などできるはずもない。

 藤堂の生み出した奇跡の技術は、気の遠くなるほどの職人の手間をかけた繰り返し鍛造によって高速度鋼を鍛えた後、さらに一度粒状に粉砕した鋼を再び焼結することで非常に小さな結晶構造を持つ工具を開発する、というものだった。

 藤堂はその技術で特許を取ることで、莫大な儲けを会社にもたらす事ができると考えていた。

 しかしイゴールはその奇跡の発明が、工学的価値をほとんど持たない事に早くから気づいていた。

 あまりにも――あまりにもそれはコストがかかりすぎる技術だったのだ。

 気の遠くなるような工程数と時間を果てに生産される工具。当然その費用は莫大なものとなる。確かに世界最高峰の硬度を誇る工具が作れるのかもしれない――しかしその費用が天文学的数字となれば、そんな製品は誰も買わないし使えない。

 だから、イゴールはその技術を世界へと公開した。

 自社で燻らせておくにはあまりにも惜しい技術だった。工学分野の発展のために、それが必要なことだと思った。自社の設備では莫大な費用がかかるとしても、例えば超高度AIの人類未踏産物である超々高精度3Dプリンターならば、ナノオーダーの結晶構造を印刷するだけで再現できるのではないかと思ったのだ。

 藤堂が生み出した高速度鋼の《かたち》は、プリンターでいつでも再現できるパターンの一種として記録されることとなり、その希少性は失われたのである。

「あんたは勝手に俺の技術をオープンリソース化しちまった! あれは俺だけの特別な技術のはずだったのに!」

「驕るなよ、藤堂。企業内で開発した技術は間違いなく企業のものじゃ。それが個人の技術であるものか」

 藤堂は怒りのあまりに暴力沙汰を起こし、社長へ開発情報をリークした上司を殴った。上司は自律型ロボットであり、見た目は人と変わらない。しかしその考え方はあまりにも合理的で人情のないものであり、その態度が藤堂の怒りに油を注いだのだった。

「そうだ、だから俺はあんたの会社を辞めたんだ。そして俺だけの会社を作った! ここで開発した技術は全部俺のもんだからな!」

 油臭い部屋や、下階の工場へとつながる廊下。転がるネジ部品と立ち込める金属粉。

 ここは、藤堂が誰にも邪魔されることのない、彼自身の王国だ。

 何の柵も無いように見える、男がただ純粋に自分の好奇心を追い求めるためだけの空間――それはとても微笑ましいものだった。イゴールは、だから藤堂の事が好きだった。

「お前はまだ、ここでたった一人で技術の進歩を追い求め続けていたのじゃな。風呂にもはいらず自宅にこもって、ただ一人自分の夢を追い続ける。社会生活を放棄して、誰にも顧みられることもなく、ただ高みを目指し続ける。それがどれほどの孤独じゃったのかは想像もつかんよ」

「黙れ、黙れ! あんたに同情される筋合いはない!」

「同情などするか。純粋にワシはお前に敬意を抱いておる。今日のあれは実に見事じゃった」

 イゴールは喉元を閉められながらも、穏やかな笑顔を浮かべている。

 藤堂の《グレートラガン》の持っていたドリル。あれは高度3Dプリンタによって印刷されたものではない。『3Dインファイト』という名前なのだから、てっきり3Dプリンタで印刷された材料しか使えないのかと思いきや、そうではなかったようだ。

 あの競技における『コスト』とは『3Dプリンタの印刷に使用した材料費』の事をさし、プラス3Dプリンタを動かすための消費電力の電気代くらいの意味しか持っていなかったのだ。

 そこに藤堂は自分の会社で作っていた製品を用いる。その価格は藤堂が自分で設定した価格であり、『3Dインファイト』の設定コスト内に収まる値段にわざと設定していたのだ。

「結局お前も自社製品の安売りをしておるではないか」

「う、うるえせぇな!」

 藤堂は『3Dインファイト』で勝つためだけに赤字の自社製品を生み出したのだ。優勝賞金と合わせても、果たして採算が付いてるのだろうか。

 そういう金勘定が致命的に下手くそなのが藤堂の良いところでもあり、悪いところでもあるのだが。 

「まあ、しかし値段はどうでも良い。あれはいい物じゃった」

 藤堂のドリルは、まさしく彼自身の魂が込められていた代物だ。高度3Dプリンター程度では再現できないナノオーダーの結晶構造を持つドリル。あれは『3Dインファイト』のどの機体でも、傷つけることすらできない代物だ。

「あれこそ魂の篭ったロボットじゃ。実に見事。ドリルの内部に弱点全てを詰め込む発想も良かった」

「何だあんた! マジで何しに来たんだ! 気持ち悪いな!」

 藤堂はイゴールの襟元を離して、赤くなった耳元を隠すようにして後ずさる。褒められ慣れていない不器用さが滲み出ていた。

「ワシはな、藤堂。お前に侘びに来たんじゃよ――ワシが死ぬ前に、どうしてもな」

「…………はぁ?」

 あまりにも予想外の言葉だったのだろう。藤堂は途端に面食らった表情を浮かべる。

「これまで六十年近く、ワシはただ自律型ロボットを作り続けてきた。いずれロボットと暮らす社会が来ると信じて、若い頃からただひたむきにがむしゃらに、社会の発展のために技術を磨き続けてきた。そうするうちにいつの間にか社長になっておった。じゃが、去年にリスボン会議があったじゃろ――あれのせいで、もう自律型ロボットは社会から必要のないものとして判断されてしまったのじゃ」

「それは……知ってるけどよ」

「これからは他律型ロボットの時代になる――じゃが、そう思うと実につまらん社会になると思うてな。ロボットは個性的で愛すべき存在でなければならない――それが我が社の社訓であり、ワシの信念じゃった。そうしたものを、ワシは社会から全部否定された気がした。そんな時お前の事を思い出しての」

「…………」

「お前は社会から見捨てられようとも、自分の信じる技術を貫き続けた。そんな生き方がこの年になって少々羨ましくなってのう。それに、まあお前も苦労しとるじゃろうと思うて、ちっとばかし金を支援したくなっての。お前の夢に賭けてみたくなったのじゃ」

「余計なお世話だクソじじい」

「じゃが、もうワシの体は限界じゃった。老衰じゃよ。指がピクリとも動かんくなった。じゃがワシは諦めきれなくての……仕方なしに、オーバーマン技術に頼ったのじゃ」

 オーバーマン技術の発祥となったロシアでは、政界や財界の間でもオーバーマン技術が拡散している。イゴールも名立たるメーカーの社長だったのだから、そうした技術を隠れて使うルートがあったのだ。

 国際条約で禁止され、IAIAを敵に回し、それでもイゴールはオーバーマンになった。

「あの時はすまんかった」

 イゴールは両手を揃えて頭を地に付ける。藤堂からは反抗的な態度が見る影もなく消え失せ、みっともなく動揺した。

 企業で成した技術は企業のものだ。しかしそれをヒトのためではなく、ロボットのために開放したのはナンセンスだった。社会のためにと言う大義名分のもと、社員たちの決死の努力を一銭の価値もないものにしてしまった。

 それは社員の命運を一身に背負う、社長としては恥ずべき行為だった。

 せめてその技術を作り上げた社員たちに、その苦労を報いるような利益をもたらせば良かった。

「ワシはロボットが好きじゃった。けど、それと同じくらいに多分、人間が好きなのじゃ。じゃから、ヒトが持ってる自尊心とか、誇りとか、情熱とか、そういうのが全部込められた技術を、ワシは簡単にコピーできるものとしてロボットに教えてしまったことを後悔しておる」

 オーバーマンが口にするにはあまりにも滑稽であることは分かっている。人間の人格ですら簡単にコピーするような技術を使っておきながら、イゴールはロボットよりもヒトを大事にするべきだと懺悔している。

 もはやヒトではないロボットがそんなことを喚いているのだ。それが滑稽以外の何だというのだろう。

 藤堂は堪えきれなくなったように、イゴールへと駆け寄ろうとした。

 しかし、イゴールは自分がそれ以上イゴールへと近づけない事に気づく。

 藤堂の体は既に無数の糸で拘束されていた。体への負荷はかけないような柔らかい糸でありながら、粘性を持ったその糸は藤堂がその場から動くことを許さない。

「なん、だ……?」

「藤堂佳祐さんですね。そこから動かないようにお願いします」

 藤堂のすぐ頭上から声がした。

 その人物は天井の暗闇の中に逆立ちをしている。全身を黒いタイツで覆っており、その表情は全く見えない。

「ふっ……来たか!」

 イゴールは吠えるとともに駆け出そうとするものの、黒い人物の手首から放たれた無数の糸に全身を拘束される。地獄からの使者はもう、すぐそこまで来ていた。

「イゴール・アシモフですね。貴方をオーバーマン容疑で拘束します」

「何だこの糸……強化人間なのか!?」

 藤堂が糸をもぎ取ろうとして驚愕する。明らかに自然界の蜘蛛が生み出すような糸を、目の前の人間は体から生成したように見えた。

 埋込み機器インプラントを体に埋め込むことで、人間にはない拡張機能を使う技術が既に発展している。しかし肉体改造にもあたるこの技術は、倫理的な問題もありほとんど流通していない技術でもあった。

 IAIAの代理人エージェント――人間によって構成された諜報組織の一員であり、その任にはオーバーマンの拘束、破棄が含まれている。彼らは超高度AI《アストライア》によって選ばれた精鋭でもあり、世界有数の諜報機関の工作員として申し分ない実力を兼ね備えている。

「お? 誰かと思えば《ニンジャ・ニンニン》とかいうクソダサい名前の選手じゃないか。ワシに一回戦で負けた」

 訓練をされているはずの代理人エージェントの表情筋が一瞬だけ動くものの、抑揚の欠ける声音が闇夜から聞こえてくる。

「貴方の姿は空港や道路のカメラに写りこんでいました。《アストライア》は早くから貴方の日本への侵入に気づき、その行動を監視していました。私があの大会に参加したのは貴方の素性を調べるためではありましたが、既に本物のヨハン・アシモフが貴方の屋敷にて存在が確認されていることもあり、貴方がオーバーマンであることは疑いようもありません」

「ま、待て!」

 藤堂が代理人に必死に近づこうとする。

「そこのジジイを殺すのか!?」

「生きていないものを殺すことはできません。私はオーバーマンを回収した後に破棄するだけです」

「ふっ……破棄か。なるほどの!」

 イゴールは踵に内蔵されていたバンカー機能を解放する。踵から飛び出た杭が代理人の首筋を狙っていた。

「敵対行動を取りましたね。これより貴方の廃棄処分を実行します!」

 代理人が糸を巻き取ることで天井へと回避する。その際代理人の手首から放たれた黒い糸がイゴールの右手に巻き付き、そのまま手首を切断した。

「くそジジイ!」

 藤堂が悲鳴を上げる。代理人はそれを一瞥し、藤堂の口元に糸を巻きつけた。

「貴方はオーバーマンからのアナログハックを受けています。言葉を交わしてはいけません」

 IAIAは『人間というセキュリティホール』についての研究を進める組織でもあるから、代理人たちは当然そのことに詳しかった。代理人は藤堂の存在をセキュリティホールと即座に判断し、彼を戦闘から遠ざけようとする。

 代理人はさらに藤堂の耳と目を塞ぐために糸を紡ぐ。しかしそこをイゴールの突進が襲った。

「ぐっ……!」

 腹部に頭突きを喰らって呻く代理人だったが、所詮は子供の体重である。すぐさま体勢を立て直すと、黒い糸によってイゴールの大腿部、両肩を切断する。

 藤堂の押し殺した悲鳴が糸の隙間から漏れる。

「その目に焼き付けろ、藤堂!」

 胴体だけになり、切断面から電子部品を零しながら、イゴールは愛すべき社員――息子に向けて最後の餞を送る。

「ワシがオーバーマンになったのは! この一瞬のためでもある!」

 代理人の糸が首に巻きついていた。イゴールの充血した瞳が藤堂の瞳の奥を差し貫いている。その壮絶な光景から藤堂は目を離せない。

「ロボットが! 最も美しく輝くのは! 破壊されるその――」

 イゴールの首が飛び、瞬く間に白い糸がイゴールの頭を包み隠した。代理人は胸元にイゴールの首を抱えると、次の瞬間にはいなくなっている。

 藤堂の体に巻きついていた糸も、溶けるようにして無くなっていた。彼は膝から崩れ落ち、体を震わせながら嗚咽を漏らす。


 藤堂の目に映るイゴールの最後の姿は、あまりにも美しく鮮烈に彼の心の奥深くまで刻み込まれていた。

 それが藤堂の心の穴を狙ったイゴールのアナログハックだったのかは、藤堂には最後まで分からなかった。

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